恋風

クリスマスバージョン
おまけ2 姫の窮地



吉永の問いたそうな目を、翔は無視した。
胸元にフリルのついた派手なシャツと蝶ネクタイは背広の上着を着ていても、ひどく目立つ。
遠慮のない聡は、七五三だの、存在が浮いてるだの煩わしかったが、翔はそれも無視した。

音楽がやさしくゆったりしたものに変わり、ライトもやわらかで明るいものになった。
フィナーレだ。

これで煩わしい聡も、吉永も、ひとのことに構っていられなくなる。

舞台のモデル達の出入り口の両方から、似たような雰囲気のドレスを着たモデルがふたり登場した。

向かって右が玲香、左が綾乃だ。
ふたりは舞台のセンターで、楽しげな笑みを浮べている。

翔は苦笑した。
ふたりとも初めてにしては上出来だ。特に緊張した様子もない。

照明はふたりだけを強烈に照らし、まるでこの部屋の空間に浮いているように見えた。

これだけの光に照らされると、それだけでクラクラするものなのだが…
ふたり一緒なのが良かったのかもしれない。

翔は隣の吉永に視線を向けた。思った以上の反応だ。

いつもきりりっと引き締まった口を心持ち半開きにし、見開いた目で、呆然として綾乃の姿を追っている。

吉永にとって玲香の姿など、これっぽっちも視界に入っていないに違いない。

「我が家の姫もけっこう色っぽいじゃないか?なあ、翔」

聡に言われて翔は玲香を見た。

確かに、いつもの玲香ではない。
少なくとも中学生には見えないくらいの女らしさが漂っている。

「そうだな。あいつも思ったより成長してるらしい」

翔は笑いながら、綾乃と手をつないで舞台の中央に戻ってゆく玲香を見送った。

徐々に翔の心音が大きく速くなってゆく。
自分の出番が迫ったからではもちろんない。

葉奈がどんなドレスかなんてことには、それほど興味はなかった。
ただ彼女が現れる瞬間が近付いているというそれだけで、ドキドキと胸が高鳴る。

照明の位置が突然変わった。
綾乃と玲香の姿がパッと消え、ひとりのモデルが光の中に現れた。

会場が大きくどよめいた。

真紅のウエディングドレス。
顔の半分ほどを覆っている淡い赤のベール。両手で持っている純白の薔薇のブーケ。

葉奈だ。

もちろん、すぐに分かった。
だが、赤いドレスに身を包まれた彼女は、身動きひとつしない。

会場のどよめきが収まり、モデルが動かないことにざわざわとした囁きが広がり始めた。
人形?という単語があちこちで飛び交っている。

翔はさっと立ち上がり、背広の上着を脱ぎ捨てると、紙袋のタキシードの上着を掴み肩に羽織った。

「兄さん、吉永先生、玲香と綾乃がもう一度こちらに戻ってくる。そしたら舞台の先端の両側に立って。ふたりが飛んで来るから受け止めて」

上着のボタンを手早くはめながら、ふたりに視線も向けずに早口で告げて走り出し、次の瞬間、翔は舞台に飛び乗った。

本当は、翔の出番はもう少し後だった。
葉奈が先端まで歩いて戻り、綾乃と玲香を連れてもう一度先端まで歩く。

その時に、スタッフが用意した踏み台を使って舞台に上がり、葉奈を迎えるという演出だった。
だが、いまはそんな悠長な演出など構っていられない。

「葉奈!」

翔は葉奈の意識に届くように、大きな声で叫んだ。

まるで血肉のない作り物のようだった葉奈に、一瞬で生気が戻った。
彼女はハッとして顔を上げ、翔を見つめた。

「おいで」

翔は葉奈に向かって片手をまっすぐに差し出した。

ひどくゆっくりと葉奈の身体が動き始めた。
ブーケが、その存在を忘れられたように彼女の手から離れ、床に落ちた。

葉奈は翔だけを見つめ、無心で近付いてくる。
彼女の世界にはいま、翔しか存在していないかのようだ。

翔は急激に胸が熱くなった。
彼は込み上げてくるものに抗うように、大きく息を吸った。

葉奈の手はとても冷たかった。
彼女の中にぬくもりを注ぐように、翔は葉奈の手を強く握り締めた。

葉奈の頬に手のひらをあて、翔は彼女の顔を覗きこんだ。
頬にほんのり温かみが戻ってきたのを見てほっとし、翔はもう大丈夫だというように彼女に頷いた。

葉奈を促して翔は一度大きく回り、舞台の中央へと向かって歩き出した。

センターに戻ったところで、部屋の照明が落ちた。
何も聞かされていなかったのか、驚いた葉奈が小さく叫んだ。

さっとスタッフが駆け寄ってきたのが分かり、不本意だったが、翔は葉奈から離れた。

パッとライトがつき、明かりになれた目が葉奈を捕らえた時、翔は思わずほおっと息を吐いた。

真っ白な花嫁がいた。

観客がわあっと湧いた。

翔は呆然としている葉奈の手を取った。
葉奈が顔をあげた。

頬を染めた葉奈の神秘な生のある表情は、息が詰まるほど美しい。
この場で抱きしめてキスをしたい気持ちを、翔はぐっと堪えた。

「葉奈、いくよ」

翔は葉奈の耳元に囁き、彼女の腰に手を当てて歩き始めた。

舞台の先端までやってくると、翔が早口に説明したとおり、聡と吉永が立っていた。

吉永のあたふたした様子に、翔は堪らず苦笑した。

玲香と、綾乃が無事、それぞれの男性に受け止められたのを確認して、翔は葉奈に向いた。
彼女は緊張から開放されたようで、嬉しげに微笑んでいる。

翔は葉奈の全身に視線を這わせた。
困ったことになったかもしれない。

葉奈はひどく舞台栄えするようだ。
スタイルもさることながら、この破格の笑み。

「葉奈」

翔は不安を押して、葉奈に声を掛けた。

葉奈の髪を飾っている薔薇を一本抜き取り、翔は葉奈の唇へそして自分の唇に押し当てた。

キスが出来ないのなら、これで我慢しよう。

タキシードの胸のポケットに薔薇を挿し、彼は葉奈の視線を捕らえた。

愛してる

それは質問であり、胸に溢れてくる思いでもあった。
葉奈が翔の唇を見つめ、大きく微笑んだ。

葉奈のすべては、俺のものだ。

翔は微笑みを返しながら、胸のうちでそう宣言した。




End




  
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