君色の輝き
その1 憧れは恋の始まり



「あれ、お姉ちゃん、今日もガッコ?」

靴を履き終えてドアを開けようとしていた楠木芹菜(くすのき せりな)は、妹の声に振り返った。

ぼさぼさの頭をした真奈香(まなか)は、まだ半分寝ぼけ眼だ。

「そっ。文化祭の準備」

真奈香がにまっと笑った。

「来週だったね。私の分のチケット忘れずに買っといてね。あ、もちろん友達の分もだよ」

去年の文化祭にも遊びに来た真奈香は、瞳を輝かせて言う。

「はいはい」

軽く返事をしてドアノブに手を掛けたところで、真奈香の呆れたような声が飛んできた。

「ねぇ、お姉ちゃんさあ、そのスカートの長さ、いまどき逆説的に犯罪だよ」

芹菜は思わず自分のスカートを見下ろしてしまった。

「逆説的に犯罪って、何?」

「今どき、だあれも、制服のスカートそんな長いまま履いてないって。ウエストのところでさ、十回くらい折ったら?」

「何言ってるの、校則で長さはこのくらいって決まってるのよ」

「まったくぅ、お姉ちゃんは堅物なんだからぁ。校則なんてこの世にあってないようなもんなんだよ。出来ればそのおさげ髪もやめた方がいいって」

芹菜は自分の三つ編みに触れてから、肩を竦めた。

「真奈香と話してると電車に乗り遅れちゃうわ」

芹菜は台所にいる筈の母親に聞こえるように「行ってきま〜す」と声を張り上げ、急いで家を出た。

堅物という言葉は胸にチクリと刺さった。

確かに彼女は少々堅いのかもしれない。

クラスの女生徒のほとんどが、校則違反の短いスカートを履いている。
それでも、よほどでなければ生活指導の先生に注意されたりはしていない。

芹菜は立ち止まると、周りにひとがいないのを確かめてから、スカートのウエストのところを二回ほど折ってみた。

だが、膝が丸見えになった姿はどうにも滑稽に見える。

「何やってるんだろう、わたし」

声にならない呟きを洩らし、芹菜は急いでスカートを元に戻した。

妹の堅物という言葉を気にして、こんなことをしてる自分に淡い苛立ちを感じた。





教室内は、足の踏み場も無いほどのちらかりようだった。

マジックペンやら彩りの良いテープが無造作に転がり、何色もの布地がところどころに積み上げられている。

文化祭は土日の二日に渡って行われる。

初日は、各クラスの模擬店。
芹菜達のクラスは、カレーハウスをやることになっている。

ウエイターは、制服に蝶ネクタイと赤いベスト。
ウエイトレスは、制服のブラウスに大きな赤いリボンを付け、赤いミニスカートを履く。

それと、芹菜がいま作っている白いミニエプロン。
このエプロンが最高に可愛い。

でも、準備班担当になった芹菜は、これを着ることはない。

準備班は当日フリーだから、他のクラスの模擬店を自由に見に行ける役得がある。

「楠木さん、ちょっといいかな?」

数人の女の子達とお喋りしながら、小さなエプロンにレースを縫いつけていた芹菜は、後ろからの呼び掛けに顔を上向けた。

「はい?」

芹菜と一緒に準備班の班長をしている宮島大成(みやじま たいせい)だ。

彼の顔がぐっと寄り、声を潜めて囁いてきた。

あまりの近さにドギマギしてしまう。

「テニス部の先輩達が無理言ってきた。教室を貸せってさ」

「えっ」

大成が廊下側からは見えないように、そちらを指で指し示す。
数人の見知った先輩達が、窓越しにこちらを伺っていた。

「僕、断れなくてさ。楠木さん、断ってきてくれる?」

冗談だと分かる調子で言われ、芹菜は笑いながら首を振った。

大成も芹菜も同じテニス部だ。しかも大成は男子部のキャプテン。

ほんとうなら、ふたりともテニス部の準備も手伝わなくてはならない立場にある。

「まだまだやることいっぱいだし。僕の家でよければ移動する?」

「えっ、宮島君の家?」「いいのー?」

芹菜の周りにいる女の子たちが勢い込んで言う。
それに応じて大成が続ける。

「うん。空いてる部屋もあるし、作業に支障ないと思うんだ。歩いて10分くらいだしね」





そんなわけで彼ら全員、両手に抱えきれないほどの荷物を持って大成の家に移動することになった。

芹菜もかなり大きな紙袋と、棒状にした数本の模造紙を抱えている。

宮島家は、真新しく近代的で、かなり大きな屋敷だった。

「うわ、すっげ」

ひとりが思わず叫び、みんながうんうんと頷いている。

門構えも立派だったが、広い庭は手入れが行き届いていて、12月になろうかというのに、そこここに、花でいっぱいのプランターや鉢が置いてあった。

「宮島君って、かなりのお坊ちゃまだったのね」

芹菜の隣を歩いている川岸由梨絵(かわぎし ゆりえ)が呆れたような含みで言い、芹菜は苦笑して頷き返した。

大成の細面の輪郭、涼しげな目、すっきりとした鼻筋、驚くほどの長身。
そして、どんな問題が起こっても、テキパキと処理してしまう有能さ。

彼に恋している女の子は多い。

かくゆう芹菜も、彼に憧れを抱いているひとりだった。
そして、たぶん由梨絵も…

芹菜は目の前に迫った玄関を見てほっとした。
手に提げている紙袋がかなり重かったのだ。

みんなもいっぱいの荷物を抱えているから我慢して耐えていたが、そろそろ限界がきそうだった。

玄関まであと数歩というところで、抱えた模造紙の先が松の枝に当たり、アッと叫ぶ間もなく、地面に転がってしまった。

「芹菜、ごめん。拾うの手伝ってあげたいけど、両手が悲鳴あげてますぅ」

一緒に最後尾を歩いていた由梨絵が、切羽詰った声でそう言うと、すまなげな視線を向け、急いでみんなの後を追って玄関に入って行ってしまった。

思わず笑ったものの、地面に転がっている模造紙を見てため息が出た。

まずは右手の紙袋を左手に持ち替えて息をつく。

右手を開いてみると、手のひらに食い込んだ紐の後がくっきりとついていた。

「いたーい」

誰もいないのをいいことに、口を曲げて芹菜らしくない不平を洩らす。

「大丈夫かい? 真っ赤じゃないか?」

突然の声に驚いて顔を上げると、そこには見知らぬ男性が立っていた。
どことなく大成に似ている。

あの背の高い彼よりも、まだ上背がありそうだった。
その人は、すっと手を伸ばして、彼女の荷物を持ってくれた。

「あ、ありがとうございます」

うわずった声が出てしまい、顔がカッと熱くなった。
なぜだか心臓が狂ったように動いている。

「ずいぶんと重いな」

驚いたようにそう言うと、そのひとは荷物の重さを確かめるように数回上下させた。
次は転がっている模造紙に手を伸ばす。

慌てた芹菜は「私が」と叫ぶように言い、彼より先に模造紙を拾おうと屈みこんだ。

「あれ、誠志朗(せいしろう)兄さん、来てたの?」

玄関から大成が出て来た。

「大成、女の子にこんな重い荷物持たせるもんじゃないぞ」

そう言って、持っていた紙袋を大成の胸に押し付ける。
大成はそれを受け取って「重っ」と叫んだ。

見上げるような体格の良い男性二人に、重い重いを連呼されて、なんだか無性に恥ずかしい。

依然治まらない動悸をどうにかして沈めようと胸に両手を当てていると、大成の兄の手が伸びてきて、右手を掴まれた。

芹菜は思わず飛び上がりそうになった。

その人の触れた部分が、なぜか電気を帯びたようにピリピリしたのだ。

唖然としていると、芹菜の手のひらを開いて大成に見せる。

「ほら、見てみろ。こんなに赤くなってる」

「あ、ほんとだ。って兄さん! 女の子の手を馴れ馴れしく掴むなよ」





家に戻って玄関に入った途端、真奈香が「おかえり〜」と叫びながら出迎えてくれた。

そのまま早く早くと、彼女の腕を引っ張るようにして自分の部屋に連れて行く。

「ほら見て、ほら」

真奈香は自分の部屋に芹菜を入れると、ドアをパンパン叩いた。

「わあっ」

芹菜は思わず叫んだ。

そこにはトレンディードラマで大人気の、藤城トウキが極上の笑みを浮かべていた。

「へへーー、いいでしょ、いいでしょ、このポスター。今日買ってきたんだよん」

妹は藤城トウキの大フアンだ。
まだ、フアン暦三ヶ月ほどではあるが…

たしかにトウキはカッコいいと芹菜も思う。
でも…

大成の兄をまざまざと思い出す。

あんなに強烈に、男の人を意識したのは初めてだった。

額にさらりと垂れた前髪…
その髪にそっと触れる自分の指を夢想して、芹菜の全身に震えが走った。

「ねえ、もうすぐトウキ主演の映画が始まるんだよ。お姉ちゃん、一緒に観に行こうよぉ」

ポスターに見惚れていた真奈香が振りむいてそう言ったが、芹菜の耳にはまったく入っていなかった。




   
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