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その4 おねだり
更紗の店を出てから、四人はショッピングモールの中をあちらこちら見て回った。
初めのうちは、綾乃と玲香が伊坂にぶつぶつ文句を言っていて、そんな中でかなり無理をして笑顔を見せていた葉奈も、綾乃たちの機嫌が直り、手の届く値段の店などを巡っている内に楽しくなってきた。
みんなそれぞれ自分の家の玄関に飾るリースを買い、家族へのクリスマスプレゼントなどを選んだりして、買い物が盛り上がっていたところで、綾乃が葉奈を店の奥へと引っ張って行った。
「葉奈、翔が可哀相だよ」
呆れたような顔をして綾乃が言った。
葉奈はめんくらった。
「可哀相って、どうして?」
「ひとつくらい、なんかおねだりして買ってもらいなよ」
「おねだり?」
「そう。翔もひとの気持ちを汲むの下手だけど、葉奈もどっこいどっこいだよ」
伊坂が可哀相?
なぜ、おねだりすると、可哀相じゃなくなるのだ…
まったく意味が分からなかった。
葉奈は、店内にいるはずの伊坂を探した。だがどこにも見当たらない。
「伊坂先生、どこ?」
「あれ、いないね。どこ行っちゃったんだろう」
なんだか分からないまま、心臓がドキドキして来た。
「わたし、探してくる」
速まる鼓動に急かされるように、葉奈は店から飛び出した。
「葉奈さん、どうしたの?」
店の外で左右を見回していると、玲香が声を掛けて来た。
「伊坂先生がいないの」
「お兄ちゃんなら、ちょっと用事があるって…すぐに戻ってくるよ」
葉奈が頷くと、玲香はまた店の中に入って行った。
伊坂が自分には声を掛けてくれなかったことに、葉奈は寂しさを感じた。
どうしてか、さきほどまでの楽しい気分もすっかり消えてしまい、明るい店内に戻る気分にもなれなかった。
伊坂が戻ってきたのは、五分ほど過ぎたあたりだったのだろうと思う。
けれど、葉奈には信じられないほど長く感じた。
やっと彼の姿を捕らえた葉奈は、無性に苛立ちが湧いた。
「葉奈?買い物は?もう終わったのか?」
葉奈は伊坂にそっぽを向いた。
「葉奈?」
「知らない!」
「どうしたんだ。綾乃か玲香と何かあったのか?」
伊坂が葉奈の手首を掴んだ。葉奈は衝動的にその手を振り払った。
「葉奈?」
驚いた伊坂の顔が翳った。
彼の瞳が傷ついている。それを目にして、葉奈の中の怒りが急激にしぼんだ。
「ご、ごめんなさい」
「葉奈、話してくれないと分からないよ」
葉奈は顔を赤くしてしょげかえった。
自分でも分からないのに…
「なんか、良く分からないけど、急に…イライラしてきて…」
「うん?」
「先生が、わたしに何も言わないでいなくなるから…」
「玲香に…君が楽しそうに買い物してたから…。でも、君に言うべきだったな」
伊坂の言葉に、ボンと顔が燃えた。
言葉を元に戻せるものなら、全部口に入れて飲み込んでしまいたかった。
たまらないほどの恥ずかしさが、葉奈の胸を突き上げる。
なんてわがままなことを…
「わたし…消えちゃいたい」
両手で顔を覆ってしまった葉奈には分かりようがなかったが、伊坂はその顔に堪えきれない喜びを滲ませていた。
全員両手に抱えきれないほどの荷物を持ち、ショッピングモールを後にした。
来たときは良い天気だったが、いまは木枯らしが吹き、コートを着ていてもかなり寒かった。
伊坂の車に向かっている途中で、彼の携帯が鳴り出した。
一番たくさんの荷物を抱えていた伊坂は、荷物を置いて携帯を取り出そうとした。
「寒いよ、翔」
玲香がぴょんぴょん跳ねながら言った。その隣で綾乃も足踏みをしている。
伊坂は黒のコートのポケットから車のキーを取り出し、玲香に渡した。
「先に行ってて」
玲香と綾乃は、猛ダッシュで駆けて行った。
鳴り続けている携帯を取り出しながら、伊坂が葉奈にも行くようにと手を振ったが、彼女は伊坂の側にいた。
「はい。…ああ、どうも。…そうですか。それは良かった」
話しながら伊坂は、自分の着ている横幅のゆったりしたコートを広げて葉奈を覆った。
驚いたものの、気づいたときには、葉奈は伊坂のコートの中に頭ごとすっぽりと包まれていた。
「ええ、もちろんです。任して置いてください。それで、パスポートはありましたか?」
伊坂に密着した葉奈の耳は、聞きなれた声を聞いた。
どうも彼女の母親のようなのだ。
だが、パスポートとはなんのことだろう?
「はい…はい…それでは」
「いまのって?」
「君の母上だよ。葉奈、寒いか?」
「寒くはないです」
実際ちっとも寒くなかった。
密着した伊坂の体温で、顔が燃えそうなほどほてっている。
葉奈をくるんだまま、伊坂がゆっくりと歩き出した。葉奈も歩調を合わせた。
「パスポートって?」
「家に帰ってから話すよ。あのお邪魔虫二匹のいないところでね」
「やあ、伊坂君じゃないか。こんなところで、ぐう…」
葉奈ははっとして縮こまった。
吉永先生!
吉永の言葉は唐突に止まった。
どうやら伊坂に声を掛けたものの、コートの下から覗くもうひとりの足に気づいたらしい。
「ぜん…だな」
「吉永先生、どうも」
「…持ち主は、…だろうね」
吉永の視線が自分の足に向けられているに違いないと分かった瞬間、足が棒のように硬くなった。
「ええ」苦笑交じりに伊坂が答えた。
「吉永先生は、買い物ですか?」
「うん。両親に、何かそろそろ送っておこうかと思ってね」
「ご実家は遠いんでしたか?」
「車で三時間ってところかな」
「もう贈り物は決めてるんですか?」
「それが何を選べばいいのか…毎年のことだけどね」
吉永の、くすくす笑う声が聞こえ、綾乃もこの場にいたらよかったのにと葉奈は思った。
「君の彼女をお借りして、一緒にプレゼントを選んでもらおうかな。どうだろう、佐倉」
完全にからかいの口調だ。
葉奈は担任の吉永に名前を呼ばれて、伊坂のコートの中で思わず姿勢を正した。
そんな葉奈の様子に、伊坂が笑いをこえらたのがわかり、葉奈はコートの中から伊坂にうらめしげな視線を向けた。
「それで先生、クリスマスは?誰かと約束があるんですか?」
「いや、これといって別に何もないが」
「それなら、うちに来ませんか?」
「君の…?そんなわけにはゆかないよ。他人が混ざってはご家族も迷惑だろう」
「他人だらけだから大丈夫ですよ」
葉奈は話の進展に嬉しくなって、伊坂のコートの中から顔を出した。
「吉永先生、綾乃も来るんです。いまも一緒にいるんですけど…」
「えっ、小原が…どこに?」
なぜか吉永が伊坂のコートの中を覗きこんできた。
「吉永先生、この中にはいませんよ」
笑い混じりに伊坂が言った。
「あいつは俺の車の中です」
「そ、そうか。まさかとは思ったんだ。すまない」吉永の顔がみるみる赤くなった。
「先生、綾乃がプレゼント選んでくれます。彼女、とってもセンスがいいんです」
「えっ、いや…だが…その、小原は嫌がるだろう。こんなところで担任の手伝いなんて…」
「そんなことないです。わたし、すぐに呼んできます」
葉奈は伊坂のコートから抜け出て、全速力で走り出した。
なんて素敵なチャンスだろう。
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