恋風

クリスマスバージョン
その7 光の妖精



「視線が違う!」

鞭のようにしなる声に怯え、葉奈と綾乃と玲香は震え上がった。

鋭い声を上げたのは、さきほどまでにこにこしながら葉奈たちの歩行レッスンをしていた男性だ。

葉奈たちの怯えた様子に、彼女達の隣に並んで立っていた更紗が苦笑している。

更紗の目は少し充血していて、玲香がそれを指摘すると、昨夜はほとんど寝ていないということだった。

どうやら、葉奈たちのドレスの仕上げに徹夜をしたらしい。
それを聞いて、なぜか葉奈が申し訳ない気分になってしまった。

自分も伊坂のセーターをやっと編み上げたけれど、それでも1時前には休むことが出来た。
あの後、編み物の最中、予想していたことだが、伊坂がやってきた。

ベッドの上に転がっていものを必死で隠し、少し膨らんだ布団を気にしながら、その後小1時間ほど伊坂とともに過ごした。

ベッドに並んで座り、伊坂に寄り添ってぽつりぽつりと話をして、その時間はとても心地よかった。
あまりにしあわせで、セーターの完成も、もうどうでもいいような気がした。

葉奈の方は、そのまま伊坂と朝までだって一緒にいたかったけれど、1時間くらい経ったところで、伊坂は唇をそっとあわせただけのキスをして出て行ってしまった。

編み物を再開できて良かったのだが、ひどく物足りない思いが残った。

「やっぱ、プロには厳しいんだね」玲香が小さな声で呟いた。

「わたしらは所詮素人だからね。しかし、あーしろこーしろって言われたって直せないよ。『自分の身体を外側から見てない』ってどういうことよ」

ユキと名乗った男性がいま口にした言葉に、綾乃がお手上げというように首を振った。

「今度は、『後ろ斜め右のラインが甘い』だってさ」

玲香もユキの言葉を繰り返して乾いた笑いを洩らした。

「程よい緊張を持たせてるのよ。姿勢に張りが付くの」更紗が言った。

三人は、うーんと首を捻った。緊張しない方がよさそうだが、そういうものなのだろうか。

「あなたたちは緊張しちゃだめよ。動きがぎこちなくなるから。ほら、そろそろ出番よ。さ、裏に入って」

更紗に促されるまま、葉奈たちは裏手に回った。
そこにはプロのモデルとスタッフたちが忙しそうに動き回っている。

ここに着いてから、三人とも更紗から渡されたフォーマルなドレスを着ていた。
葉奈は例の、ピンクのドレスだ。

葉奈たちの出番は最後だ。

まるでおまけのような扱いだが、最後というのは緊張するし、せっかくのショーなのに、客席で見ることはかなわないらしい。それがちょっと残念だった。

葉奈たちの振り付けはほとんどない。
ただまっすぐにゆっくりと歩くことだけを気にとめてと、ユキには言われた。

リハーサルは、良かったのか悪かったのか分からないが無事に終わり、ショーの時間まで三十分だけ、好きに休んでいていいと言われ、葉奈は伊坂を探しに行った。

これからホールの中に、招待客のための椅子とテーブルを設置し、イブらしく華やかに飾られるらしい。

伊坂は、ホテルのロビーにあるソファにくつろいで座っていた。
彼は、リハーサルの間、更紗に追い出されたのだ。

シックなスーツに身を包んだ伊坂。

大きなガラスに差し込む日差しに不思議に溶け込み、まるで違う世界に存在しているようだった。

伊坂がふいに葉奈に向いた。まるで葉奈の視線に気づいたかのようなタイミングだった。
葉奈は嬉しくなった。

振り向いた伊坂の目が眩しげに細められた。

「リハ、終わった?」

「はい。三十分休憩していいって」

伊坂が自分の隣のソファに座るように促され、葉奈は腰掛けてほっと息をついた。
このドレスが恥ずかしくてならなかったのだ。

ドレスの華やかさに、行きすがるひとがみな振り向くのだ。
中身がこの子じゃなかったらと思われている気がして、どうにも気が落ち込む。

ロビーの玄関から数人のひとが入って来て、葉奈の視線が自然とそちらに向いた。
葉奈は目を見張った。

男性のふたりも驚くほど素敵な人たちだったが、エスコートしている女性のひとりはハンパじゃない美しさと華やかさだ。

もうひとりの女性に葉奈の目が釘付けになった。どこかでみたような…?

「妖精ってのが本当にいたら、きっとこんなだろうな」

伊坂の声が耳に入ってきて、葉奈は肯定して頷いた。

「ほんとに…なんか光に溶けて消えちゃいそう」

「消える?やめてくれ、葉奈。事実消えそうで怖い」

「でも、あのひと…どこかで。あっ」

葉奈は納得して大きく頷き、伊坂に向いた。

「あのひと、コマーシャルのひとですよね」葉奈は伊坂にそう言うと、すぐに視線を戻した。

すでに後姿になってしまい、出迎えたホテルの支配人らしき人物に案内されて重厚な扉の中に入ってしまった。

「本物に会えちゃうなんて…良かったですね、伊坂先生」

もう一度伊坂に向いた葉奈は、怪訝な顔の伊坂に気づいて眉をあげた。

「せん…翔?」

「本物って、いったい誰の話しだ」

「だからいまの。先生が妖精って言った彼女のことですけど…はい?」

葉奈は訳が分からずに伊坂に問い返した。

「妖精は…もういい。それで本物って…」

「シャンプーのコマーシャルの女性です。藤城トウキと一緒に出てる。わたしも使ってるんですよ、あのシャンプーとリンス。ああっ!もしかすると、あのサングラスを掛けた人、トウキだったかも…」

葉奈は有名人に出会えた高揚感に大きく微笑んだ。

「それにしても、高校生じゃなかったのかしら?とてもわたしと同じくらいには見えなかったけど」

その言葉に伊坂がぷっと噴いた。

「先生、いま、どうして噴いたんですか?」葉奈はとがめるように言った。

伊坂は相変わらずおかしそうに顔を歪めていたが、さっと立ち上がると葉奈に手を差し出してきた。

葉奈は腑に落ちないまま伊坂の手を取って立ち上がると、すっと伊坂が寄り添ってきた。

「愛してるよ、葉奈」

葉奈の頬に唇を寄せて伊坂が囁いた。
思ったより大きな声で、少なからぬひとが耳にしたに違いない。

思わぬことに固まった葉奈は、次の瞬間、頬を真っ赤に染めた。




   
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