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その12 パーティは華やかに
翌日の午後、伊坂家のクリスマスパーティーが華やかに幕を開けた。
たくさんの招待客が広い部屋いっぱいに散らばり、それぞれ楽しげに談笑している。
葉奈はため息を付いた。世の中には、こういう世界もあるのだ。
いま葉奈の側には伊坂がぴったりと寄り添っている。
綾乃と吉永も、彼らと一緒だ。
何度か参加したことがあるらしい綾乃は平生と変わりないが、吉永は葉奈と同じだけ雰囲気に馴染めず困っているようだった。
そんな吉永に、葉奈は強烈な親近感を覚えてしまう。
昨夜はハナにさんざんもて遊ばれ、いま思い返すと笑えてきて仕方が無い。
ハナは二年前に、どういう経緯かは教えてもらえなかったが、伊坂が家に連れ帰ってきたらしい。その時はひどく衰弱して、明日が持ちこたえるかという状態だったという。
そんなことは信じられないくらい、いまのハナは、生気に満ち溢れているが。
今朝は、伊坂のキスで目覚め、すぐに伊坂からのプレゼントをもらった。
もちろんそれはお揃いのコートで、葉奈は手編みのセーターを真っ赤になりながら渡した。
困ったことに、伊坂はいま、そのセーターを着ている。
みながスーツを着ている中、彼のその姿はひどくひと目を引いている気がして、葉奈は気が気ではなかった。
葉奈は、聡からもらったドレスを着ている。
自分の黒のドレスを着るつもりだったのだが、この場は贈り物を身につけるほうが贈り手の聡に喜んでもらえるだろうと思ったのだ。
綾乃と玲香のふたりは伊坂から贈られた、可愛いデザインながら大人の雰囲気も持ち合わせた、ドレッシーなドレスを着ている。
このドレスを受け取ったときの、ふたりの様子を思い出し、葉奈は嬉しさとともに胸がきゅんとした。
伊坂は、あの時の彼の言葉でふたりを傷つけたことを、申し訳なく思っていたのだ。
葉奈はお揃いのセーターを編んだことを、まだ伊坂に告げていなかった。
彼は葉奈とペアで着るのを恥ずかしがるだろうか?
「あの、先生…」
「翔」
すぐさま言い直されて葉奈は唇を噛んだ。
おかげで口にするはずだった言葉も止まってしまった。
担任の吉永が一緒にいては、伊坂の名をとても呼び捨てには出来ないのだが…
「し、翔…」
「そんなに俺の名前は呼びにくい名前か?」
葉奈は伊坂に睨まれて小さくなった。
「まあいい。卒業するまでは仕方がないと思って、少しは大目にみることにする」
「ほ、ほんとですか?ありがとうございます、伊坂先生」
葉奈は、思いもしなかった伊坂の温情の言葉にほっとして、几帳面に頭を下げた。
「葉奈ってばぁ」
何がおかしかったのか、綾乃が笑い出した。
そんな傍らで、吉永は何か含みのある顔で葉奈と伊坂を見つめている。
それに気づいたらしい伊坂が、吉永に問いかけた。
「どうしました?吉永先生」
「あ、いや、なんでも…」
「翔さん、いま…よろしいかしら」
後方からの声に、伊坂と一緒に振り向くと、とても華やかに着飾った女性が立っていた。
女性は完璧に葉奈たちを無視している。
まるで伊坂以外ここには誰もいないように振舞っているのが、はっきりと伝わってきて葉奈は戸惑った。
伊坂は何も返事をしなかった。
それでも、女性は伊坂の視線が向けられただけで充分らしかった。
「今日はお招きいただいて嬉しかったわ」とにこやかに微笑む。
「君を招いたのは俺じゃない。父と母だろ」ひどく冷淡に伊坂が言った。
「まあ、翔さんてば、相変わらずね。いつだって、わたしにばかり特別意地悪なんだものぉ」
ひどく甘ったれた作りすぎの声に、葉奈は身体の中が妙な具合にもじもじしてたまらなかった。
なぜか恥ずかしさが湧いてくる。
「悪いが、彼女の前で語弊を招くようなことを言わないでもらいたい。ところで…」
「なんですの?」
葉奈を睨んだ女性が、伊坂にさっと晴れやかな笑顔を向けた。
「君は誰だい?」
晴れやかな笑みが、数秒凍りついた。
「ま、まあ、翔さんってば、ほんとうに冗談がお好き…」
女性の声は固く強張っている。
ふたりのやりとりに、なぜか葉奈がハラハラした心持ちになってきた。
「冗談はけっこう好きだけど、君相手に言う冗談は持ち合わせていないよ」
この女性に好意を持っているわけではないが、伊坂の毒まで含んでいそうな刺のある言葉に、思わず葉奈は目を瞑った。ハラハラを通り越して、ドキドキする。
「あら、こんなところにいらしたの?向こうであなたをお探しの殿方がいらっしゃったわよ」
女性が救われた様に、声を掛けて来た更紗に向いた。
「ま、まあ。そう。しつこい男性は好きじゃないのだけど…」
そう言いながら、彼女は得意げな表情になった。
「そう言わずに、あの一番大きなツリーの側にいらしたわ。行ってあなたの微笑を少しくらい分けてさしあげても、バチは当たらなくてよ」
彼女は彼らにつんとした表情を見せ、急ぎ足で去って行った。
「どうも。更紗叔母さん。場を収めるのがうまいですね」
「あなたは面倒を起こすのがお得意ね。本当に呆れます」
「俺よりも、あの女のあつかましさをどうにかして欲しいですよ」
「翔さん、世の中には言葉が通じる方と、通じない方がいるものなのよ。通じない方には何を言っても無駄だし、相手にすればするほど摩擦が大きくなるだけ。そのことをお忘れにならないことね」
「最悪な教えだな」
更紗とともにやって来ていた男性は、葉奈でも顔を知っている有名人の久野監督で、彼は更紗と伊坂のやりとりを、ひどく愉快そうに聞いている。
つかの間、呆気に取られた葉奈だったが、瞬きする間にその事実を受け入れることができた。
久野更紗は、久野監督の妻だったのだ。
葉奈は自分が途方もない世界に入り込んでいることを、改めて思い知らされた。
葉奈は親近感を求めて、吉永に向いた。
久野監督を視界に入れて、吉永も驚きの表情を浮べている。
同志をみつけて葉奈はいくぶん気が楽になった。
出来ることならば、吉永の隣に行って、庶民の憩いを得たい気分だった。
久野に紹介され、彼の大らかな笑顔を目にしながら話をしているうちに、葉奈の緊張は解けてきた。
さすがに大人な吉永は、先ほどまでの衝撃を葉奈より先に克服したようだ。
久野の作品について、ずいぶんと話が盛り上がり始めた。
「よお」
聡が伊坂の肩をぽんと叩いた。
父母と同じように、招待客の波を女性を伴って巡っていた聡は、自分の役目を終えたらしい。
伊坂夫妻はゆっくりなペースで会場を回っているが、聡のカップルは、テキパキと挨拶を済ませたらい。
聡の隣には、葉奈が忘れたくても忘れられない女性が立っていた。
彼女は聡の恋人だったのだと思った葉奈だったが、伊坂の言葉がそれを否定した。
「美智歌。兄さんの雇われパートナーって、君だったのか?」
葉奈は驚いてふたりを見つめた。
ふたりの関係がビジネスだけとはとても思えないくらい、ふたりはしっくりと似合っている。
「ええ。大変なお仕事を任されて、いささか辟易してるわ。聡さんを狙っている女性が、この会場にはうようよしてるんですもの」
そう言って美智歌は朗らかに笑った。
やさしげな華やかさを持つ彼女は、とても美しい。
「わたしより、翔だろ。さっきから気づいてるか?葉奈さん、みんな君に向いているぞ、女達の恐ろしく危険な眼差し…」
ぞっとするというように聡は言った。
「いい加減なことを言って葉奈を怖がらせるなよ、兄さん」
葉奈は俯いて小さく微笑んだ。
そんなことは当の昔に気づいていた。
女性たちの刺すような視線は、直接肌をえぐって来るようで、痛みがあるはずがないのにちくちくとした痛みを感じる。
「あの、聡さん、このドレスとイヤリング。ありがとうございました」
葉奈は聡に、笑みを浮べて頭を下げた。
「うん?ドレスって?なんの…」
「兄さん」
伊坂が、兄の言葉に被せるように大きな声で叫んだ。
聡は弟の呼び掛けなどさらりと流し、にやりと笑って付け加えた。
「わたしの君へのプレゼントは、イヤリングだけのはずだが…」
「え?…それじゃあ、この服?」
「翔さんですよ。三人に一枚ずつ、翔さんに頼まれて、わたしが見立てたわ」
更紗の言葉に、葉奈は伊坂に向いた。
なぜか気まずそうに伊坂が俯いている。
「わたし…」
葉奈は伊坂に腕を取られ、そのまま彼に連れられて部屋を出た。
誰もいないところまでやって来ると、伊坂が頭を下げた。
「ごめん」
突然の謝罪に、葉奈はめんくらった。
「どうして?」
「君が受け取らないと思ったんだ。あれもこれも渡したら、君に、喜ぶ顔どころか困った顔をされそうで…」
「そ、そんな顔したりしません。…嬉しいです。先生、ありがとう」
葉奈はためらった末に、伊坂の手を取ってぎゅっと握り締めた。
嬉しさがじわじわと湧いて、出来れば抱きつきたかったが、さすがにそれほどの勇気は持ち合わせていなかった。
「あの、いまちょっといいかしら?」
葉奈はその声にハッとして、慌てて伊坂の手を離そうとした。だが、逆に伊坂に手を掴まれてしまった。
声を掛けて来たのは、美智歌だった。
「翔君、少しだけでいいの。彼女とふたりきりでお話させてもらえないかしら」
「どうして?」
「葉奈さん、駄目かしら?」
葉奈は、美智歌に問われ、気づいたときにはこくりと頷いていた。
「葉奈?」
「少しだけよ。すぐに終わるわ」美智歌が言った。
「ならここで…」
伊坂の言葉に、困ったように美智歌が首を振った。
「すぐに戻りますから」
葉奈は伊坂の目を見つめてそう言うと、美智歌を促した。
伊坂は不服そうだったが、その場に残ってくれた。
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