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その11 強敵ハナ
葉奈と伊坂が会場に戻ったとき、すでにディナーは始っていた。
会場はずいぶんと様を変え、溢れるほどたくさんの花が綺麗に飾られていた。
「お兄ちゃん、カノンって知ってる?」
椅子に座ると同時に、玲香が言った。
「カノン?知らないな、誰?」
「翔ってば、なんで知らないかな?すっごい話題になってるのに、謎のフェアリー…えっと、カノン」
綾乃が横からそう口を出したものの、彼女もそれほどには関心がないようだ。
彼女のいまの関心のほとんどは、隣に座る背広姿で精悍ないでたちの吉永に向いているように見える。
葉奈はそれに気づき、小さく笑った。
「フェアリーベルだよ。フェアリーベルカノン」玲香が律儀に訂正した。
「ああ、そうだっけ?」
半分上の空の綾乃の返事に、玲香は唇を突き出し、綾乃以外のみんなに、両手をあげておどけて見せた。
先ほどのことは、まだ心に重く巣食ってもいたが、この場の明るい雰囲気、そしてみんなと同じ席につき、おかげで少しずつ心が軽くなってきた。
葉奈はそんな自分を冷静にみつめ、なんだかほっとした。
カノンたちのいたテーブルに顔を向けた葉奈は「あらっ」と声を上げた。
すでに帰ってしまったのか、そのテーブルには誰も座っていない。
葉奈の声に綾乃が振り向き、説明してくれた。
「なんかね、ショーのすぐ後に、コマーシャルの撮影があったんだって。わたしと玲香が戻った時にはもう終わってたんだけど…。見たかったな」
「わたしも。あのコマーシャルすっごいいいんだもん」
玲香も残念そうに唇を尖らせている。
「わたしもあのCM好き。透明な感じのカノンの姿も素敵だし、いまやってるCMのトウキの表情が、すごく切なくて胸を打つの」
「葉奈さん」
玲香が忠告するように、小刻みに首を横に振った。
「え、玲香さん、何?」
「横、横」
「横?」
葉奈は、なんのことかわからぬまま横を向いた。そして、不機嫌な伊坂の顔に出くわしてぎょっとした。
「君が藤城トウキのファンとは知らなかったな」
伊坂の言葉は、ひどく苦々しい。
「い、いえ、ファンとかそんなんじゃ…」
「男の焼きもちは醜いぞ、翔」
ひどく楽しげに聡が言った。
おかげで、伊坂の眉間の皺がさらに深くなった。
「藤城トウキは俳優ですよ、伊坂君。彼女が好きと言っても、アイドルに対する憧れのようなもので、焼きもちの対象には…」
「どうも」
吉永のまともすぎる発言に、伊坂はきつい調子で、杭を打ち込むように言葉を挟みこんだ。
「翔ってば、そんな言い方、吉永先生に失礼だよ」
「まあまあ、あなた方、いったい何をもめてらっしゃるの?お料理はお口に合わないかしら?」
玲香と聡の間に立って、更紗が愉快そうに声を掛けて来た。
「美味しくいただいていますよ。翔のやつが、ずいぶんと楽しませてくれているし」
「勝手に言ってろ」
更紗を交えて楽しい会話が進み、葉奈は手の込んだ料理を味わった。
ちゃんと美味しく食べている自分が、ちょっぴり誇らしく、葉奈は嬉しかった。
「葉奈さんをひと目見て、突然の起用、それを現実にしてなおかつ成功させてしまう才能は素晴らしかったですよ。更紗叔母さん」
「まあ!」
更紗は聡の褒め言葉に嬉しげな声を上げた。
「葉奈さんのドレス姿を見たとき、今日のショーまでのことが一瞬で頭に浮かんだの。ひらめくときはいつもそうだけど…」
更紗はそう語り、テーブルに座っている全員に魅惑的な微笑を向けた。
ショーを成功させた悦びが彼女を輝かせているようだ。
「未来は一本の道ではないわ。幾重にも枝分かれしていて、それこそ無数の未来が存在している。でも、辿れる道は一本。でしょう?」
みんなが更紗に頷いた。
「わたしは、ひらめきとともに、未来を一本の線として受け取るの。情報と言ってもいいけど…。それをそのまま現実にしてゆくだけ。そのときに必要なことは、迷わないことと、自分を信じることね」
葉奈は、更紗の言葉を途方もなく感じた。
いつでも優柔不断で、迷ってばかりの自分と更紗とは、なんと違うことだろう。
「実現してゆくための苦労はあるけれど、それは楽しいエッセンスを含んだものだから、苦ではないわ」
葉奈は更紗の持つ強烈なオーラを、肌で感じた気がした。
こんな女性になれたら…
そう思うものの、ひとにはそれぞれ器というものがあるのだ。
葉奈にはとても無理だろう。
葉奈たちに、いずれまたモデルを頼みたいと言った更紗に、伊坂だけでなく吉永まで賛成しかねると抗議した。
更紗はすんなりと頷き、今日のショーを盛り上げてくれた礼を丁寧に述べ、微笑みながら次のテーブルへと移って行った。
安易にほっとした吉永の様子に、聡が苦笑した。
「吉永さん、更紗叔母は諦めてませんよ。そんな奥ゆかしい叔母じゃないんだな。これが」
「きっぱり断れば、叔母も無理強いはできないさ」
自分に言い聞かせるような伊坂の言葉に、聡はさらに苦笑した。
「ほんとにそう思ってるのか?お前」
「この場は、そう思うしかないだろ」
当人の彼女たちを蚊帳の外に、会話が進んでゆく。
彼らは、大人の会話は大人だけで、とでも思っているのだろうか?
未成年であろうが、耳もあれば口もあり自己があり、意見だって言えるのに…
葉奈が心の中でそう自問自答していると、むっとした様子の綾乃が口を出した。
「わたしたち、自分のことは自分で決めるよ。ちょっとわたし達より年上だからって、わたしたちを無視して会話するのって、どうよ」
綾乃の正当な意見に、聡は苦笑し、伊坂は眉を上げ、吉永は気まずげな顔をした。
自分の主張を躊躇しない綾乃に、いつも葉奈は尊敬の念を抱く。
そして綾乃と比べ、自分の優柔不断さ、性格の弱さが強く意識され、葉奈はどうしようもなく情けなさが湧くのだ。
「お兄ちゃんたちが何言ったって、わたしたちは好きなようにすればいいんだよ。大人は自分たちが正しいっていつも思ってるみたいだけど、わたしに言わせれば、お兄ちゃんたちだって、子どもと対して変わんないもん」
綾乃がぶっと噴き出した。
「言えてるぅ。特に翔は子どもだよ」
「言ってろ」
伊坂はさらっと流すと、食事に戻った。
綾乃の言うように、葉奈も自分のことは自分で決めたいと思うけれど、先ほどのようなことがあったあとでは特に、伊坂が葉奈を頼りなく思うのは当然だろう。
葉奈はテーブルの下に向けてため息をついた。
自分が情けない。もっと強くなりたい。けれど、実際にはそれが出来ないでいる。
そんな葉奈のもどかしさを、伊坂は分かってくれるだろうか?
聡と吉永は同じ年ということもあってか、とても気があったらしく、弾んだ会話をしている。
綾乃と玲香が今日のことをネタにしたおしゃべりをしている中、葉奈は伊坂に小声で話し掛けた。
「あの、…先生?」
「うん…何?」
先生の呼びかけに、いつものように抗議するような鋭い視線を向けつつも、伊坂は聞き返してきた。
「どうしてあのタキシードを着てたんですか?初めからショーに参加する予定…だったの?」
伊坂がおかしそうに笑った。
「ああ、叔母に前もって頼まれてた。俺が出ないなら、他の男に君をエスコートさせるって脅されてね」
「先生、モデルの経験があったんですね」
「まあね、口にしたくない汚点だから言いたくなかったんだけど…」
伊坂が唇をへの字に曲げ、一度更紗の方に視線を向けた。
「叔母はこうと決めたら絶対に引かないんだ。今回みたいにね。ショーに穴を開けても譲らないって言われて、最後にはこっちが根負けする。でも、久しぶりだった。二年ぶりかな。君が出なければ、もうけして出るつもりはなかったんだが…」
葉奈は何も言わずに頷いた。ほっとしてもいた。
伊坂はモデルの仕事に、何の未練もないようだ。
葉奈も、もう二度と引き受けるつもりはなかった。
モデルの仕事は、彼女には相応しくない。
葉奈は、自分の膝にちょこんと飛び乗ってきたハナに、びくんと身体を震わせた。
みんなでテレビゲームをすることになって、コントローラーを手にしたところだった。
ハナは、そのタイミングを見計らって飛び乗ってきたように葉奈には思えた。
何か企んでいるのではないかと、葉奈は疑いがもたげてきて仕方なかった。
ひとの膝に自分から乗っておきながら、ハナは、まるで葉奈など眼中に入っていないかのような風情で、自分の前足をぺろぺろと舐めている。
ディナーでたらふく食べた綾乃と玲香、そして翔と葉奈の四人は、軽い夕食を食べ、玲香の提案でテレビゲームをすることになった。
伊坂の両親は、知り合いのイブのパーティに呼ばれて今夜は留守だったし、聡はいつまで経っても会社から戻って来なかった。
吉永とは、ホテルで別れていた。
今夜は伊坂の家に泊まればいいという伊坂の申し出を、吉永は丁寧に断った。
いくつかの視線を感じて葉奈は顔を上げた。
玲香が葉奈の視線を逃れるように、慌てて顔を逸らした。
伊坂は顔を逸らしはしなかったが、ハナをじっと見つめ、それから葉奈の顔をみあげてきた。
「まあ…頑張れ、葉奈」
そんな意味不明の言葉を投げかけ、伊坂はコントローラーを手に画面に向いた。
葉奈は戸惑い、綾乃を見たが、彼女の方はスタートを知らせる高らかなメロディに画面だけを注視している。
いったい…?
戸惑いの中、ゲームがスタートした。
このゲームのシリーズは、兄とさんざん手合わせしていたから、葉奈は自分でもかなりうまいと思う。
葉奈が操作を始めたとたん、ハナが動いた。
葉奈はぎょっとして手を止めた。
葉奈が唖然として、ハナの前足さばきと画面との間を往復している間に、パズルのピースがどんどん積み重なり、葉奈はあっという間にゲームオーバーになった。
「あーあ」と玲香が画面を見つめたままつぶやいた。
「やっぱりか…」
伊坂が操作に支障がないだけ、ちらりと葉奈に向いた。
「葉奈、どうしたのよ?いつもはこれ、すっごいうまいのに…」
葉奈の次にゲームオーバーになった綾乃が、不思議そうに葉奈に振り向いて言った。
「ハナが悪さするんだ。悪魔みたいに取り付いて、けして離れない」
ほんとうに、唖然とするような前足の動きだった。
まんまるいにくきゅうをどう使っているのか、的確に、押してはならないボタンを押し、邪魔をしてくる。
「葉奈、今夜はゲームに勝とうと思うのは諦めた方がいい」
気の毒そうな伊坂の言葉に、葉奈はむっとして彼を睨みつけた。
「彼女になんか負けないわっ」
伊坂が噴き出すのをぐっと堪えたのが分かり、葉奈はさらにむっとした。
葉奈は、立ち上がってハナを膝から振り落としたが、座るとすぐに膝に飛び乗って来る。
何度か試みてそれが無駄なことを悟り、葉奈は仕方なく諦めて座り込んだ。
二回目のゲームの始まりの音楽に、葉奈はハナに対抗するため、コントローラーをぐっと握り締めた。
あっという間にゲームから離脱した葉奈は、コントローラーをぽいっと床に放り投げると、仁王立ちになり、ハナを睨んだ。
「にゃっにゃっにゃっ…」
高笑いのような鳴き声をあげるハナは、ひどく楽しげだ。
葉奈は悔しすぎて地団太を踏んだ。
ゲームを続けていたはずの伊坂がブッと派手に吹き、葉奈は彼を睨みつけた。
込み上げてくる笑いを誤魔化すために、コホコホと咳をしつつゲームを続けていた伊坂は、手痛いミスをして三位になった。
三回目のゲームの開始直前、葉奈はハナの手がコントローラーに届かないように立ち上がってゲームをすることにした。だが、ハナは、葉奈の身体を器用に身軽くよじ登り、最後にはあろうことかコントローラーの上に着地した。
もちろん重さに耐え切れるはずもなく葉奈は、しゃがみこむしかなかった。
「だから…無理なんだよ。葉奈」
身に覚えがあるらしい伊坂が、笑いをすっかり収めて、真剣な眼差しで葉奈に言った。
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