君色の輝き  
その8 お金は偉大



「あいつ、来た?」

芹菜は、目を丸くして真帆を見た。

真帆も赤くなることがあるのだなと純粋に感動したのだ。

「何ひとりでコクコク頷いてるのよ」

「いや、ただ、珍しいものみたなぁと思って」

「あんたってさ、案外、意地が悪いよね」

芹菜はマジに驚いた。

そんなこと、これまで言われたためしがなかった。

なんだか嬉しかった。

「え、そうですか?」

声に笑いがにじむ。

「何喜んでんのよ。褒めてないって」

「ふふふ、もちろん褒められたとは思ってません。それより透輝、来ましたよ」

ため息をついていた真帆の頬が、またぽっと赤くなった。

芹菜は、しみじみと真帆の、いや、自分の顔を観察してしまった。

私って自分が思ってたよりは、きれいだったかも…

そんな自分の思いに苦笑してしまう。

第三者の立場で自分を見るなんて、こんな経験しちゃうなんて…

「それで…」

「え?」

「もうぅぅ」

椅子に座った真帆が、地団駄を踏んだ。

芹菜は思い出すまま、透輝がやってきた夜の出来事を包み隠さず話した。

その後、透輝はまだ現れていない。

話を聞き終えて、真帆は「そっか」と呟いた後、ジーッと芹菜を見つめて来た。

こういう時は要注意だ。

「それにしても、あんたが宮島を…」

「わーーーーー」

芹菜は思わず大声で喚いた。
あまりの大音響に、真帆が両耳を塞いだ。

「それ以上その話題に触れたら、例の頼み事、聞きませんからね」

真帆が口をへの字に曲げた。

「分かった分かった。もう言わない。だから頼むわよ」

「月2万ですよ。いいですね。値上げしようなんて思わないように。絶対に駄目ですからね」

ぶすーっと膨れた真帆を見て、芹菜はため息をついた。

真帆の金遣いの荒さは尋常ではない、ほんとうに湯水のごとく使うのだ。

芹菜となってからも、彼女はエステに、高級ブティックにと通いつめた。

そのお金がいったいどこから出たのかというと、芹菜の貯金通帳。

お年玉やお祝い事の度にもらったお金を、芹菜は貯めてきた。
それが百万近くあったはずだ。

そのお金を、真帆は使い切ってしまったらしかった。
本人はまだ残ってるというが、たぶん数百円だろうと、芹菜は踏んでいる。

人のお金に手をつけるなんてと怒ったら、「本人じゃないの」と済まして言い、「あなたはいま真帆なんだから、お父様からお小遣いいくらでももらえばいいのよ。それに元に戻れたらちゃんと返すから」と真帆は言った。

はっきり言って、こういう真帆には着いてゆけない。

真帆は一日置きくらいに病院にやってくる。

部活が終わってからだから、せいぜい一時間ほどしかいられない。
それでも真帆が無理をしているということを、芹菜も分かっていた。

芹菜の所属しているテニス部は、かなりハードに活動している部だし、試合の前には土日も練習ということもある。

それに模擬試験などもあるから、休みはほとんどないくらいだ。

ただ、真帆は以前からテニスをやっていたそうで、部活そのものは心から楽しんでやっているようだった。

「それで、勉強の調子はどうですか?」

「まあ、心配ないって」

へらへらと真帆が笑った。
芹菜はピンときた。

「模擬テスト、そろそろ結果出るって言ってましたよね」

ぎくっと真帆が身体を揺らした。

「芹菜ちゃん、まあ、大丈夫だって、ね」

真帆のテストの詳細を聞いて、平気でいられたらロボットだ。

芹菜は眉を寄せたまま考え込んだ。

真帆は目の前で見舞いの品を嬉々として物色している。

「わたし、家庭教師をします」

「へぇー、誰の?」

ピンクの箱をコトコトと揺らしながら真帆が言った。

芹菜は真帆の鼻を、ピンと指でついた。

「な、何すんのよぉ」

「明日夕方までに、お父様に頼んで参考書を揃えておきますから」

「えーーっ」

鼻の頭に皺を寄せて、真帆が不平を言った。

「来なかったら…」

言葉を止めて、芹菜はじっと真帆を見つめた。

「お小遣い…」

真帆の悔しそうな呟きに、芹菜はふっと笑った。

もうすぐ両親が来ることになってるから逢ってゆく?と、真帆に聞くと、今日のとこは帰るわと、あっさり引き上げて行った。

真帆はすでに何度となく両親に会っていたが、やはり辛いことだろうと思う。

芹菜だって、平常心でいられる自信はない。
きっと何もかもどうでもよくなって、母の胸に取りすがって泣いてしまうだろう。

真帆が帰って三十分もしないうちに両親連れ立ってやってきた。

娘の身体が回復しつつあるいま、始めに感じられた両親の反目も消え去ったようだ。
もともと仲の良い夫婦なのだと真帆からも聞いた。

彼女の顔を見たふたりは、顔色がとても良いと、それだけで大喜びしてくれる。

私はあなた方の娘ではないんですと告げたら、彼らはどうするだろう?

もちろん信じはしないだろう。
娘が事故のショックでトチ狂ったと思うだけだ。

私は芹菜に戻れるのだろうか?
その問いは、いつでも彼女を翻弄させる。

一生このままだったら、どうしたらいいのだろう?

「真帆、どうしたの? 私、何かいけないことでも言ったかしら?」

真帆の母におろおろした口調で言われ、芹菜は自分が涙を流していることに気づいた。

心細さを振り払い、頬の涙を不器用な動作でぬぐう。

「なんでもないの。なんでも」


しばらくたって、両親から帰ると告げられ、ドアまであと数歩というところまで行っていたふたりを、彼女は呼び止めた。

「あのー、お願いがふたつあるんだけど」

戻ってきた両親を前にして、なかなか言い出しにくかった。

自分の両親にすら、めったにお小遣い以外のお金をねだったことはない。
これも真帆との取引のためと決心して「お小遣いが欲しいの」と切り出した。

途端に、健吾が笑い出した。

「何かと思ったら、そんなことか」

「あ、でも金額が多くて」と、ためらいがちに補足した。

「えっ、どのくらいだ。いま持ち合わせは10万ほどしかないんだが」

芹菜は目を丸くして驚いた。

ぶるぶると勢い良く首を振り「に、2万でいいのっ」と上ずった声で叫んだ。

「で、もうひとつは?」

何か含むような視線で娘を見ていた由紀子が、そう促してきた。
芹菜はその含みに気づいて、由紀子と視線を合わせた。

たぶん由紀子は、芹菜の変わりようを一番敏感に感じている。

他のひとは、いまの真帆をすぐに受け入れたけれど、由希子は何かを本能で感じている、そんな気がして仕方なかった。

もし、ふたりの入れ替わりを誰かに告白するとすれば、きっとお互いの母親しかいないだろう。

「参考書。芹菜ちゃんの勉強みてあげることにしたの」

「お、お前がか…」

目玉が飛び出たような形相で言って欲しくない。

真帆は仮にもあなたの娘ですよ。と芹菜は心の中で呟いた。

「いいんじゃない。リハビリと検査以外やることなくて退屈なんでしょうから」

「ああ、退屈しのぎか…」

ぶっと噴き出すと、芹菜は笑い出した。

こんな事態に陥ってても、人間はちゃんと、心の底から笑えるものなのだ。




    
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