君色の輝き
その2 膨らむ恋



芹菜は、立派な門の前に立ち竦んでいた。

この前みんなと来た時はそんな風に感じなかったのに、とても威圧感を感じる。

私服を着てることも要因しているのかもしれない。
制服を着ていたら、こんなに躊躇しなくて済んだかもと思う。

文化祭二日目の今日は、市の講堂を借りて演劇や演奏会が催され、最後には、ビンゴ大会もあって、大いに盛り上がった。

そして今日だけは、私服登校が許されているのだ。

男子生徒は制服で来る者が多いが、女の子で制服を着てくる子はまずいない。

彼女は手にしている小さな紙袋を見てため息をついた。
ビンゴの景品だ。

今日、大成が休んだ。
風邪を引いて調子が悪かったのに、昨日、無理しすぎたらしい。

大成の分のビンゴカードで三位の賞品が当たったそうで、担任の伊崎から、誰か持って行ってくれそうなやつに頼んでくれと預かったのを、彼女が持ってゆくことにしたのだが…

いささか悔いていた。

賞品は、コロッケパンだし…

生徒会の予算の中でやりくりしているのだから、こんなものなのだろうけど、それでもコロッケパンはないわよね。と思う。

あのひとに逢えるのでは…そう瞬間的に、期待感が膨らんで…

でも、、現実に家に向かって歩いていたら、その至福を含んだ期待感も、どんどん薄れてしまっていた。

と、その時、バッグの中の携帯が鳴り出した。
真奈香だった。

「お姉ちゃん、まだ学校?」

「あ、うん」

「よかったぁ。待ち合わせの時間、間に合いそうにないんだ。ごめん。もうパフェいいからさぁ、直接映画館で待ち合わせってことにしてくれる?」

真奈香は言いたいことだけ言うと、電話を切った。

すっかり忘れていた。
今日は藤城トウキ主演映画を観に行く約束をしていたのだった。

時計を見て、映画の開始時間まであと一時間あることを確かめてほっとした。
だが、いつまでもここでぐずぐずしていられない。

芹菜は、すぐさまインターホンを押した。

「あら、大成の同級生…?」

玄関先で出迎えてくれた大成の母が、戸惑った様子で問うように言った。

「はい。楠木と言います」

この間お邪魔したときに挨拶しているのだが…

大勢だったし、名前だけの自己紹介をしただけだから、覚えてもらえてなくても仕方ないのだろうが、少し残念だった。

大成の母の視線が、もの問いたげに芹菜の服に注がれている。

「あの、今日の文化祭は、私服参加出来るので…」

それ以上、詳しい説明をするのもなんだか気が引けて、紙袋を手渡すと、芹菜は急いで出て来てしまった。

門の前まで出て来て、制服というのは重宝なものなのだなと、いまさらながら思った。

身に着けているだけで身元を証明出来るし、相手に不信感を持たれたりしないのだから…

それにしても、気まずかった。

たしかに、この服はちょっと洒落すぎてるかもしれないなと、芹菜は自分の服を見下ろして思った。

この前の日曜日、由梨絵がこのワンピースを見立ててくれたのだ。

濃紺で色は派手じゃないのだが、襟ぐりのカットが深くてかなり大人っぽい。
その服の上に、クリーム色のハーフコートを羽織っていた。

朝、学校に着いた途端、由梨絵にゴムをはずされて、髪も垂らしているし…

三つ編みをしていたせいで、まるでパーマを当てたようにウエーブがついているのだ。

たぶん、この髪型も良くなかったのかもしれない…
芹菜はため息をついた。

あのひとに逢うどころか、大成の母に悪い印象を与えてしまうなんて。と、またひとつ大きなため息をつく。

こんな風にすごすごと戻っている自分が、まったくもって恥ずかしかった。

芹菜は駅に向かって歩き出したが、前方から自転車がやって来るのを見て、一歩右によけた。

そのとき、勢いよく走ってくる自転車の目の前に何かが飛び出した。
どうやら黒い野良猫のようだ。

急ブレーキの音が響き、ジャッという音とともに自転車が横転した。

乗っていた男の人は、すばらしい動きで、自転車を見捨てて横とびに飛んで無事だった。

芹菜は心の中で、賞賛の叫びをあげてしまった。

午前中に通り雨が降ったせいで、まだ路面がぬれていたからスリップしてしまったのだろう。

ふと見ると、その人の持ち物らしい本が落ちている。
買ったばかりのようなのに、気の毒なことに泥水で汚れてしまっていた。

彼女はその本を取り上げると、倒れた自転車を起して点検している持ち主に声を掛けた。

「あの、これ?」

その人が驚いたように振り返った。

芹菜の心臓が跳ねた。
なんと大成の兄…誠志朗ではないか…

汚れた本を受け取って渋い顔をしている誠志朗の心に共鳴したように、芹菜まで顔をしかめてしまった。

「読めるかしら?」

心配になって言うと、本を裏返したりして点検していた彼が、「どうかな?」と苦笑した。

その笑顔があまりに眩しく、芹菜はぽおっと見惚れてしまった。

「乾けば、きっと読めますよ」

彼女の力づけるような口調が可笑しかったのか、誠志朗がクツクツ笑った。

セクシーだった。
彼女の体の芯が、ジーンと痺れた。

「その本、面白いですよね」

言ってしまってから気づいた。
彼は、まだ読んでいないから、買ったのに…

「これ、読んだの?」

「あ、はい。この著者、とても好きなので、新刊が出るとすぐ買って読むんです」

「ドキドキハラハラ感が堪らない?」

芹菜は肯定して、彼に向かってにっこり微笑んだ。

ふたりの視線がバッチリ合い、つかの間見詰め合ってしまった。

恥ずかさがこみ上げてきて彼女は俯いたが、沈黙が続き、慌てて話題を探した。

「自転車、大丈夫でした?」

「ああ、大丈夫そうだよ。…弟の黙って借りたんだ。壊してたらもっと高いやつを弁償させられるところだったな」

芹菜は苦笑した。
なんだかんだとねだってくる真奈香と同じだ。

「わたしも妹には手を焼いてます」

「お互い、大変だな」

「ほんとに」

ふたりはまた顔を見合わせた。

共鳴した心が無限に広がり、ふたりの周囲を甘い振動で満たしてゆく。
そんな言い知れない不思議な感覚を、芹菜は感じていた。

どれだけの時、そうして見つめ合っていたのだろうか、すぐ側を通り過ぎる車の音に、ふたり同時に現実に戻った。

「…車庫にいれとくかな」

誠志朗はそう言って、すぐ横にある車庫の方に自転車を押してゆく。

広い駐車場には三台の車があって、まだもう一台分ゆとりがある。

玄関の前の庭と同じく、この駐車場の周りにもきれいに花が飾られ、ガーデニングの本に掲載されている写真にも負けない雰囲気だった。

「きれいなお庭ですね」

うっとりと眺めながら芹菜は言った。

「母がね、庭弄り好きなんだ。君も花が好きなの?」

「はい。もちろんです。でも、花を嫌いな人なんていないでしょう?」

「まあ、そうかな。花の名前をほとんど知らない男はいるけどね」と、自分を指して言う。

「美しさだけ感じられれば、名前なんてどうでもいいんじゃないでしょうか」

芹菜はそう言って微笑んだ。

「ひとつ、持って行く?」

「えっ」

突然の申し出に芹菜が驚いているうちに、彼はひとつの鉢を手に取り、彼女に差し出してきた。

「これ、どうかな?」

白いビオラの小さな鉢植えだった。
まだ花はひとつで、いくつかの蕾が膨らみかけている。

戸惑っているうちに、芹菜は受け取ってしまった。

「でも、いいんでしょうか?」

「いいさ、喜んでもらえれば花も喜ぶよ」

「それじゃぁ、あの、大切にしますから」

本当に貰って良かったのか、かなり不安だったが、彼の笑顔にその不安も消し飛んだ。

「それじゃあ、あの…。そろそろ行かないと。妹と映画に行く約束してるので」

「ああ、すまない。引き止めてしまって、悪かったね」

「とんでもないです。きれいなお花までいただいてしまって。本当にありがとうございました」

本心は、妹との約束など、もうどうでも良い気分だった。
できることなら、彼とこのままずっと、一緒にいたかった。

でも、実際、約束を破れる性分ではない。

「映画、何を観に行くの?」

「えっと、藤城トウキ主演の映画です。題名はなんだったかしら…? 妹が大フアンなんです。トウキの」

「君は?」

「私ですか?私は、SFとかファンタジーものの方が好きです」

何かおかしなことを言ってしまったのか、彼が愉快そうにクックッと笑いだした。

「あの、何かおかしかったですか?」

「ううん。そんなことはないよ。僕も好きだよ」

その言葉に、芹菜の頬がボッと燃えた。
そしてまた、彼の声は芹菜の胸を、妙な具合に震わす。

「…それじゃ、私、そろそろ行かないと」

「ああ、また」

また…

その言葉は、身体が浮き上がってしまいそうなほど嬉しかった。

また、逢える。きっと…

彼がそう約束してくれたような気がした。

「はい」

必ずという強い思いを込めて芹菜は返事をした。

彼女は後ろ髪を惹かれるような思いで歩き出した。

曲がり角まで来て振り向くと、まだ玄関先で彼女を見送ってくれている彼の姿があり、芹菜は喜びで満たされた。

相当に名残惜しかったが、もう一度小さく頷き、芹菜はしぶしぶ角を曲がった。




   
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