恋風

クリスマスバージョン
その6 嬉しさを噛み締めるために



居間のソファに座り、母を編み物の講師にして、葉奈は必死で編み棒を動かしていた。

「葉奈、少し休んだら」

母の言葉に、葉奈はいったん顔を上げて笑顔を向けたものの、編み棒の動きは止めなかった。

「うん。もう少し。お母さんがいるうちに、仕上げちゃわないと間に合わなくなりそうだから」

実際、日数的に間に合わなくなるかもしれない。

まだ授業は2日あるし、23日の終業式を終えたその日の夕方には母を空港に見送りに行って、その日から伊坂家にごやっかいになるのだ。

伊坂を前にして編むわけにはゆかないし…

こんなことなら自分のセーターを後回しにすれば良かったと葉奈は悔いていた。

まず自分のものを編んで、それから伊坂のものを編んだ方が、手が慣れて綺麗にしあげられると思ったのだ。

きついよりは少し大きめにと編んだせいで、大きすぎて編むのに時間が掛かる。

それでもできあがってゆくセーターは思ったよりも素敵に仕上がりそうだった。
淡いグレーのセーター。きっと伊坂の黒いコートに似合うはずだ。

そう考えて葉奈は唇を噛んだ。
伊坂に、とんだおねだりをしてしまった。

慌てて取り消そうとして、アクセサリーだ服だぬいぐるみだと口ばしってしまった事も、後悔に拍車を掛けていた。

綾乃に言われた言葉が胸に引っかかっていて…
伊坂とお揃いのコートとセーターを着て歩く姿を想像して、思わず…

アルバイトをしていない葉奈には、このくらいのことしかできない。
これでも精一杯だったのだ。
伊坂に相応しいようにと、ついつい高い毛糸を選んでしまったし…

自分の分を買わなければ良かったのだろう。だが毛糸を選んでいるときは、ペアの魅力に抗えなかったのだ。

そうこもごも考えているうちに、なにがなんだか分からないが、葉奈は泣きたくなってきた。

親には高校生の自分に相応しいだけのお小遣いをもらっている。それに不満はないし、それでいいと今でも思っている。

たしかにアルバイトはしたいけれど、与えられた金銭でやりくりするのも楽しい。

だが伊坂と付き合っていると、どうしても伊坂ばかりが払うことになってしまって…
伊坂はそれが当然と思っているようだが、葉奈にはどうしても当然と割り切れないのだ。

葉奈は、奥歯を噛み締めて、編み棒の先をぐっと見つめた。

編み物の手を完全に止めて百面相のごとき娘を、母親が面白そうに見つめているなどとは気づかない。

バイトか…そういえば、モデルもバイトだよねと考えて、葉奈はやってみても良かったかなと思った。

お金のことは別にしても、臆病な自分に試練を与えて成長するチャンスだったかも知れない。

…でも、伊坂はやって欲しくなさそうだった。

「葉奈」

膝を揺すられて、葉奈は考え事から意識を離した。

「はい?何」

「電話、鳴ってるわよ」

指摘されて気づいた。たしかにテーブルに置いた携帯が鳴り続けている。綾乃だ。

「お母さん明日早いからもう寝るわね。葉奈もなるべく早めにね」

葉奈は携帯を開きながらこくこくと頷いた。

居間から出てゆく母親の後姿を眺めながら葉奈は電話に出た。

「えっ、伊坂先生が?ほんとに?」

「うん。葉奈の決めることだからって言ってた。玲香も言ってたけど、更紗さん、もう葉奈に着て貰う服手がけてるよ。すごい行動派のひとだから」

「そう…で、でも…」

「葉奈さ、翔の気持ちを優先してちゃ駄目だよ。自分の気持ちを優先しなきゃ。翔は我が侭だけどさ、自分のために、葉奈が自分を殺して欲しくないと思ってるよ」

「自分を殺す?わたしが?」

「そ、いまの葉奈は、自分より翔が先になってるじゃん。そんなのおかしいよ。好きなひとに合わせて、自分を変えるのってどうよ?」

胸が痛んだ。
綾乃の言うとおりだ。

この最近の葉奈は、いつでも伊坂主体になっている。
彼が望むとおりに、彼が喜ぶようにと。

それでほっとできたし、楽しかったけれど…それではいけないのだ。

「なんか恥ずかしくなっちゃった」

「まあ、葉奈のやさしさだけどさ。翔はありのままの葉奈が好きになったんだよ。翔の思い通りになる葉奈じゃなくてさ。そこんとこ忘れないようにしないと…」

「ほんと、そうだね」

「で、やるでしょ?モデル?きっといい思い出になるよ」

「そうね。思い切ってやっちゃおうかな」

葉奈は勢いで答えた。
会話の成り行きと弾みのおかげか、なんでも出来そうな気がした。

「よーし、ほんじゃ、更紗さんに了解の連絡入れとくね。また明日ね、葉奈、おやすみぃ」

勢い良く電話が切れ、シンと静まり返った中に葉奈はひとり取り残されていた。

静けさが葉奈に問いかけてくる。本当に良かったのかと。
葉奈は頷いた。

何かを成した彼女を、伊坂に見て欲しい。





母親が出発するまでの日々は、怒涛のように過ぎ去って行った。

出発の日まで仕事が休めない母に代わって、旅行の準備もしなければならなかったし、なかなかはかどらない編み物も抱えていた。

結局、編み物は終わらぬまま、母親は旅立って行ってしまった。

空港まで母を見送りに行き、母を乗せた飛行機が飛んでゆくのを見つめ、葉奈はひとつ事を成し終えたような感覚に浸り、淋しさよりもほっとした。

そして明日はイブだ。
刻々とショーの時が近付いてくる。

一昨日は、更紗のオフィスに行き、仮縫いとモデルの特訓を受けた。

明日もかなり早めに集まって練習することになっているし、他のモデルさんとのリハーサルもあるらしい。

軽く頼んできた割には、更紗の特訓は手厳しかった。プロとはそういうものなのだろう。

歩き方が早いとか、無駄に動きすぎるとか、センターがぶれ過ぎとか、雰囲気がないとか、表現が硬い等々、一足進めるたびに指摘され、玲香などは、帰りの車の中で、モデルなんて二度とやらないと宣言していた。

はっきり言って葉奈も同じ気持ちだ。明日はその気持ちがさらに膨らむだろう。
プロのモデルと同じ舞台に素人があがるなんて、やはり無謀だと思う。

それにしても、あのドレスは本当に明日完成しているのだろうか?

仮縫いの段階のドレスは、なんだかつきはぎだらけで、完成したものがあれとあまり変わりないのだとすれば、素敵なドレスとはいい難かった。

ウエディングドレスなのだから、もちろん真っ白なドレスで、だがそんなに飾りはなく、ドレスの裾の広がりもいまいち寂しかった。

あれが葉奈をイメージしたウエディングドレスなのだろうか?

更紗はどうして、ショーの一週間前にして時間がないというのに、あんなに無理してまで、地味目の葉奈をモデルにしたいなどと言い出したのだろう?

才能のある人の考えることは凡人には理解出来ないということなのか。

葉奈は、自分を呼ぶ声に気づき、ハッとして顔を上げた。

いまは伊坂家の団欒の仲間入りをしていたところだった。

伊坂と伊坂の兄の聡が、化学雑誌に載っていた記事について、専門用語をたっぷり散りばめた会話をしていたので、葉奈は伊坂の隣で物思いに浸っていたのだ。

「葉奈、眠いのか?」

「お兄ちゃんたちがふたりして、退屈な話しばかりしてるからだよ。ね、葉奈さん、わたしの部屋でゲームでもしない」

玲香はテレビゲームが大好きなのだ。彼女の部屋には驚くほどのゲームソフトが並んでいる。

「何言ってんだ。葉奈は…」

玲香に反論口調で切り替えしていた伊坂が、言葉を止め、彼女に「やりたいか?」と問いかけてきた。

伊坂は、葉奈の意志を尊重してくれようとしている。葉奈は嬉しかった。

「わたしそろそろ部屋に…。昨夜寝るのが遅かったので…」

まだ八時半だが、葉奈の意識にはかなりの眠気が侵食してきている。

「なんだ、葉奈さん、もう寝ちゃうの?」

「玲香、お前、葉奈ちゃんと同い年なのに、なんでさんづけなんだか」

おかしそうに聡が言った。

「よ、呼べないんだもん。年上にしか思えないんだもん」

「まあ、このギャップはでかいよな」

聡が、葉奈と玲香を見比べて納得したように言った。

夫婦ふたりでなにやら話しこんでいた伊坂の両親も、話をやめて玲香と聡の会話を愉快そうに聞いている。

「悪かったわね。外見、おこちゃまで」

「玲香は花開くのに少し時間が掛かってるだけだ。いずれ聡を見返せる。気にするな」

伊坂の父親がほのかに笑みを浮べて言った。
葉奈はその笑顔に見惚れた。とても伊坂に似ている。

「なんかなぐさめにならないんですけど」

葉奈は、みなに挨拶をしてひとり自分に与えられた部屋に戻った。

伊坂は彼女に、「先にお風呂に入るといい」と言い、兄との会話の続きに戻った。
彼が着いてこなかったことに、葉奈はほっとしていた。

しばらく滞在するので、あれこれと葉奈の荷物を運び込んだ部屋は、それなりに他人行儀な雰囲気を崩し、居心地が良くなっている。

伊坂の勧めどおり、お風呂に入って疲れた身体をほぐし、あがってきてベッドを視野にいれると、思わず眠気にさらわれそうになった。

だが、やることがあるのだ寝ていられない。それでも後少しだ。
袖の残りを編み、全部のパーツをくっ付ければ終わりだ。あと二時間ほどで終わるだろう。

ベッドの上に作りかけのセーターを広げて、葉奈は夕べのことを思い出して、笑いを浮かべた。

昨夜は荷造りをしている母の隣で編み物をしたが、間に合わないという焦りのせいで、思うように指が動かなかった。

見るに見かねた麻子が忙しさの中、ハーブティーを入れてくれ、やさしくたしなめられて、葉奈は少し休憩を取った。

「編み物は、焦りを込めちゃ駄目よ。ひと編み、ひと編み、心を込めなきゃ。でないと、着たひとが心地良くないわ。それに、間に合わなくてもいいじゃないの」

「でも…」

母の言うことは分かる。だけど、どうしてもクリスマスに間に合わせたいのだ。

「やさしさとおもいやりをいっぱい込めなさい。出来上がったセーターを伊坂君が着ているのを見たとき、葉奈が嬉しさを噛み締められるようにね」

その言葉は衝撃だった。

葉奈は自分の作りかけのセーターを見つめ、それからスーツケースに父へのお土産を詰めている母を見た。
その中には葉奈から父へのプレゼントの包みも入っている。

自分がラッピングしたその包みを見つめて、葉奈は圧縮したように強張った胸から息を抜いた。

はりめていた顔が一気に弛み、自分がどれだけ切羽詰った顔をしていたかに気づけた。
全身の強張りも抜けてゆくようだった。

母の言うとおりだ。間に合わせようなどという余裕のない気持ちで編むのはやめよう。
そんな思いがこもってしまったセーターなど、伊坂に着て欲しくない。

温かなカップの蓋を取ると、ハーブの安らぐようなふくいくとした香りが漂った。

ハーブティーは美味しかった。
癖のある味わいが葉奈の心を、真ん中からあたためてくれるようだった。

「お母さん、楽しんできてね」

葉奈はありがとうの代わりにそう言った。感謝はすでに伝わっている。


葉奈は、今頃再会に浸っているであろう両親に思いを馳せながら、毛糸玉を手にとって胸に抱きしめた。

自分が、嬉しさを噛み締められるセーターを編むのだ。




   
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