恋風

クリスマスバージョン
その14 英雄ハナ



美智歌に葉奈を連れて行かれ、翔は仕方なく会場に戻った。
ひとりで戻ってきた翔のところに、数人の女性が別方向から近付いて来る。

翔は彼女達との接触を避けて、会場全体をすばやく見回し、一番先に目についた更紗たちの輪にすばやく移動して行った。

久野は吉永との会話に夢中になって熱弁を奮っている。
久野との会話を楽しみながら、吉永は、どうも無意識なようだが、隣にいる綾乃のために、テーブルの料理を彼女の皿に、定期的に載せていた。
綾乃はそれがひどく嬉しいらしく、どれも美味しそうに頬張ってゆく。

「葉奈さんはどうなさったの?」

翔が来たことに気づいた更紗が尋ねてきた。

「女同士のおしゃべりに連れて行かれた。兄さんは?」

「聡さんなら、逃げてしまったわ。あのひとも、美智歌さんが用事があるからって置いてゆかれて、群がってきた女性に恐れをなして…」

「そうか」

「ひと事ではないみたいね。あなたの背後を狙っている眼が、あちこちにあるわ。どうなさるの?」

「楽しそうですね」

「楽しくないと言ったら、嘘になるわね。ほら、ひとりが近付いて来るわ…」

「葉奈を連れ戻して来よう」

翔は更紗の視線が向いている反対の方向へ、後ろを振り向かずに急いで歩き出した。
いくつかの呼びかける声を聞かなかったことにして、彼は部屋を出た。

葉奈を探して屋敷をうろついたが、どこに行ってしまったのか、彼女はどうしても見つからなかった。

もしかしたらすでに、パーティ会場に戻っているのかも知れない。
翔はそう考え、引き返すことにした。

会場の近くまできたところで、翔は去年のパーティの時に、しつこく迫まられて手を焼いた女に捕まり、苛立ちとともに舌打ちした。

ねちねちとした語り口で、隙を見せると翔の腕や肩に手を掛けてくる。
そのわりに話の内容は取るに足りない世間話を延々と続け、会話を打ち切り立ち去ろうとする翔を逃さないように、器用に回り込んでくる。

「俺は忙しいんだ。君の相手をしているほど暇じゃない。いまひとを探している最中でね。どいてくれないか」

「まあ。そうなの。わたしもひとを探しているところなの。ふたりで一緒に探しに行きましょうよ」

女は、ふたりで一緒にのところを、はっきりとした含みを込めて口にした。
翔は吐き気がした。

「断る」

翔は切り捨てるようにそう言うと、さっと歩き始めた。
ハイヒールを履いてるにも関わらず、どこまでもピッタリと着いてくる。

厚顔無恥さに、腹が立ってならなかった。
この女も、更紗の言う話しても通じない人間なのだろう。
だからといって、こういう人間相手に自分を抑えるほど翔は人が良くない。

「にゃ」

聞き慣れた鳴き声に、翔は階段を見上げた。
階段のちょうど真ん中のあたりに、ハナが行儀よく座り、翔をじっと見つめていた。

「ハナ」

「にゃ?」

ハナは短い鳴き声を上げ、翔と、一緒にいる女を交互に見つめている。

「可愛い猫ちゃんね。ほら、こっちにいらっしゃい。抱いてあげるわ」

ハナの方へと腕を伸ばしながら、女がひどく横柄に言った。
緑の目が鋭くぎらりと光った。

ハナは、女の言葉に従順に従ったかのように、可愛らしく瞳をくるくるさせながら、ゆっくりと階段を下りてきた。

「まあ、おりこうちゃんね。ひとの話が分かるみたいじゃない」

みたいじゃなくて、分かるんだよ。翔は心の中で呟いた。

女性のハイヒールのすぐ側まですりより、ハナは首をちょこんと傾げて上を見上げた。

「まああ、ほんとにかわいいねこちゃんねぇ」

女性が少し腰を屈めてハナに手を伸ばしかけたとき、悪魔のハナが動いた。

右の前足をあげると、ハナは彼女のストッキングにツメをひっかけ、ピーッっと手前に引っ張った。

ワナに掛かったストッキングは、大きく裂け、ハナはそれだけでは物足らなかったのか、左の前足を使い、もう片足のストッキングまで餌食にした。

ぽかんとしていた女性が、ぎゃーっと派手に叫んだ。

翔はすばやく屈んでハナを救い上げると、階段を駆け上がり、自分の部屋に飛び込んだ。

ハナを胸に抱えたまま、翔はベッドに飛び込んだ。

仰向けに寝転がり、翔は笑い声を上げながら、英雄ハナを両腕で持ち上げた。

ぶら下がった格好になったハナは迷惑らしく、身体をくねらせ翔の腕から逃れようとする。

「わかったわかった」

翔は起き上がり、ハナをベッドに座らせた。

「よくやったぞ、ハナ。勲章ものだ。おかげでスカッとしたよ」

気分は爽快になったものの、もう会場に戻ることは出来なくなった。
姿を見せれば、あの女が食って掛かってくるに違いない。

そんなみっともない場面に自分をさらすほど、彼は馬鹿ではない。

「困ったな。俺がいないと葉奈が…」

ひと騒動を堪能し、機嫌よく身体を嘗め回しているハナを翔は見つめた。

「ハナ、お前、葉奈を連れて来てくれないかな?」

嘗め回していた仕草をぴたりとやめ、ひととき目を閉じて熟慮する様子を見せてから、ハナは目を開けて翔を見つめてきた。

そして、考えないこともないとでもいうように、「にや〜あ」と鳴く。

「やってくれるのか?だが、間違っても違う女を連れてくるなよ」

思わずそう口走り、翔は鋭い目つきでハナに睨まれた。
翔はしまったというように顔をしかめた。

「も、もちろん、冗談だよ。ハナ、冗談が通じない女は…い、いや、君はもちろん冗談の通じる才女だが…」

翔は内心、ネコ相手に言葉を苦慮している自分が情けなかった。だが、ハナは侮れない。
機嫌を損ねたまま送り出せば、確実に翔はピンチに陥るだろう。

「にゃああ」

翔を軽蔑したような目でひと睨みすると、ハナは翔が止める間もなく、自分の専用のドアからするりと出て行った。

「大丈夫かな」

そう呟き、翔はハナの軽蔑したような目つきを思い返して頭を抱えた。





葉奈がハナとともにやって来たのは、思ったとおり伊坂の部屋の方向だった。

途中、数人の男性に呼び止められ、断りを言う余地を与えずしゃべり続けるひともいて、かなり時間を取られてしまった。

伊坂の部屋まであと少しというところで、ドアが勢いよく開いた。

女性がまず姿を見せ、ふたりの怒りを含んだ言葉の応酬とともに、その女性を押し出すような伊坂の腕がちらりと見えた。

女性が外に出たとたん、ドアが激しい音とともに閉まった。

ハナはそのまま何事もなかったように進んで行ったが、葉奈は女性の姿を見た途端、反射的に綾乃の泊まっている部屋に飛び込んでいた。

重複した驚きの叫びが聞こえ、葉奈はぎょっとして飛び上がった。

誰もいないと思っていたのに、ベッドには綾乃が横になり、いまは立ち上がっているが、ベッドに腰掛けた吉永がいたのだ。

「ご、ごめんなさい。いるとは思わなくて…」

「どうしたのよ。葉奈?」

「ご、誤解しないでくれたまえ。小原が気分が悪くなって…」

「え?綾乃、大丈夫なの?」

「食べすぎちゃったよ。食い意地が張ってる自分が情けないったらないわ。でも、吉永先生が、これもあれもって、進めてくるからつい」

「すまない」

吉永が申し分けなさそうに綾乃に謝った。

「そいで…葉奈はどうしたのよ?突然部屋に飛び込んでくるなんて、何かあったんでしょ?」

「わたし、その…」

「にゃ」

「あれ、ハナまで一緒なの?ハナ、どうしたの?」

「にゃ」

催促するようなハナの鳴き声は、葉奈にだけ向けられている。
ハナの催促に便乗して、葉奈はこの部屋から出ることにした。

これ以上ふたりの邪魔をするわけにはゆかない。
せっかくの綾乃のチャンスなのだ。たとえ腹痛中でも…

「お邪魔しました」

「お邪魔とか、そんなことは…」

ベッドの上で能天気に手を降る綾乃と、うろたえ気味の吉永の対比はとても面白かった。

ハナは今度こそちゃんと着いて来いというような厳しい視線を葉奈に向け、伊坂の寝室に向かってスタスタと歩き始めた。

そして、自分専用の入り口を使い、先に中に入って行った。
すぐに伊坂の責めるような声が聞こえた。

「ハナ、さっきからなにうろちょろしてるんだ。それにしても、ちっとも役に立たないじゃないか。葉奈を連れて来てくれるよう頼んだのに…」

「にゃあああ」抗議するようにハナが鳴いた。

「ああ、わかってるよ。さっきの女はお前が連れて来たわけじゃない。俺が葉奈に違いないと勝手に思い込んでドアを開けたんだ」

「にゃあああ」

「分かったって、もう謝ったろ!」

「にゃあああ」

「ハナ、うるさいぞ!」

葉奈は小さくドアをノックした。
伊坂の返事はなかったが、代わりにハナが「にゃあ」と返事をしてくれた。

「あの、先生。わたし葉奈です」

人の動く音が聞こえ、バッとドアが開いた。

「葉奈?よかった。どうしてここにいるのが分かった?」

「ハナちゃんが連れて来てくれて…」

「ハナ?こいつはずっとここにいたぞ」

「あの。さっき、部屋から女のひとが出てきたの見て驚いて、綾乃の部屋に飛び込んじゃって…」

「さっきの、見たのか?葉奈、あれは、誤解しないでくれ…」

焦った伊坂の言葉に、葉奈は堪えきれずに笑った。
彼女の笑いの原因が分からない伊坂が、眉をひそめた。

「ごめんなさい。だって、いま吉永先生も同じこと言ったものだから…つい」

「吉永先生?」

葉奈は伊坂の胸に飛び込んだ。もうおしゃべりは充分だ。

葉奈の選んだ毛糸はとても肌触りが良くて、それに伊坂のクラクラするような香りがプラスされ、葉奈を夢見心地にした。

「ハナ、ありがとう」

ベッドに丸くなっていたハナは、ひどく面倒くさそうに「にゃ」と手短に鳴いた。




End




  
inserted by FC2 system