その11 『私』の定義
朝の陽差しが窓辺に反射し、芹菜はその輝きに目を細めた。
気持ちよい目覚めだった。
なにかとても良い夢を見た気がする。
ウキウキする心に急かされるように、彼女は起きあがりベッドから降りた。
ゆっくりと窓辺に寄って窓を解放する。
夜の冷気で、神聖なものに生まれかわったかのような、爽やかな空気がさーっと部屋中に満ちる。
「うーん、いい気持ち」
手足のしびれもこのところ急速に良くなっていた。
手足の指先にジンジンとしたしびれが残っているものの、ゆっくりとであれば、松葉杖を使わなくても歩けるようになった。
なによりも嬉しいのは、本のページをくることもできれば、ペンを持つことも出来るようになったことだ。
芹菜は微笑んで、窓の外の景色を楽しんだ。
四月も下旬になって、緑は命の勢いを増し、花々が誇らしげに咲き乱れている。
芹菜は自分の右手を、朝日に透かした。
血の通った生きている手…
爪があり、皮膚があり、骨と血と肉で出来たこの手…
手の平の指紋を見つめていた芹菜は、息苦しさを感じて、ぎゅっと手を握りしめた。
これは私の手じゃない。これは真帆の手だ。
この唇も、目も、髪も、体全て、わたしのものじゃない。
人ってなんなんだろう。と思う。
何が、私…なんだろう?
真帆のからだで、ここにいる私は…
もし、あなたは誰と聞かれたら、芹菜はためらいなく、楠木芹菜だと答えるだろう。
体は、ただの入れ物に過ぎないのだ。いまなら分かる。
芹菜の目も耳も頭も胴体も手足も、芹菜を表現する単なる入れ物にすぎないのだ。
死んでしまって、自分の体がなくなってしまっても、意識は残るのではないかと思えた。
そうすると、天界とかも、本当にあるのかも…
芹菜はそう考えてくすりと笑った。
天界…
そこにはやっぱり、天使とかもいるのだろうか?
でも…でも、やっぱり、私は芹菜の体に戻りたい。
強烈な思いが込み上げてくる。
この世界で生きるとすれば、生を受けてからずっと彼女と共にあった、…彼女の創り上げてきた、本来の芹菜の体でいたい。
彼女が創り上げてきた芹菜の体は、彼女という人間の生き様の集大成なのだから。
両親にもらった大切な体なのだ。
真帆のこの体もまた、真帆がこれまでの22年間という人生を掛けて創り上げてきた体なのだ。彼女の人生そのもの…
芹菜は、ピンク色に輝く爪を、心を込めて、そっと指先でなぞった。
大切にしなければ、いつか真帆に返す時まで…
そう、いつか…
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