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その7 気の進まないお見舞い
「令嬢、ご機嫌いかがー」
ノックの音と同時にドアがガバッと開けられた。
小さくて丸っこい女性が、トタトタという感じでソファに座っていた芹菜に近づいてきた。
えーと、この人は…
記憶をたぐりよせ、芹菜は臍を噛んだ。
またか…
口の悪い真帆。
この女性、成田葉子にもかなり失礼な言葉を投げかけている。
「ずいぶんとやせちゃったんですねぇ、超羨まし〜い。真帆さん、元気してた?」
その言葉にぷっと吹き出したとき、丸っこい女性の後に入ってきていたらしい女性が駆け寄ってきた。
「真帆ちゃんっ!とってもとっても心配してたのよ」
この人は杉林千尋さんだ。とすぐに分かった。
真帆がかなり彼女を気に入っているのも。
杉林は芹菜の身体を気遣うように隣に座り、成田は真向かいに座った。
「はい。これ、みんなからのお見舞いだよ。高級チョコレート、おいしいよ」
そう言うと、成田は紙袋からきれいに包装された箱を取り出してテーブルに置いた。
「これも」
杉林も可愛らしい花篭を、先ほどのチョコレートの横に並べて置く。
芹菜はふたりに改めてお礼を言った。
「心配かけてしまって、すみません。お見舞いありがとうございます」
言ってからしまったと思った。もう少し親しい感じで話すべきだった。
真帆からは、あなたはあなたらしくいればいいと言われていたから、真帆のイメージを損ねることを心配しなくても良かったが、相手にあまりに驚かれると、なんだか申し訳ない気分に陥る。
真帆が気にするなと言ったのは、もちろん芹菜の身体を自分の好きに使っているからだ。
自分がそうしている以上、芹菜になんだかんだと言えるわけもない。
杉林が声もなく、呆気に取られているのを見て、芹菜は仕方なさそうに微笑んだ。
「やだー、令嬢ってばぁ あはははは」
芹菜の言葉をジョークと取ったのだろう。成田がガハガハ笑う。
ほっとした芹菜は、俯きがちに頬を染めて笑った。
途端に成田の笑い声がやんだ。
どうしたのだろうとおずおずと顔を上げると、彼女の顔をじーっと見ている4つの目があった。
唖然としているふたりに、芹菜は戸惑い、遠慮がちに語りかけた。
「あ、あの。どうかしました?」
「…令嬢、頭でも打っておかしくなっちゃったの?」
「葉子ちゃん」
間髪いれず、杉林が成田を叱責した。
ふたりのやり取りが面白く、芹菜はふふふと笑ってしまった。
「そうみたいなんです。ほんとに頭打っておかしくなっちゃったみたいで」
言葉だけでなく、彼女の仕草のすべてが、ふたりの目に奇異に映っているとも知らず、芹菜は頬の熱を感じてそっと指先で触れた。
その姿が、可憐で清楚な美女に見えるなんて、芹菜は思いもしない。
「ほんとに、変わっちゃってる」
今度は千尋が惚けた声で言った。
たとえ初めどんなに驚いたとしても、人の驚きは持続しない。
先に驚きを消化し終えた成田が、部屋の中を珍しげに眺めまわした。
「わぁ、さすが令嬢、すっごーい」
彼女の目に飛び込んだのは、DVDとCDの山だ。
真帆の父が、彼女が退屈しないようにと用意してくれたのだ。
成田はDVDの山から、SFファンタジーものの『果てしない宇宙』を選びだした。
「これの続編の『遥かなる未来』は公開されてすぐに観たんだけど、前編のこれ、まだ観てなかったんだぁ」と嬉しそうに言う。
「ね、令嬢、リモコン操作してよ。わたしって、こういう機械ものメッチャ弱いんだよね」
成田にリモコンをひょいと差し出され、芹菜は困ってしまった。
「令嬢?」
不思議そうにみている成田に、観念して片手をあげてみせる。
「手足が麻痺してる状態なので、リモコン操作出来ないんです。ごめんなさい」
杉林がはっと息を呑んだ。
成田は言葉がすぐに理解できなかったかのように「麻痺ぃ」と叫んだ。
「徐々に良くなってるんです。でもいまはまだちょっと…」
杉林が、そっと芹菜の手を取った。両手に挟んでやさしく癒すように包む。
杉林の目じりに涙の粒が浮かんでいるのをみて、芹菜は鼻の奥がつんとした。
真帆はほんとうに良い友人を持っている。
その間に、芹菜の空いている方の隣に腰掛けた成田が、苦心しながらビデオの操作をした。
大画面のテレビに、映画のタイトルが浮かび上がった。
「もう、葉子ちゃん、駄目よ。そろそろお暇しなきゃ。真帆ちゃんはゆっくり休まなきゃならないのよ」
成田の傍若無人な振る舞いに、ほとほと呆れたらしい。
杉林は、「また来るわね、今度は一人で」と苦笑しながら耳打ちすると立ち上がり、嫌がる成田を無理やり連れて帰ってしまった。
芹菜はビデオを止めようとリモコンに手を伸ばした。
だが、どうしてもスイッチが切れない。
痺れた手では到底難しい。
不自然に曲がっている指先を押しつけて切ろうとしたら、音量の方が上がってしまった。
芹菜は苦いため息をついた。
諦めて看護婦を呼ぶことにし、自分のいる位置を思い出して、自虐的な笑みを浮かべる。
杉林と成田がやって来る前に、リハビリの治療をしてもらっていたのだが、それが終わってべッドに移動させてくれようとするのを、しばらく座っていたいからと断ったのだ。
おかげでナースコールは遥か遠い。
足首が使えない今、立ち上がってあそこまでゆくのはとても無理だ。
次に看護婦が来てくれるまで、我慢するしかない。
それか、新しい見舞い客でも来てくれれば…
それにしても、成田さん面白かったな。と芹菜は微笑んだ。
帰ってしまって、ひどく残念だった。
そろそろオープニングが終わり、これから本編が始まろうとしている。
せめて居心地良くしていようと、ソファに深く凭れたところで、ドアがノックされた。
芹菜は嬉々として振り返った。
この際誰でも良い。
いま来てくれたお客様は、諸手をあげて大歓迎という気分だった。
「はーい」
彼女は朗らかに返事をした。
「失礼する」
芹菜は朗らかな笑顔のまま凍りついた。思考が完全停止した。
「加減はどう?」
ドアの前に立ったまま誠志朗が言った。
芹菜はぎこぎこと首を回して前に向いた。
全身が硬直している。
返事がないのに戸惑ったのか、しばらく沈黙が続いたが、近づいてくる気配がした。
何か話さなければと思うものの、舌が麻痺して言葉が搾り出せない。
膝の上にある指先が曲がったままの両手を見て、なんだか羞恥心が湧き、芹菜は急いで脇にすべり落とした。
無意識にテレビ画面を見つめた芹菜の視界の端に、誠志朗の身体が映る。
芹菜はきゅっと目を閉じた。
「返事は…なしか」
面白がっているような言い回しだった。
けれどはっきりとした軽蔑を感じ、芹菜はフルッと身体が震えた。
でも、なんと返事をすれば良いのか分からない。
彼はどうしてここに来たのだろうと、疑問が渦巻いていた。
真帆とは犬猿の仲だと認識して安心していたのに…
「これ、いったん消したら」
俯いていたら、彼がそう言った。
思わず顔を上げてテレビを凝視してしまう。
「ストーリーが分からなくなるだろう?」
「別に…観てないので…」
怒りを我慢するような、誠史朗の長い吐息が聞こえた。
芹菜はその冷たい吐息に胸が締め付けられ、居心地の悪さに身を縮めた。
「なら、切ったらどうかな。少々音量がでか過ぎて、うるさいようだし」
ソフトな語り口なのに刺がある。
彼は、こんなに意地悪なものの言い方をすることもあるのかと思う一方で、以前、会話した時のやさしい語り口を懐かしく思い返している自分に気づいて唇を噛んだ。
「あの、切ってもらえませんか?」
そう、おずおずと頼んでみた。
手が使えないものだから、ついリモコンを顎で示してしまった。
しまったと思った。
顎をしゃくって、ひとに物を頼むなんて…
「自分で切ればいいだろう」
恐ろしく冷ややかな声だった。
怒鳴られた方がまだましだった気がした。
「す、すみません。そんなつもりじゃ…」
「なかった?」
嘲るように先を続けられて、芹菜は黙り込んだ。
目じりに涙が浮いて来ていた。
絶対にこぼすまいと、芹菜は唇をかみ締めてぐっと我慢した。
「あの、どうして、ここにいらしたんですか?」
「あ…」
そう声に出すと、彼がぐっと詰まった。
「そうだった。君に詫びに来たんだった」
今度は自嘲するように言う。
「君が事故に遭ったことが、僕にも責任があるような気がして…」
その思いがけない言葉に、芹菜は思わず彼に顔を向けてしまった。
ふたりの視線がかち合った。
だがその瞬間、彼が嫌そうに視線を背けた。
これは真帆に対しての態度なのだと、いくら言い聞かせても心は切なかった。
「僕とやりあった直後だったから」
芹菜は、冷静さをかき集めるように息を吸い込んだ。
「あなたに一欠けらも責任なんてありません。あれはわたしの不注意が招いたことです」
映画の場面が戦闘シーンに変わり、耳にわずらわしかった。
「あの、用事がそれだけなら帰っていただけます」
声が震えないように、淡々と告げた。
誠志朗がむっとしてこっちを向いたのが分かったが、テレビ画面を直視したまま芹菜は彼のことを無視した。
「わかった」
その言葉を最後に彼は出て行った。
背後でドアが閉まった時、辛抱していた涙が幾筋も零れ落ちた。
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