恋をしよう 
その2 思いがけない成り行き



自己紹介はみな個性的で、愉快で楽しいものだったが、自分の番が最後の詩歩には、楽しめるはずもなかった。

自己紹介が続くにつれて、最後の列ともなると、さすがにみなも飽きて来たようだ。
だが詩歩の前の矢島で爆笑の渦となり、おかげで詩歩の存在はさらに霞んだものになった。

詩歩が座ると同時に、担任の淀川が話し始め、自分の存在の軽さにおかしさが込み上げてきて、詩歩はくすっと笑って肩を小さく揺らした。

ふっと顔を上げた詩歩は、自分に向けられた視線に気づいて横を向いた。
海斗がやさしい笑みを浮べて詩歩を見つめていた。
詩歩は飛び上がるほど驚いた。

詩歩は窓の外を反射的に見た。
彼が自分を見つめていたなど、そんな大それたことはありえない。

窓枠にすずめが止まっていたらしく、今しがた飛び立ったすずめの背が見えた。
彼はこのすずめを見ていたに違いない。

そう確信して、詩歩は安堵し、そんな自分がひどく可笑しかった。

一時限目はホームルームだった。
全員がなにかしら役を担うことになっている。

みんなが好きな先生の教科担当の役に、テキパキと手を上げてゆき、最終的にじゃんけんでどんどん決まってゆく中、教室の端っこにいる詩歩は、手を上げても目立たないのか、じゃんけんにすらまったく参加できない有様だった。

詩歩は途中で諦めた。
何かしら残るのだから、もう最後に残った役でいいと居直った。

「それじゃ、あとはクラス委員か」

出席番号が一番のおかげで司会を任された相田が、教卓に置いた紙を見て愉快そうに言った。

「最後まで残っちまった奴がクラス委員ってのが凄いよな」と男子のひとりが言って笑った。

「メインは最後と決まってる。最後までぼやぼやしてた奴は、喝をいれたらんとな」

教卓の横に置かれた椅子に、どっしりと座った淀川が、チクチクと痛そうなひげをさすりつつ、にやりと笑った。

詩歩は、唖然として言葉を失くした。

クラス委員…

「それじゃ、そのぼやぼやしてたのは、いったいどいつだよ。決まってない奴、手上げて」

「俺」

矢島が手を上げた。
教室に大きなどよめくような笑いが上がった。

「お前かよー。何やってたんだよ」

「いや、なんでもいいかと思ってたもんで」

まあ、別にどうでもいいという感じで、矢島は笑っている。

「いいんじゃない。矢島君なら適任だし」

一番前に座っている女生徒が朗らかな声で言った。

「それじゃ、あと女子は誰だよ」

詩歩は一度目を閉じてから、手を上げた。
自分のすべての気配を消したかった。

「え、誰?」と相田が言った。

教室がシーンとした。
この賑やかな教室に、初めてしらけた空気を流した張本人になり、詩歩は気が落ちた。

「渡会です」

「え、聞こえないぞぉ。もう少し…」

「渡会詩歩。相田君、本当は聞こえたんだろう? よく通る澄んだ声だ」

海斗らしい、諭すようなやさしい語り口だった。
相田が誤魔化すように頭を掻いた。

「ちょっとからかっただけだよ。それじゃ、クラス委員は矢島と…えーと」

「渡会」
呆れたように海斗が言った。

「そうそう、渡会さんで決まりました。ほんじゃ、あとよろしくぅ」

そう言うと、相田は席に戻って行った。

「やれやれ。ほんじゃ、行くか?詩歩」

面白がってだろう、矢島が詩歩を名で呼んだ。
途端にピューピューと冷やかすような口笛がいくつか鳴り響き、詩歩は一度息をつくと立ち上がった。

諦めは早いのだ。
どうしようもないと分かった時点で、いつも詩歩は開き直る。

矢島のリードで司会は進み、愉快なムードのままホームルームは終わった。

彼は司会の間中、詩歩、詩歩と繰り返し、最後にはクラスのみんなまで詩歩のことを名で呼び始めた。

「クラス委員は、今日全体会があるからな。放課後、生徒会室に行くの忘れるなよ、矢島」

「なんで俺だけ名指しなんだか。詩歩には言わないのかよ、先生」

「しっかりしたやつには言う必要はなかろう」

「なんだよそれぇ。お前が笑うな、詩歩」

笑いの輪の外から眺めている気分で、ゆったりと微笑んでいた詩歩は、「ごめんなさい」と言いながら、矢島に小さく頭を下げた。

「ほんと、詩歩の声って、澄んでていい声だね。歌うまそう」

ほわんとした顔でくるみが言った。
クラスが同意して頷き、数人が、「歌、歌ってぇ」と言った。

詩歩は急に居心地が悪くなった。
彼女は、話題の中心になるような存在ではないのだから。




   
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