君色の輝き
その28 危うい会話 



芹菜は、大きなガラス窓の向こうに広がる、無数に輝く光の点を見つめていた。隣に立っている誠志朗も黙りこくったまま、見つめている。

市の経営している公園内にある、小さな展望台だ。それでも結構な高さがあったし、足元をじっと見つめていると、少し怖くなる。

この公園はゴミ処分場に隣接していて、そこから得られるエネルギーを使った温水プールも設けられている。

そんなに遠くはないところに住んでいる芹菜だったが、この施設のことはまったく知らなかった。

住んでいる市が違うとそんなものなのだろう。市外の誰でも使用出来るようだが、一応市民のための施設なのだろうから。

動物型の乗り物のコーナーや、トランポリンなんかも置いてあって、小さな遊園地という感じだ。

「ほんと、綺麗ですね」

「小高いところにあるから、見晴らしがいいな」

「よく来るんですか?」

「いや、そんなでもない。弟が小学校くらいの頃から、弟の友達も一緒に何度か連れてきたことがあるんだ。ここの温水プール」

芹菜は頷きながら、建物から外へと出ている、ループ状になったプールを見た。
どんどん人が流れてゆく。

「プール、いっぱいですね。あそこから人がいくらでも出てくる。不思議な感じ」

「今度、一緒に来る?」

「え…プールに?」

誠志朗が軽く頷いた。

彼と泳ぐ?
ふたりとも水着姿で。

そんなの無謀だ!

返事が出来ずに困っていると、ガラスに触れていた芹菜の手に、誠志朗の手がそっと重ねられた。

彼にはっきりとわかるくらい芹菜の肩がビクンと揺れた。

顔がカーッと熱くなった。大袈裟でなく頭の天辺から火を噴きそうだった。

感覚のすべてが左の手に集中し、彼の手のひらのぬくもりとともに、疼くようなくすぐったさを強烈に感じる。

芹菜は引きつった笑いを洩らしてしまいそうだった。

「どうして人がいるんだろうな?」

可笑しそうに口を歪めた誠志朗が、正面のガラスに向かって囁くように言った。

彼の言った意味が分からず、芹菜は返事のしようがなかった。

「誰もいなければよかったのに…」

握られた手にぎゅっと力がこもった。

芹菜の喉がきゅっと閉まった。
呼吸が出来ない。

それって、誰もいなかったら…ってことで。と、頭の中で、当然の想像が形を成した。

芹菜は苦しくなって、自分の胸をトントンと叩いた。そのおかげで、はーっと新鮮な息が吸えた。

誠志朗の押さえた笑い声が耳に響いてきた。

もしかして、からかわれたのだろうか?

芹菜は傷ついて、彼から顔を背けた。

「そろそろ降りようか?」

そう言うと、誠志朗は芹菜と手を繋いだまま歩き出した。





「明日は、何か予定がある?」

渡瀬の家の前で車が止まってすぐ、お礼を言って車から降りようとした芹菜は、誠志朗に腕を取られて引き止められた。

「はい。家族で一泊旅行に。それと、父の生家のお墓参りも。お盆の恒例行事なんです」

「それじゃ、次に逢えるのは…」

誠志朗の声が芹菜の心に共鳴して、とても切なく響いた。

芹菜はめまぐるしい勢いで計画を立てた。

旅行先で一泊した次の日の午後には、お墓参りを終えられる筈だ。

その後は家族みんなで父の祖父母のところでもう一泊することになる。

だが…そんなことをしていたら、彼と逢える日が、どんどん先延ばしになってしまう。

芹菜は即決した。

「明々後日なら、大丈夫です。明後日の夜には、もうここに戻っていると思います」

「明後日の夜は何時に戻るの?良かったら君の家まで僕が迎えに行くのは…駄目かな」

「家族は父の祖父母の家に泊まるんです。でも私は、電車で先に帰ってくるつもりですから」

「…それって、もしかして僕のため?」

言い当てられ、恥ずかしすぎて顔が上げられなかった。

「これ、携帯の番号。登録しといて。明後日、どこへでも迎えに行くから、連絡して欲しい」

芹菜は差し出された四角い紙を受け取った。
名刺の裏に、携帯の番号が手書きされている。

「これがプライベートな携帯の番号だから。掛ける時は、こちらに掛けて」

「それじゃ、わたしのも…」

バッグを開けようとした芹菜の手を、誠志朗が止めた。

「いや、やめておく」と、なぜか苦笑しながら言う。

「聞いてしまったら、君の迷惑も考えずに掛けてしまいそうだから」

迷惑でも何でも良いから、掛けて欲しい気がした。

「旅行、どこに行くの?」

「さあ?」

「聞いていないの?」

芹菜は笑いながら頭を振った。

「四季毎に、年に四回、行き先を知らずに父の連れてゆく場所に行くんです。草原だったり、ちょっとした山登りだったり、結構ハードな遊歩道をひたすらてくてく歩いたりとか。泊まる場所もとても寂れた宿とかなんですよ。でもせせらぎが聞こえたりする心が和むところが多いです」

「一緒についてゆきたくなるな」

「そうですか?でも、去年の春は酷かったですよ。二十キロ近い遊歩道を歩かされたんです。もう足がパンパンになっちゃって、みんな靴擦れは出来るし、母も考えがないってカンカンでした。でもその場所、とにかく歩き通さないことにはどうしようもなかったんです。電車もバスもなくて」

誠志朗が愉快そうに笑い出し、芹菜まで嬉しくなった。

「今回はどんなところだろうな」

「うーん、夏ですから、涼しい草原とかがいいんだけど…。父はひとの想像の枠を超えるのが好きだから」

「逢ってみたいな。…いつか逢えるかな?」

含みのある言葉に、芹菜は黙ったまま微笑んだ。

そんな日は来ないだろう。胸に寂しさが湧いた。

「お父さんの仕事は?…聞いてばかりだな。すまない」

「いえ、構いません。高校の先生です。母も。母は中学の先生ですけど」

「そうなのか?君は学校の先生になるつもりはなかったの?」

「なる…つもりでした。でも、事故に遭って、リハビリの経験して。今は理学療法士とどちらがいいのか、迷ってるんです」

「それじゃ、これからその専門の学校に行くつもり?」

「まだ分からないけど」

「短大だと、小学校の教員免許が取れるんだな。教員の免許は持ってるのか? あっ、そうか、事故に遭ったのは十二月だったんだな。…あの事故のせいで、君の人生は…変わってしまったんだな」

そう言った誠志朗が、思い出したように芹菜に向いた。

「そうだ、もうひとつ聞きたいことがあったんだ」

めまぐるしく進んでゆく誠志朗の話の内容に、芹菜はひやひやした。

どこかでボロが出るかもしれない。
彼の勘の鋭さは、すでに体験している。

「歩道橋での事故の時、どうしてあの場所にふたりがいたんだい? 令嬢は仕事中に僕と口論して飛び出して行ったんだ。事故が起きたのは、そのすぐ後って聞いたけど?」

芹菜は瞬きできなくなった。なんの言い訳も浮かんで来ない。

適当なことを言えば、彼は不審に思うだろう。

「…そう言えば」

誠志朗が眉をひそめた。
今度はいったいなんだろうと、芹菜の背中に緊張が走る。

「君が令嬢でいた間、あの令嬢が君の代わりに…」

誠志朗の顔が青ざめた。

「だ、大丈夫だったのか?いろんな意味で。い、いまさらだけど」

「確かに、大丈夫とは言えなかったこともあります」

芹菜は、話題が進んでくれたことに、心底ほっとした。

このまま、先ほどの問いを彼が思い出さないでいてくれれば…

「でも、大丈夫です。私が意識を取り戻してからは、頻繁に会ってましたから。でもこれからが大変です。まだわたし、自分の世界に戻ってないから。真帆さんが私の印象をがらりと変えてしまって、かなりがっかりするひとがいるはずです」

芹菜は話の展開をどんどん進めてしまいたくて、早口に思いついたことをすべて口にした。

「がっかりする?」

誠志朗の反応に、彼女は満足した。
もうここまで来れば大丈夫だろう。

「そう。がっかりするでしょうね。真帆さんは、私と違ってとても輝きのあるひとだから。私みたいに引っ込み思案じゃないし。真帆さん、けっこう多くの男子生徒に思いを寄せられてるみたいだし。…そんなこともあって、元の生活に戻るの、かなり怖いんです。」

「えっ? 令嬢、君の代わりに教員でもしてたのか?」

「えっ」

「違うのか? 男子生徒って言ったから」

「あ…、き、喫茶店のバイトです。高校が近くて、学生がいっぱい来てたとかって…」

「なんだ、ウエイトレスか。それなら話が分かる。でも、君がそこのバイト続けるなんてことはもうないだろ。このまま、今の仕事を続けたら?」

誠志朗が気づくのではないかと思うほど、彼女の心臓は飛び跳ねていた。

「り…理学療法士が…」

「ああ、そうだったな」と言い、誠志朗が苦笑いした。

この状況の危うさに怖れを抱き、芹菜は会話を打ち切ることにした。

「あの、それじゃ、そろそろ行きます」

「そうだな。引き止めてごめん。それじゃ、明後日、連絡待ってるから」

芹菜は強張った笑みを浮かべて車を降りた。

「それじゃ、明後日」

「はい、おやすみなさい」

芹菜は安堵感を得ながら急いで門をくぐったが、家に入った途端、別れの寂しさに囚われた。

だが、二週間経ったら、本当の別れが来るのだ。
たった二週間…で…

悲しみが否応なく胸に迫る。

でもまだ終わったわけじゃない。
彼との始まりがあっただけ、良かったと思わなければ…




   
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