|
「だーかーらー、無理だって」
「もう決めたんだ。お前が間違えたら、何度でも撮り直ししてやるからな」
殴ってやりたくなるぐらい意地の悪い楽しげな顔に、透輝は怒りを通り越して呆れて来た。
「撮り直しばかりしてたら、予算がかさんでスポンサーが怒るんじゃないの、久野さん」
「今回はうまく行く。そう分かるんだ」
この台詞は、以前にも耳にした。
透輝は脱力感にさいなまれた。うまくいかなかったことも覚えている。
「雪の降る中、降る角度が悪い、雪の質が思ってるのと違うとかいって、俺を散々な目に合わせたときも、撮影に入る前、久野さん同じ台詞言ったよ」
「そうだったか? だがあんときも、最高の映像を撮れたし、賞も貰った」
うんうんと自分を自画自賛しているに違いない表情で、目じりを下に垂らかしている。
透輝は時計を確かめて、立ち上がった。真帆と会う約束の時間が迫っている。
このひげ男とこれ以上一緒にいても、むかつきが増すばかりだ。
「おい、まだ終わってないぞ。この中から早く選べ」
透輝はテーブルに並べられている写真をさっと見つめて首を振った。
「どの子も同じにしか見えない。無理だ」
「撮影は、九月の第一土曜日だぞ。一枚選んでくれれば会わすから、そしたら見誤る確率も減るさ」
「確率に賭けてんのかよ」
透輝は、写真を睨みつけた。
同じ制服、同じ髪型、おまけに背格好まで同じなのだ。
もちろん顔はそれぞれだが、後姿だけでこの中のひとりを…
透輝はふいに良いことを思いついた。
「久野さん、確率が格段に上がる子がいるんだ」
「なんだ、真帆君は駄目だぞ。あのスタイルじゃ、浮く」
「真帆じゃないんだ。これ見て」
透輝はそう言いながら携帯を取り出した。
「真帆、頼むから。協力してくれよ」
「やーよ。芹ちゃん騙すなんて、恐ろしいこと言わないで。私まで巻き込まないでよ。ひとりでやればいいじゃない」
透輝は唇を尖らせて天井を睨んだ。
もう一時間ほども説得しているのに、真帆はまったく応じてくれない。
こうなったら仕方が無いと、携帯をポポポンと、プッシュした。
「芹菜、俺、透輝だけど。頼みがあるんだ」
うろうろと歩き回りながら話をしていた透輝は電話を終えて、椅子に座り込んだ。
「知らないわよ」真帆が鋭い目で睨んできた。
「大丈夫だって。自信あるんだ。芹菜なら他の奴らとなんか絶対に間違えない自信が」
「意味が違うってば」
「意味って?ところで芹菜のスリーサイズ分かる?身長と…髪型はまあ大丈夫そうだな」
「馬鹿っ!」
透輝は馬鹿の一言にむっとして真帆を見た。
真帆の口の悪さには慣れたつもりだし、悪意がないのも分かっている。
それでも胸のあたりがツクンとするのだ。
芹菜の真帆のやさしさや可憐さを、真帆に求めてはいけないことくらい分かっている。だが、もうほんのちょっぴりでいいから、やさしさを感じさせて欲しかった。
愛しているのは真帆だ。それ以外の女など考えられない。
なのに、どうしても芹菜の真帆が忘れられないのも事実だった。
ふたりまとめて結婚できたらいいのに。
真帆が聞いたら、即、崖から蹴落とされそうなことを、つい考えてしまう透輝だった。
真帆を助手席に乗せて、楠木家に向かう透輝は、気が気ではなかった。
「芹菜、明日、来れるよな。もう熱下がったんだろ」
「たぶんね。午前中に話したときには熱は下がってるって言ってたから」
「また熱が上がってたら、どうすればいいんだよ」
「その時は仕方ないんじゃないの」
「仕方ないじゃすまないんだよっ」
透輝は思わず真帆を怒鳴りつけ、ハッと口を噤んだ。
「ご、ごめん。つい」
「まあ、いいわ。いらいらする気持ちもわからないじゃないから」
透輝は目を丸くした。
「なによ、その顔は」
「いや、嬉しいなと思って」
「怒鳴られなかったくらいで、嬉しがらないでよ。普段の私がよほど酷いみたいに聞こえるじゃないの」
結局は怒鳴られてしまった。
その台詞からすると、真帆の自覚はやはり低いようだと透輝は哀しくなった。
楠木家は二階建ての、それほど大きくない一軒家だった。
それでも庭もあれば車庫もある。
「車庫に入れちゃえばいいわ。父さんは、この時間じゃ、まだ帰って来ないから」
「まるで自分の父親みたいに言うんだな」
真帆がふっと目元を和ませて笑った。その瞳に愛がほのみえている。
透輝は目を細めた。胸に喜びのさざなみが立つ。
こういう時の真帆は本当に美しい。
「父親だもの。芹ちゃんも同じだと思うわ。私の両親も彼女にとって、いまは両親と同じの筈よ」
「そんなものなのか。面白いな」
車を降りて二人は玄関に向かった。
「私、思うのよね。芹ちゃんと私は双子の魂なんじゃないかって。ふたりはどこかで繋がってるの、きっと」
「それ、俺も分かる気がする。俺にとっても、芹菜はなんか特別に感じるもんな」
「それで行くと、わたしと宮島だって少しは特別な意識芽生えても良いはずなのに、不思議ね。宮島には敵対意識しか湧かないわ。芹ちゃんのことも…私の大事な物を取る嫌な野郎としか思えないのよ」
「宮島って、誰?まさか芹菜の…」
「ああ、もう複雑にしないでよ。この場面であんたの気持ちなんかどうでもいいわ」
透輝はまた、胸に痛みを感じて黙り込んだ。
「透輝は少し待ってて。ワンクッション置いたほうが良いわ。母さんあんまりびっくりさせたら、かわいそうだから」
真帆が呼んでくれるまでかなりの時間が掛かった。だが、母親の芹菜を呼ぶ声が聞こえたし、玄関先に芹菜の声がして心が浮き立った。
「お望みの彼女と、久々のご対面よ」
真帆が玄関から頭を出して言った。透輝は中にすっと入って行った。
「透輝!」
芹菜は真帆の時があるからか、真帆が彼を呼び捨てにするからか、彼の名前を呼び捨てにする。真帆だってさん付けで呼ぶのに、自分が特別な気がして気分が良かった。
帽子とサングラスを外し、透輝は芹菜に微笑みかけた。
… … …
芹菜の妹と母親のことを思いやって、透輝は真帆と早めに帰ることにした。
外まで見送りに出て来た芹菜に明日のことを念押しした。
実際、今日はこのためにやって来たのだ。
困った顔の芹菜に、彼は必死で大丈夫だからと説明した。
真帆が芹菜を迎えに来ると言って聞かないので、仕方なく迎えは頼んだのだが、はっきりいってものすごく心配だった。
芹菜に、真帆と三人のデートを約束させて、透輝は得々として帰路に着いた。
撮影開始まで、透輝はバスの中に缶詰状態だった。
外には山ほどの女子高生に扮した女達がいる。
たしかに現役高校生も多いだろうが、まず半分はそうではないはずだ。
「入りました。楠木芹菜さん」
スタッフからの連絡が入り、それを聞いて透輝は心からほっとした。
それからだいぶたって、やっと撮影が始まった。
透輝の出番は、最後尾のグループが出発したすぐ後だ。
本当に芹菜を見つけられるだろうか?
だんだん不安が湧いてきた。
万が一、芹菜と見間違えて違う子を抱き上げたら、そこで撮影はストップ、また最初から撮り直しだ。
はじめの位置に戻るのに、かなりの時間が掛かるだろう。
一度の取り直しが、どれだけ時間をロスするか分からない。
それがすべて透輝に掛かっている。
プレッシャーに押しつぶされそうになったが、膨張するプレッシャーと対立するように理由の無い自信が湧いてきた。
「透輝さん、出番です」
彼はバスからすっと降りた。黒いズボンに白のシャツ。
撮影のためにうっとおしいほど伸ばした前髪、掻きあげたいのをぐっと堪える。そうするなと指示が出ている。
合図があって、透輝はゆっくりと駆け出した。
目標はずいぶん前のはずだが、目の前に同じ姿の女の子達が群れをなしている。
その情景に、確実なはずの自信がいささかぐらついた。
彼の周りで「きゃー、トウキ」という悲鳴に近い声が上がり「しゃべるなっ」という怒号が響き渡った。途端にシーンと静まり返った。それからは誰も一言もしゃべらなかった。
透輝は前を見つめてひたすら駆けた。
右手に歩道橋が見えてきた。
そろそろ芹菜の姿を捉えられるはずだ。
そう思った時、ひとりの背中が目に飛び込んできた。はっきりと分かった。あれだ。
透輝はその目標に向かって少し足を速めた。
なるべく歩道橋の直前で捕まえてくれと監督は言っていた。
出来なければ無理は言わないがと。
彼女まであと少しというところで、歩き続けている彼女を不自然でなく抱え上げられるだろうかと不安になった。だが、なぜかまるで透輝に気づいたとでも言うように、目の前にした芹菜が立ち止まった。
自分でも驚くほどうまくいった。
芹菜は軽く、透輝に持ち上げられてほんの少し宙に舞った。
前に回りこむと、ひどく驚いた芹菜の顔に出くわし透輝は微笑んだ。
その頬にそっとキスをすると、透輝は彼女の手を取って走り出した。
ものすごい開放感を感じた。
このまま空までだって飛んでいけそうだった。
小さな小部屋で、透輝はため息をついた。
出来上がったCMを見せてくれるという久野監督の申し出は嬉しくもあったが、芹菜を他の男に取られたショックからまだ立ち直れなかった。
あの男には見覚えがあった。
芹菜の真帆が入院していたとき、彼女の見舞いに来ていたところに出くわしたこともあるし、会社の前で真帆を待ち伏せしていたときも、あの男が最後に出てきて、彼のことを睨みつけた。
嫌な野郎だ。
そういえば、真帆もあいつのことをそう言ってたなと思い出して、透輝は少し気分がすっとした。
「よ、お待たせ」と、久野が部屋に入ってきて、上映が始まった。
上映といっても、写しているのはただのテレビだが。
数字がカウントされ、画面全体に女子高生の群れが現れた。
少し明るく、スキップを踏みたくなるようなメロディーが画像を装飾している。
カメラがクルリと回り、少しズームインした後、全員がシャンプーとリンスを持ち上げた。
瞬間、音楽が止まり、画像が一瞬でアップになった。
真ん中にいた女の子が、みんなより一テンポ遅れて、両手をぎこちない動作であげながら顔をあげた。
どきりとした。
見ているこちらが信じられないほど切なくなった。
心細そうな表情と、戸惑ったように開かれた両腕と両手のひら。
また、どんとアップになった。
言葉に出来ない不思議な瞳の輝き、少し開いた唇。
そして最後に彼女の瞳が閉じた。
もう一度見たい。その瞳を。そう思わせる。
「ひょーっ、さ、さ、最高だっ!何度見てもいいっ!」
久野が自分の膝をバシバシッと叩きながら言った。
その言葉に一度頷き、透輝は瞬きもせずに画面見つめ続けた。
場面が変わった。
同じように見える女の子の波を掻き分けて走る彼の背中。
歩道橋が見え、彼がひとりの女の子を抱き上げた。
ここだけスローになり、芹菜の身体がふわっと浮く感じがさらに増している。
彼女の前に回りこんだ透輝の表情に、彼自身が驚いた。
「げはっ」
透輝の口から思わずそんな叫びが洩れた。
顔中真っ赤になったに違いない。
一瞬で頭全体が熱くなった。
「うっわー」と叫びながら両手で顔を覆い、透輝は後ろにのけぞった。
指の隙間から覗くと、手を繋いで走っているふたりが見えた。
文字が淡く、そしてはっきりと浮かんでくる。
『君の髪の輝きは特別』
「一騒ぎあるだろうな。話題作りになる。喜ぶぞ、スポンサー」
椅子に座ったまま、身体全体を跳ねらかしながら、久野が嬉しげに喚いた。
透輝は真っ青になった。
そんなことになったら、真帆と、あのいけすかない野郎から袋叩きにされる。
いや、三人か…な。
「久野さん、あんな、あんなカット…あったのか…」
久野が待ってましたというように、得々とした顔を透輝に向けた。
「前もって見せたら、お前、使うなって言っただろ」
なぜか怒りは湧いてこなかった。
それよりも背骨から力が抜け、よろめいて倒れそうになった。
「こ、このコマーシャルって、いつから」
「半月先」
すでに新しい事務所になって、やっと落ち着いたところだった。
嬉しいことにスケジュールはぎっしりだ。
だが、それだけでは安心出来ない。
透輝はバッグからスケジュール帳を取り出した。
すべてマネージャーに頼りっぱなしで、一応マネージャーが書き込んでくれたスケジュール帳は持っていたが、自分でチェックなど一度もしたことがなかった。
背後で前の事務所から一緒についてきてくれた信頼の置けるマネージャーが酷く驚いたが、彼はまるで気づかなかった。
透輝はため息をつきながらページを捲った。
「俺、海外で長期のロケとかなかったかなぁ」
End
|
|