恋風

クリスマスバージョン
その3 試着室



みんなに勧められ、葉奈は流れに乗せられて試着室に入っていた。
かなりの広さの試着室には、更紗が手にしていた三枚のドレスが掛けられている。

このまま、このドレスのどれかを伊坂に買ってもらうことになるのだろうか?
どうにも、すごい抵抗を感じる。

クリスマスのプレゼントだというのであれば、まだ買ってもらうことに抵抗はないのだが。
なぜか伊坂は、これはクリスマスの贈り物だからとは言ってくれない。

葉奈はため息をついて三枚のドレスを見つめていたが、ためらいながらドレスに手を伸ばし、値段を調べた。だが、どのドレスにも値段の札がついていない。

えっ、どうして…

「葉奈、試着終えたか?」

すぐにでもカーテンを開けそうな勢いの伊坂の声だ。

「ま、まだです」葉奈は慌てて答えた。

葉奈は目を閉じて、精神を立て直してから、三枚のドレスを睨みすえた。
こうなったら着るしかないだろう。

どうせ着るのならばと、彼女は三枚の中で一番好みのドレスを手に取った。

サーモンピンクの色合いのドレスは、上半身はシンプルなのに、スカートには薄い布地が幾枚も重ねられてふわりとしたデザインになっている。

その上フリルもたっぷりついていて、シックなのにかなり可愛い。

葉奈は鏡を見ずに服を着た。
鏡を見たら、みんなの前に出てゆけなくなるような気がしたのだ。

服はあつらえたようにぴったりだった。
そう言えば、サイズを言わなかったのに、更紗は葉奈を見ただけで、サイズが分かったのだろうか?

カーテンの向こう側では、着替えている間も、ぼそぼそと人の話し声が聞こえていて、ところどころ葉奈にも聞き取れた。

葉奈はスタイルがいいからきっと似合うよなどと話している。

葉奈は顔を引きつらせた。
そんな内容を耳にしては、ひどく出て行き辛い。

「ええ、イブにね、ショーを予定しているの?あなたたちもいらっしゃる?」

「わたし行きたい!でも、叔母様、招待してるのは結婚を前にしたカップルばかりなんでしょう?カップルでなくてもいいの?」

玲香の声だ。いったい何のショーなのだろう?

「玲香さんは、聡さんといらっしゃればいいわ。綾乃さんもどなたか殿方をお誘いなさい。翔さんも、葉奈さんと一緒にいらっしゃいな」

「俺たちはいい」伊坂が即答した。

「殿方なんていないしー」と呟いている綾乃の声も聞こえた。

「葉奈さんの意見は、聞いておあげにならないの?」

更紗の言葉に、伊坂は返事をしなかった。
代わりに、綾乃と玲香の「横暴だ」とか、「勝手過ぎ」とか叫んでいる声が聞こえた。

「葉奈、まだか?」

苛立ったような伊坂の声に、葉奈は慌ててカーテンの向こうに出て行った。
その途端、みんなが沈黙してしまった。

葉奈はいたたまれず、彼女とは別次元で、ふわふわと可愛らしさを強行にアピールしているドレスのフリルを、少しでも目立たぬようにと、両手でぐっと押さえつけた。

「どひゃー」と綾乃が笑顔で叫び、「わー」っと玲香が手を叩き、「あらぁ」と更紗は意外そうに呟いた。

「もう信じられないくらい似合ってるよ、葉奈」

「綾乃ってば…」いいのよ無理しないで…と言おうとした葉奈の前に更紗が進み出てきた。

「このデザインのドレスを、こんな風に表現してしまうなんて…ありえないわ」

その言葉に、葉奈はいますぐドレスを脱ぎ捨てたくなった。
どうやら、デザイナーが意図したドレスの表現とやらを、彼女はまともには表せなかったらしい。

恐縮している葉奈を余所に、更紗は葉奈の頭からつま先までゆっくりと確認するように眺めた。

「着る人によって、ドレスは変化するの。だから面白いんだけど…」

更紗が伊坂に向いた。

「葉奈さんを、イブの日に貸してくださらないかしら?」

「イブ?」

そう呟いた伊坂の目が悟ったような光を放った。
伊坂が何か言おうとしたが、彼が発するよりも早く、玲香が口を開いた。

「ね、ね、叔母様、イブの日って、ショーの日でしょ?それって…」

「そう、モデルになっていただきたいの。葉奈さんを見て、閃いたの」

「イブは予定があるんだ。ファッションショーなんて…」

伊坂がそう言ったが、更紗はまったく聞こえなかったかのように、伊坂と葉奈の間に割り込んできた。

どこまでも上品なのだが、まるでやり手のビジネスウーマンに豹変したように見えた。

「葉奈さん、どうかしら?モデル料もお支払いしますし…。そうだわ、このドレスもモデル料の一部として…」

伊坂が更紗の前に出ようと身を乗り出したが、今度は綾乃がそれを阻止するかのように前に進み出てきた。

「やったじゃない、葉奈。もちろん、やるでしょ?」

反対側から玲香も出てきた。

「やるわよー。モデルは女性の憧れだもん」

その後ろに、伊坂が苦虫を噛み砕いたような表情でいる。
完璧に、三人は伊坂の行動と言動を妨害している。

「お前らなー」

「わたしもやりたいくらいだよ」

「それなら、綾乃さんも出ていただこうかしら」

「えーっ、ならわたしもわたしも」

「それじゃ、三人一緒ということにしましょう」

更紗が丸く事を収めるように提案し、綾乃と玲香が飛び跳ねた。

「葉奈さん?」

更紗に呼びかけられ、葉奈はつられて「はぁ」と答えた。

「決まったわ」

更紗が両手を握り合わせて、嬉しげに微笑んだ。

「勝手に決めるな」

「本人の意志を尊重するべきじゃないかしら?翔さん」

更紗に言われ、伊坂は葉奈に振り向いた。

「葉奈、本当にやりたいのか?」

伊坂の鋭い目は、断れと言っているように見えた。
葉奈は伊坂から周りのみんなへと視線を移した。

「わたし…」

モデルをすれば、このドレスをもらえるらしい。
そうしたら、伊坂に買ってもらわなくても良くなるのだ。

だが、断らなかったら、伊坂を落胆させることになるに違いない。

実のところ、モデルなどいう大それたものをやる度胸は葉奈にはない。
なにより、このドレスをいただいたとしても、自分には相応しくない。

「あの、せっかく言っていただいたのに、申し訳ありませんが…お断りします」

更紗の瞳に意外そうな光が差し、綾乃と玲香がブーイングのような叫びを洩らした。
それに反して伊坂は満足そうに頷いた。

「わたしにモデルなんて無理です。それと、このドレスも…わたしには似合っていないし、あまりに高価すぎるし…」

「葉奈、何言ってるんだ。ドレスは買うに決まってるだろ。良く似合ってる…」

伊坂の言葉に葉奈は大きくかぶりを振り、試着室の中に戻ると急いでドレスを脱いだ。




   
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