続 君色の輝き
その1 君のいない空間 


「これ、コピー頼むよ、芹香君」

忙しさの只中で仕事をこなしていた誠志朗は、顔を上げて、書類を持った片手を右側にいる人物に差し出した。

「宮島主任?」

杉林に問い返すように呼ばれ、彼女の顔を意識に入れて、誠志朗は目をしばたたいた。

「え?…」

「やだなぁもう。宮島主任、芹香ちゃん、…もういないのにさ…」

不機嫌に唇を尖らせた大川の言葉に、誠志朗は照れを隠すために、きつく顔を引き締めた。

「すまない」

「芹香ちゃん。なんであんなに急に辞めちゃったのかな」

誠志朗でさえ同情したくなるほど、侘しさを含んだ声で、大川は机に向かって呟いた。

「最後の日に、電話番号聞くつもりだったのになぁ」

誠志朗は口を開き、大川に、いまは仕事中だぞとたしなめようとした。だが、この話の糸口を作ったのが自分だと気づいて、彼はそのまま口を閉じた。

芹菜がいた机には、産休を終えた杉林が、三日前の月曜日から戻ってきていた。
杉林の隣には真帆がいて、令嬢とは思えないほど…普通に仕事をしている。

以前に戻ったような職場。
この中に芹菜の姿がないことに、誠志朗の心はまだ慣れないでいる。

先週の金曜日に意外なところから芹菜の所在が分かり、土曜日に彼女を見つけた。

あの日の記憶を、思い出としてはっきりと心に刻み付けたいと思う反面、あの時周りにいた全員の記憶を消し去れるものならそうしたかった。

だが、一粒の後悔も湧いてこない。

ただ、大成のことがかなり気に掛かってはいた。
スタッフと同じ格好をした見慣れない姿の真帆と話をしたあと、芹菜とともに大成を探したのだが、大成はすでにあの広場にいなかった。
あの日から、大成にはまだ会っていないし、電話をしても出なかった。

大成の複雑な思いは、彼にも分からないでもない。
誠志朗があの時感じたよりも、大成は彼女を…

「宮島主任、僕、コピーしてきますけど…」

大川の遠慮がちな声に誠志朗は顔を上げた。
考え事に没頭しすぎていたらしい。

「ああ、頼む。あ、それとこれ、郵便局に行って速達で出してきてくれ」

大川は、頷きながら盛大にため息をついた。

「芹香ちゃんがいてくれたら、こういうの全部、僕の代わりにやってくれたのになぁ」

わびしさ全開で大川は呟き、誠志朗から書類と封筒を受け取った。

「大川先輩って言ってくれた、あの声…もう一度聞きたい…」

コピー室の方向に歩いて行きながら、肩を落とした大川のぶつぶつと呟く声を、部署のみんながそれぞれの表情をして聞いていた。

大川の姿がコピー室の中に入ったのを見届けてから、成田が口を開いた。

「なんかさ、芹香ちゃんって、バイトの期間短かったのに…めちゃくちゃ存在感あったよね」

「うん。そうそう。なんでだろうな。ずーっとここにいたみたいな気がするんだよな」と、成田に同意して頷きながら益田も言った。

芹菜とは面識がないはずの杉林も、あたたかな目に興味の光を宿してみんなの話を聞いている。

誠志朗は、仕事をしながら必死で笑いを堪えているらしい真帆を見つめた。

大川からどんなに懇願されても、芹菜の行方を大川に知らせないでいてくれる事には感謝しているのだが…

花之木広場でのあの集団が、シャンプーとリンスのCM撮影だったということは、あの場で聞いた。放映される日時は決まっていないらしい。

透輝もあの場にいたらしいが、誠志朗は透輝を見てはいなかった。

芹菜の説明はあまり要領を得なかったうえに、何かを隠しているのがはっきりと分かるぐらい、彼女は口ごもっていた。

いったい何を隠して…

「主任、まだ芹香君って、呼んでるのね」

誠志朗はその潜めた声に、不意をつかれて顔を上げた。杉林だった。

益田と成田と藤沢の耳にも入ったらしく、仕事に集中していたはずの彼らは、ぱっと顔を上げて杉林を見た。

「まだ数日だから、そう簡単には切り替えられないんでしょ」

これもまた潜めた声で、真帆が杉林に言葉を返した。

「それって…どういう」と藤沢が言った。

「でも、主任は令嬢の婚約者なんじゃ…」

益田がありえないというように叫んだ。

「えーっ、芹香ちゃんと、主任、いま付き合ってるんですか?」

舌打ちしたくなるほど豪快な声で、成田が誠志朗に向けて聞いてきた。

「あ…聞こえちゃった」

杉林がしまったというような顔で言い、誠志朗に向いて「主任…すみません」と申し訳なさげに言った。

みなの目がすべて彼に集中した。

誠志朗は片手で顔を覆った。首から上がひどく熱かった。


   
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