君色の輝き
その25 掛け忘れた魔法 



エアコンが入っているから寝苦しさはないのに、色々なことが胸を乱して、芹菜はいつまでも寝付けなかった。

明日の仕事のことを考え、とにかく寝なければと必死で目を瞑るが、そうすればそうするほど眠気は遠くなるようだった。

仕方なく芹菜は起き上がった。

この部屋は、渡瀬家の客間だ。

必要なだけの家具も置いてあったのだが、健吾と由希子が競って彼女の喜びそうなものを買って来るので、カーテンはかわいらしいものになっているし、ぬいぐるみや、クッションなどで溢れ返り、客間の印象は消え去り、すでに芹菜の個室状態になってしまっていた。

芹菜は、窓辺に寄って、門の方に視線を向けた。

真帆はまだ戻って来ない。
透輝の看病で今夜は帰らないつもりなのかもしれない。

メールで少しだけやりとりをしたが、帰って来ないとは書いていなかったのだが…

時計を見ると、すでに2時を回っているのを見て焦りが湧き、芹菜は布団にもぐりこんだ。
横になっているだけでも、疲れは取れるだろう。

誠志朗のことを考えると、落ち着かない。

好きだと言ってもらえた事も、付き合うことになったことも、いまは喜びよりも辛さと苦悩の方が増してきていた。

彼が本当に愛しているのは、美しい真帆と芹菜の性格の融合体だ。

あの時の彼が、中身の芹菜だけを愛してくれていたのではなどと、都合のいい解釈をするほど浅はかではない。

誠志朗にとって、芹菜はどういう存在なのだろう?
彼は芹菜の外見をどう思っているのだろう?

彼女の魂だけで、彼は満たされるのだろうか?
そうは思えなかった。

彼は高校生の芹菜のことをなんら意識していなかった。
だから、礼状の返事すらくれなかったのだ。

…やはり身代わり…なのかも知れない。

その結論を受け入れたくはなかった。
けれど、どのみち、二週間だけのことなのだ。

それに、芹菜と付き合っているうちに、彼は自分の過ちに気づくかもしれない。
身代わりとしてしか、彼女を愛していないということに、気づくかもしれない。

アルバイトの終わりとともに彼女がいなくなれば、誠志朗はほっとするのかもしれない。

自分が涙を流していることに、芹菜は気づいた。

もう考えるのはやめようと涙を拭きながら芹菜は決心した。

思い悩みながら彼と一緒の時を過ごして、辛い記憶ばかり残すくらいならやめたほうがいい。

愛されてないとか、愛されたいなどと思い煩うのも止めよう。

精一杯彼を愛そう。この許される期間を大切にしたい。

少し気持ちが和らいできた。

愛することだけを考えればいいのだ。

それならばとても簡単だ。

芹菜は、ゆっくりと眠りに入っていった。
瞼は少し赤くなっていたけれど、口元には笑みが浮かんでいた。





翌朝、真帆はいつの間にか戻っていた。

疲れて寝ているらしい真帆をそのままに、今日は地方への出張があるから一時間ほど早めに出社するという健吾の車に彼女は同乗させてもらった。

早めの出社は好都合だった。

仕事は山ほど残っている。
少しでも終わらせておけば、連休中に仕事をするなんて悲惨なことにもならなくて済むかも知れない。

誘ってもらえるか分からないが、出来れば誠志朗とデートとかもしてみたかった。

ひっそりと静まり返った企画室の中に入っていった芹菜は、自分の机に向かって行く途中で、ハッとして足を止めた。

すでに誠志朗がいた。

机に突っ伏して、どうやら眠っているようだった。
芹菜は自分の机に座って、彼の寝顔を見つめた。

早い出社の特権を得られて、なんて運がいいんだろうと芹菜は思った。

彼を起こさぬよう、彼女は物音を立てないように気をつけながら仕事を始めることにした。

だが、誠志朗がやったのだろう、すでにかなりの仕事が終えられていた。
あとは、今日一日頑張ればなんとかなるかもしれない。

キーボードを叩く音が眠りを妨げたのか、すぐに、誠志朗が身動きしはじめた。
じっと見つめていると、ため息をつきながら彼が上体を起こした。

ふたりの目が合った。

「おはようございます」

芹菜はにこやかに微笑んで挨拶した。

誠志朗がパチパチと瞬きした。
ありえないものを見ているような顔だ。

「そんなに驚きました?」

「え、あ…芹香君…」

芹菜はくすくす笑ってしまった。
まだ寝起きで、頭がぼーっとしているのだろう。

「いったい何時くらいに出社なさったんですか?ほとんど仕事が片付いていて驚きました」

「ああ…」

誠志朗は、後頭部に手のひらを当てて、じっと考え込んだ。

その間、ずっと芹菜の顔から視線を外してくれず、彼女の頬がだんだん熱を帯びてゆく。

「君を…送った後、ここに戻ってきたんだ。元々仕事を片付けるつもりで来たら、君がまだいて…」

「まあ、そうだったん…あっ!ご、ごめんなさい」

「え、何が?」

「それ…、どうしよう」

誠志朗が芹菜の指差す、自分の胸の辺りを見下ろした。

「あ、しまった」

夕べ、彼女が誠志朗に抱きついた時についたシミだろう。
シャツに口紅とファンデーションの後がたっぷりついている。

芹菜は申し訳なさに顔を歪めた。

「一度戻るつもりでいたんだが。…間に合うかな。今何時?」

「あと、まだ五十分くらいあります」

「良かった。間に合うな」

誠志朗が急いで立ち上がった。
だが、数歩進んだところで、また芹菜を振り返った。

芹菜は誠志朗に微笑んだものの、彼のとらえどころのない表情に戸惑った。
彼女はどきりとして自分の頬に触れた。

「わ、私の顔、何か変なものでもくっついてるんですか?」

「いや、その」

誠志朗が控えめに笑い出した。

「ついていないから驚いたんだ。でも口紅くらいはつけた方がいいかな。なんだか…」

芹菜はバッと立ち上がり、自分の顔に両手をあてた。

真っ青になった彼女は、誠志朗の傍らを駆け抜けて企画室から飛び出した。

後ろから、彼女の名を呼ぶ誠志朗の声が聞こえた。




   
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