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その10 バトル×2
いつまでたってもそっくり返ってけらけら笑い転げている真帆を、芹菜はぎろりと睨みつけた。
「笑い事じゃないわ。大変だったんだから」
昨日の夜、ついに真帆の父親と透輝が鉢合わせしてしまったのだ。
透輝は、スケジュールをやりくりして時間がたまたま空くとやってくるので、いつでも突然だ。
健吾は夜、ほぼ毎日やってくる。
透輝にもそのことは言っておいたのだが…
もしかすると、彼は父親のいる夕方を狙って、わざとやって来たのではないかと今は思えた。
真帆の父親は透輝のことを罵倒するわ、追い出そうとするわ…
透輝は透輝で、花や手紙のことでも、かなりカッカとしていたものだから、もの凄い剣幕で切り返していた。
透輝は意地でも帰らないという態度だし、最後には互いに無視しきっていて、芹菜はいたたまれないといったらなかった。
「透輝、あんな風だけど、頑固なとこあるからねぇ。言い出したら人の言葉なんか耳に入れないんだもん。それはパパも同じ。ふたりとも似た者同士なのよ。本人達は、絶対に認めないだろうけど…」
真帆の目に、透輝を思う愛しげな光が揺れる。
「真帆さん、あのひとと別れるのは愚かですよ」
芹菜の言葉に真帆は黙り込んだ。
「あんなに愛されてるのに」
「あんたに何が分かるのよ。愛ってのはね、そんな単純じゃないのよ。愛だけあればいいってもんじゃないわ」
芹菜は、先週の彼女の誕生日の日の、透輝を思い出していた。
嫉妬に駆られた透輝の剣幕は凄かったけど、そんな彼はものすごく辛そうだった。
「分かるもの。全部知ってるし…」
芹菜の言葉に、真帆はぐっと詰まった。
お互いが、相手のすべてを知っている。
過去、記憶にとどめてしまったことは…知られたくないことも、みな知られてしまう。
「やめてよっ! ひとの記憶あさらないでっ」
真帆はパッと口を塞いだ。その顔が歪む。
「あんたが悪いのよっ」
吐き捨てるように言った真帆の顔は、悔いでいっぱいになっていた。
「好きなひとに愛されない私には、真帆さんの苦しみすら、うらやましい…」
芹菜は感情を込めずにぼそぼそと言った。
真帆の組んでいる両手にぐっと力が籠もった。
彼女の葛藤があまりにもあらわで、芹菜は持っていた本に視線を移した。
一時間ほどが経ち、ふたりがそろそろ今日の勉強を切り上げようかとしていたあたりで、扉を叩く音がした。
ふたり同時に顔をあげ、誰だろう、と目を合わせる。
今夜、真帆の両親は久しぶりの観劇会に出かけている。
芹菜がふたりに勧めたのだ。
夕方やってくる見舞い客は、両親以外いないのだが…
真帆が、「あんたは人気ものね」と嫌味のようにつぶやいたのを耳にしながら、芹菜は「はい」と返事をした。
今日は土曜日。
真帆もひさしぶりの休日で、朝からやってきていたし、やたら見舞い客が多かった。
杉林と彼女の夫も連れ立ってやって来た。
かなり大きなお腹を抱えた杉林に、知らずにいた真帆はビックリ仰天していた。
ご主人は、身重の妻から目を離したくないらしく、ぴたりと寄り添い、椅子に座らせたりというろくでもないことで、かいがいしく世話を焼いていた。
杉林の見舞いの品は真帆の大好きなお店のケーキで、その品はさっそく彼女の戦利品に加えられた。真奈香がきっと大喜びすることだろう。
「うっ」
真帆が声を詰まらせて大きく喘いだ。
「今回も…先客がいたんだな」
すでに見慣れた帽子を目深にかぶり、サングラスをした透輝は渋い顔をして、ドアに寄り掛かった。
「どうぞ、私のことはお気になさらず。藤城トウキさん」
真帆が嘲るように言って席を立った。
透輝は自分の正体がばれていることと、真帆の口の聞き方が気に入らなかったのだろう、彼女を軽く睨み、芹菜にも責めるような視線を向けてきた。
昨日やってきたばかりの透輝が、今日も来るとは思わなかった。
「透輝、こちら楠木芹菜さん。彼女は私の大切な友人なの。ふたりとも…仲良くしてくれると嬉しいんだけど」
頼み込むような控えめな芹菜の口調に、透輝は仕方がないなというように肩を竦め、近付いてきた。
「30分ほどしかいられないんだ。以前、コマーシャルの撮影があるって言ったこと覚えてるだろう? 昨日言うつもりだったんだけど、君の父上が…」と、苦く微笑む。
「最終便で、オーストラリアに飛ばなきゃならない。できればふたりきりになりたいんだけど…」
サングラスをさっと外した透輝が、真帆にとっておきの笑顔を向け、すまなそうに言う。
真帆の顔が怒りを帯びて歪んだ。
芹菜は投下される爆弾を予想してきゅっと目を閉じた。
「なにさっ。あんたなんか大嫌いよっ」
憤って息が継げない様子で、真帆はウググッと喉が引きつったような声を洩らした。
そしてその一瞬後、泣きべそ顔になった。
下瞼に大粒の涙が盛り上がり、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
当然のことだが、透輝は目を丸くして呆気にとられている。
真帆は顎をくいっともたげ、涙でいっぱいの目を透輝に向けると、精一杯凄んで見せた。
「透輝の馬鹿!」
そう叫びながら飛び出して行く。
「真帆さん、待っ…」
思わず叫んでしまい、芹菜はハッと気づいて大きく息を吸い込んだ。
困惑に頬をひくつかせた透輝は肩を強ばらせ、ジーンズのお尻の部分で手のひらをぬぐうような仕草を繰り返している。
「なんなんだ、あの子」
そう芹菜に問い掛け、視線を床に向けると、彼は考え込むように顔をしかめた。
「あの子、顎をそらす仕草が…。その君に、なんだか…とっても似てたな」
芹菜はその言葉に目を見開いた。
「…ん、あと20分しかないな」
透輝は自分を罵倒して逃げて行った失礼な娘のことを、頭から追い払ったのか、これからのオーストラリアでの予定などを語り帰って行った。
やっぱりというか、真帆は傷心を抱えたまま帰ってしまったらしく、戻っては来なかった。
芹菜は置き去りにされたケーキの箱を見つめ、ため息をついた。
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