君色の輝き 番外編 CMU
その1



早朝5時、ほんの少し開けた車の窓から流れてくる風は、薄ら寒さを感じたが、取り付いた眠気を飛ばすにはちょうど良かった。

透輝はあくびついでに、身体に滞っている疲れを吐き出し、そしていまさら、窓の風景に目を止め、あれっと首を傾げた。

「河野…どこ向かってんの?」

「撮影現場ですけど…」

運転しているマネージャーの河野の、いつもと同じ、極度に低い声の即答。

「…北海道だろ?」

かすかな危機感が胸に湧いた。

「いえ…」

マネージャーの返事は、まだ眠気のとれない透輝には、ぶつぶつという呟きのようにしか届かなかった。

「北海道…だろ?」
透輝は強めに言葉を押し出した。

「いえ…」

今度は、それなりに聞こえた。
後部座席に寝転がっているような姿勢から透輝はガバと起き上がり、外の景色をあらためて見つめた。

やはりそれは、どう見ても空港への道ではない。
ついに拭えなくなった危機感。

「これから北海道で撮影。…だよな?」

早口に確かめながらも、透輝の頬は引きつった。
危機感が、ますます現実に切り込んでくる。

「…北海道は来週からになりました。今日はいつもの現場です」

「なっ、なんで」

「急なスケジュールの変更は、いつものことです」

涼しい顔で、何の問題もありませんというように、河野は言った。

「お、俺。気分悪くなってきた。今日の撮影は無理だ。帰ろう」

胸に手を当てた苦しげな表情で、透輝は運転席まで、ずいっと顔を付き出した。

「透輝…仮病の真似、あまりうまくないですね」

「うるさい!…ホントに気分悪いんだよ」

透輝は情けない声で訴えた。
気分が悪くなったのは事実だった。
それに、なんだか額のあたりが急激に冷たくなってきている。

北海道での一ヶ月のロケで、騒ぎを回避できると安心していたのに。

「き、気分わるー、俺、もう駄目かも…」
透輝はそう言いながら、横滑りに座席に横になった。
これから起こるであろうと想定される、さまざまが、彼の脳裏を去来し続ける。

「顔、営業に切り替えてください。もうすぐ着きます」

河野の冷静な声に、透輝は吐き気を堪えながら、これ以上ないくらい毒づいた。





「おう、真帆、今日はずいぶんと早いな」

いつも出社ぎりぎりまで寝ている娘の珍しい早起きに、新聞から顔を上げ、健吾が驚きの声を上げた。

「寝てられなくて。今日、例のCMが…ね」

「ああ、芹菜君のか。あまり騒ぎにならんといいが…」

真帆から話を聞いていた健吾も、かなり気掛かりに思っているようだ。

「ならないはずないわよ。わたし…芹ちゃんの反応が気になって」

「お前、芹菜君にだけは、頭が上がらないんだな」そう言うと、健吾は軽い笑い声をあげた。

「そ、そんなことないわよ」

ムッとして答えたものの、どもったことで彼女の心情はあからさまだ。

あの日、透輝を止めなかった自分に、真帆は苛立っていた。
いったいあのCMは、どんな出来になっているのだろう。

久野監督に前もって見せてくれと頼んだのだが、のらりくらりとかわされ続け、結局見せてはもらえなかった。

真帆が情報として持っているのは、今日が放送開始日だということだけだ。

宮島がどんな反応をするか、かなり楽しみだとしても、芹菜のことを思うと落ち着かない。

「ママは?」

「昨日遅かったからな。まだ寝てるよ」

「今日はひさしぶりの休みだから、買い物に行きたいなんて言ってたけど…」

「今夜は三人で外で食べるか?真帆、鮨はどうだ?」

「うーん。残念だけど、わたしは今夜は駄目そうだわ…」

「なんだ、また透輝か。あいつも暇なんだな。そろそろ落ち目か」

健吾はそう言って、ふっと笑った。

「もうパパってば、違うわよ。透輝は今日から一ヶ月、北海道ロケだもの」

「ふーん。それじゃ何の約束が…」

「芹ちゃんが心配だから」

「ああ、そういうことか」

「芹菜君、宮島君とはうまくいってるのかい?」

「恋に悩みと切なさはつきもの。ずっぽりと味わってるとこよ。相手が、よりによってあの宮島だし」

「宮島君ほどいい男はいないぞ。まあ、多少鈍いところはあるようだが…」

「ほんと、宮島、こと恋愛に関しては鈍いわよね」

「慣れとらんからだろう」

「そういえば確かに。芹ちゃんと付き合う以前、宮島に恋の噂なんて、耳にしたことないわ」

「私と同じで一本気なやつだからな。いいぞああいう男は余所見をせん。藤城は知らんが」

何気なく自分を持ち上げている父親に真帆は笑いを堪えた。

「透輝だって、わたし一筋よ」

健吾は、真帆をちらりと見てから新聞に目を戻した。

「だが、騒ぎから逃げるようなやつは、男とはいえんのじゃないか?」

真帆はむすっとして黙り込んだ。

たしかに、今回の北海道のロケは透輝の意図したところではなかったが、逃げられることに彼がほっとしていたのは事実のようだ。





学生鞄を脇に抱え、大成は慣れた階段を、別に急いでいるわけでもないのに、いつもの習慣で駆け下りた。

長かった夏もそろそろ出番でないことに気づいたようで、今朝は空気が涼しく爽やかだった。

朝の挨拶とともに居間に入ると、いつもよりメンバーが多い。

「たいてい!」

顔を出した大成にいち早く気づいた奈乃が、パッと立ち上がって駆け寄ってきた。

自分の半分ほどの大きさの物体を抱えている。
この間、大成があげた悪者キャラクターだ。

「おはよう。奈乃。こんな朝早く、どうしたの?」

大成は学生鞄を置いて奈乃を抱き上げた。
ふっくらした奈乃のほっぺたに頬をつけると、ほのかに甘い香りがする。

「一時避難。奈乃が朝っぱらから、やらかしてさ。ただいま奈乃ママは鬼に変身中」

居間の床に座り込んでいた賢司の、いささか参ったような声が飛んできた。

「やらかしたって、何を?」

大成は苦笑しながら聞き返し、キッチンにいる母親と目を合わせた。
すでに知っているらしい母親は口元を弛め、朝食の用意が整っている食卓を指さした。

大成は奈乃を下ろして食卓についた。
父親もすでに食卓についていたが、新聞を広げているせいで顔は完全に見えない。

奈乃はいま、悪戯盛りだ。
甘い大人ばかりに囲まれているせいだろう、完全に宮島家の天下を取っている。

「歯磨き粉搾り出してさ、洗面所から廊下まで歯磨き粉だらけ」

「奈乃、歯磨きの蓋開けられたのか。凄いな」

大成は、彼の椅子の背を握って大成を見上げている奈乃の頭をくるくるっと撫でた。

「いや、開けたのは、俺。歯磨きする間、蓋せずに置いといたら…ってなわけ。だから俺も同罪扱い」

「それじゃ、全面的に兄さんが悪いと、僕は思うけどな」

そういうと、大成はおかずを口に放り込んだ。
母親の特製、どでかい玉子焼き。大成の大好物だ。

「お前まで言うか。奈乃、テレビのリモコンいじっちゃ駄目…」

賢司がそう言った時には、奈乃はテレビのリモコンを押し、テレビのまん前の床にぺたんと座り込んだ。

賢司は時計を確かめて眉をひそめ、奈乃を見つめた。

「こいつ、超能力でも持ってるんじゃないかって時々疑いたくなるよ。なんで自分の好きなテレビは分かるんだろうな」

楽しげなリズムとともに、金曜日だけの朝の番組が始まった。

明る過ぎる服を着た司会のふたりが、明る過ぎる声ではしゃぎながら、最新の映画情報、これから発売されるCDやDVDなどの紹介を始めた。

「奈乃、こんなのが好きなの?」

「この派手なふたりが好きなんだろ。やたらぴょんぴょこ跳ねるし。それに最後あたりに幼児向けのおもちゃとかの紹介もあるんだよ。こんなの流行ってますって感じで…」

「おはよーっす」

三男の拓が、首をぐるぐるとこねくりまわしながら現れた。
いつもはキリッと上向きの目も重そうな瞼に隠れている。

週のうち、二日ほど講義が早いらしく、この時間に起きだして来る。といっても、たぶん母親がかなり派手に怒鳴り散らしたあとのはずだ。

四人兄弟のうち、拓以外はかなり寝起きがいいのだが、どこの家にも、ひとりくらいは異端児がいるものなのだろう。

拓が食卓について食事を始め、そろそろ食事を終わろうとした大成の耳に、軽快なリズムが流れ込んできた。

テレビの前の奈乃を見ると、腰をぴょこぴょこと浮かしながらリズムを取っていて、そのあまりの可愛らしさに大成はプッと噴いた。

大成が噴き出したからだろう、家族みんながテレビに向き、大成の視線もテレビ画面をとらえた。

大成は眉をひそめた。

どこかで見たことのある…

制服に身を包んだ女の子たちの集団。
画面がクルリと回転し、少しズームインした後、全員がシャンプーとリンスを持ち上げた。

「新しいシャンプーの宣伝みたいだな」

あまり興味もなさそうに拓が言った。
だが、奈乃はやたら楽しげにお尻でリズムを取り続けている。

パッと音楽が止まり、画像が一瞬でアップになった。

軽快な音楽がぷつんと途切れたからだろうか、大成の視線も自然と画面に吸い付いた。

ど真ん中にいた女の子が、みんなより一テンポ遅れて、両手をあげながら顔をあげた。

大成はびくりと身体を揺らし、危うく椅子から転げ落ちそうになった。

心細そうな表情と、戸惑ったように開かれた両腕と両手のひら。
また、どんとアップになった。

不思議に輝く瞳、そして少し開いた唇。そして閉じられた瞳。
大成の胸がきゅんと痺れ、彼は戸惑いに襲われて口を歪めた。

「いいな、この子の表情」

娘の側に座り込んでいた賢司が言った。

「これから売り出す新人かなんかかな。俺もみたことない」

なぜか拓が無念そうに首を捻りながら言った。

場面ががらりと変わった。
女の子の列が、歩道を前に向かって歩いてゆく。
その波を掻き分けるようにして走っているのは、どうやら藤城トウキのようだ。

トウキがひとりの女の子を抱き上げた途端、スローになり、抱き上げた女の子の身体がふわっと浮いた。
そして、トウキが彼女の前に回り込み…

透輝は甘くやさしげな笑みを浮べて少女を見つめ、そっとキスをした。
頬にしたのか唇にしたのか判然としない角度だった。

手を繋いで走り去ってゆくふたりを背景に、文字が淡くゆっくりと浮かんできた。

『君の髪の輝きは特別』

「宣伝効果、最高だな。良い出来だ。俺らんとこも、このくらいのCMしたいよな」

「これほどのおおがかりなものは、金が掛かりすぎる」

賢司に向け、そっけなく父親の答えが返された。

ハナから答えが分かっていたらしい賢司は、父親の返答など問題視せず、「うーん」などと呟きつつ、ひとりで考え込んでいる。

「奈乃、使うなんてどうだろう。こいつの可愛さで…」

「そんなことしたら、そのままアイドルになって、賢司兄さんの手の届かないところに行っちまうぞ」

愉快がって拓が言った。
拓は冗談のつもりだったが、親バカな賢司はマジに取り、自分の意見を即座に却下した。

「でも、あの子の表情、かなり良かったな。うちの宣伝ビラ、あの子にモデル頼んだらどうだろう、親父」

「いいかもしれんな」

父親の同意に、大成は「えっ」と思わず声を上げた。

「だろ。早めに手を打ってみるかな」

賢司は父の意を得て、嬉々としている。

「や、止めたほうがいいよ。多分、あの子…」

つい、『タレントになるつもりないはずだから』と口から出そうになったが、大成はすんでで思いとどまった。

「どうして?」

「あ、そろそろ学校行かないと…」

大成は、賢司の言葉を宙ぶらりんにして急いで席を立ち、部屋を出た。
外に出たところで階段から降りてくる母親と出くわした。

「あら大成もう行くの?お弁当は?持ったの?」

大成は、さっと引き返して台所のいつもの場所から弁当を取り、一目散にその場を後にした。

「楠木さん、何考えてんだ」

玄関から出ながら、大成は肩を落として呟いた。




   
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