恋をしよう

番外編 くるみ視点
   陰謀に加担のお約束



まただ…

秋も深まったこの季節、目には暖かそうな日差しがあっても、外の風は日一日と冷たさが増している。

くるみは、生徒会室の窓辺に寄りかかり、じっと一点を見つめている保科海斗の姿に、含んだ笑いを洩らした。

9月に行われた生徒会の選挙で、これまで例のない圧倒的な票を獲得し、めでたく生徒会長に任命された、誉高い男だ。

本人は、そんなことなど、針の先ほども喜んでいないようだが…

くるみは保科の横顔と、そのすらりとした肢体を、つくづくと眺めた。
一部の隙もなくみえる人間というのは、このように存在するものなのだ。

くるみは、ひとりうんうんと、納得して頷いた。

見目のよさは抜群。
この年齢の男子にありがちな、脂ぎったところがないし、愚かなお子ちゃまのような行動もしない。

その身体も行動からも、不思議なしなやかさと表現したくなるようなものが感じられるのだ。
それが彼をこの世のものではない人間に思わせる…

つまりはそれこそが、カリスマ的オーラとかいうものなのだろうか?


彼が聡明すぎ冷静すぎるからかもしれないが、保科は他人との間に、ダイヤなみの硬度を持つ壁を築いているのではないかと、くるみには思えた。

くるみは生徒会役員をともにやっているという繋がりで保科と親しいが、けっきょくはそれだけだ。

彼は絶対に、ある線から中へはひとを踏み込ませない。

だがそれは、彼が無意識にやっていることで、けして意識あってしていることではないようだった。

人当たりがよく、確かにやさしく…それでいて、冷たい感じをひとに与える不思議な男…

どうも完全なものを打ち砕きたくなる性分が、くるみにはあるようだった。

この完璧な男の壁を崩壊させられたら、ずいぶんと爽快な気分が味わえるだろう。

くるみは思わずにやりと笑った。

その壁崩壊の取っ掛かりが、どうも見つけられたようなのだ。

保科の視線の先に…それ…がある…

くるみはそれを確固たるものとすべく、この数ヶ月ずっと保科を観察してきたのだ。

彼は人に悟られぬよう、細心の注意を払ってさりげなさを装っているようだが、このでっかいくるみの目は欺けない。

ふっふっふ

くるみは胸の内で、会心の笑いを洩らし、保科に一歩近付いた。

「渡会詩歩」

くるみの囁きに、保科の肩が、びくりと一瞬跳ねた。

彼女は湧き上がる狂喜を押さえつけなければならなかった。

保科がゆっくりと彼女に振り返った。

いつもやさしげな笑みを絶やさないその表情に、いま笑みはない。

彼は何も言わなかった。
どうも、くるみの出方を待っているようだ。

「彼女に、とんでもなく興味があるようね」

くるみはちゃめっけたっぷりに微笑みながら保科に言った。

保科は、さらにじっとくるみを見つめてきた。

冷ややかではないが、お尻のあたりがむずむずするような、居心地の悪くなる視線だった。

「興味だけじゃない」

保科の言葉に不意を付かれ、くるみはぽかんと口を開けた。

「手に入れるつもりだよ」

保科の口の端に、いささか怖い笑みが浮かんだ。

くるみはごくりと唾を飲み込んだ。

こんな保科を見たのは初めてだ。

「手に入れるというのはちょっと、言葉が悪くないかしら。普通は付き合うとか…」

いったい、彼女はなぜに、保科の暴言を改めさせようとしているのだろう?
自分でも分からなかった。

「そういうレベルじゃないから」

さらりと語られた保科の言葉に、くるみは眉をひそめた。

レベル?
高校生の恋愛に、どんなレベルがあるというのか?

恋愛に関しても、この保科海斗…凡人の理解の及ばない男のようだ。

しかし…?
レベルじゃなくて…?手に入れるつもりで…??

疑問符をひとつひとつ指で握りつぶしながら、くるみは保科に質問を投げかけた。

「保科君、いったい何をどうするつもりなの?」

「それを考えてるところさ」

考えてる?

この保科海斗のような男が…好きな女の子が出来て、いったい何を考えるというのだ。

くるみは、保科の興味の対象を、窓越しに見つめた。

保科の恋する彼女は、美術室の一番後ろの窓際に座ってキャンバスを前にしている。

彼の気持ちを知ってから、それとなく観察してきた渡会詩歩は、とてもおとなしそうな子だった。

押しの強い保科には、お似合いかもしれないが、保科ほどの男を相手にするのでは、渡会詩歩の精神は持たないかもしれない。

「保科君、美術室に出掛けていって、彼女に告白すればいいのよ」

保科の目が冷たく光り、くるみは心の中できゃっと悲鳴を上げた。

「断られるに決まってるだろ。君は思ったよりも、洞察力が乏しいようだな」

断られる?保科海斗が?

「な、なんで?」

目をぱちくりさせていたくるみの脳は、保科の口にした後部の言葉を理解していった。

彼女は目を三角に吊り上げた。

「…な、なんですってぇ」

「まあ、君は彼女の性格を分かっていないのだから…仕方が無いかな」

「保科君は、わかってると言うわけ」

「少なくとも…突然目の前に現れて、付き合って欲しいと言った僕に対して、彼女が『はい』と言わないだろうというくらいのことは分かってる」

そう口にしながらも、保科の視線は一時も彼女から離れない。

彼の横顔と瞳は、くるみが誰の顔にも見たことがないほど、切なさを滲ませていた。

くるみは彼の一途過ぎる表情に、思わず胸がジーンとなった。

保科にこれほどの切なさを味あわせる女生徒が現れるとは…

くるみのお尻に、突然、悪魔の尻尾がぴょこんと生えた。

校内新聞の号外を作り、屋上からばら撒いたら、いったいどれほどの騒ぎになるだろう?

くるみの瞳がランランと輝いた。

邪な輝きをまざまざと発しているくるみに気付いて、保科がじっと見つめていることに、悪魔に豹変した彼女はちっとも気付かなかった。

校内放送で暴露するというのも、気が狂いそうなほどそそられる…

くるみは「くっくっく」と忍び笑いを洩らした。

「柏井さん、君、いま、何を考えてるのかな?」

邪気すら感じさせる冷気を含んだ突風が、くるみの浮かれた熱を底から拭い去って行った。

悪魔の尻尾は、存在が明るみになるのを恐れて、凄い勢いで引っ込んだ。

くるみは、強張った笑みを浮かべて、無理やりに首を左右に振った。

「な、なんにも…なんにもです」

ぎこぎこと首を振るくるみに、保科はぎょっとするほどやわらかな笑みを見せた。
だが、その瞳に笑みはない。

「後悔というのは、後でしか出来ないものだけど…実際、味わってからでは…遅すぎるよね。そう思わない?」

ぎ、ぎょわいーーー (注: こ、怖いーーー)

言葉と表情がやわらかすぎるぶん、その怖さは爆発的に増している。

くるみは一歩また一歩と後退し、保科との間隔に安心の水準をみたところで退却を止めた。

「そ、それでどうするつもりなの?」

「どうするとは?」

保科はくるみの質問の意味を分かっていながら、わざと問い返したように思えた。

まるで、これからの会話の進行を自分の思うように推し進めるためのように…

「彼女を…まあ、その、手に入れるというのか…そのために…」

「君ならどう?」

「わたし?」

「そう、もし、君が詩…」

保科は唐突に言葉を止め、俯いて舌打ちをした。

顔を上げた彼は、眉間を寄せてくるみを鋭く見つめてきた。

いったい何が彼に起こったのか分からず、くるみは首を捻った。

「保科君、どうしたの?」

「いや…君が彼女の立場だったら…」

「そりゃあ、好きと意識してた相手ならいざしらず、言葉も交わしたことのないひとに突然告白されても、やっぱり困るかしら?」

先を促すような保科の視線を受け、くるみはさらに考えながら言葉を続けた。

「なんらかの繋がりが欲しいわよね。役員を一緒にやるとか、同じクラスの一員で、隣同士の席になるとか…やっぱり自然な形で身近にいて、話しをして…相手を理解して…」

「それだけのことを全部やったとして、彼女の心が恋に発展する確率は、どのくらいまで上がると思う?」

保科らしからぬ愚問だ。

くるみは笑い飛ばした。

「そんなの分からないわ。同じ役員になって、同じクラスで隣の席になったからって…」

くるみは笑い顔のまま顔を固めた。

保科の目が、怖いほど鋭くなっている。

「で、でも、保科君だから…」

「僕…?」

「そう。相手が保科君なんだもの、確率は他の男子など及ばないほど高いわよ。安心して当たって砕ければいいのよ」

「当たって…砕けろ?」

どうやら、怒ったようだ…

くるみは「ひっ」と声にならない声で叫び、両手を合わせて逃げ腰になった。

「そそそ、そんな意味で言ったんじゃないの。アタックすればいいのよ。ほぼ百パーセントの確率で、彼女は保科君のものよ」

たぶん…とくるみは胸の内で続けて、無理に微笑んだ。

「君が請け負ってくれるのかい?ずいぶん心強いな」

「もちよ。請け負うわ。絶対よ」

くるみは力強く肯定した。

「それじゃ…頼むよ」

くるみは、一時停止した。

頼むとは、どういうことだ?

「実際、君の言うとおりだろう。自然に親しくなるのがやはり一番だ」

いままで窓から離れようとしなかった保科が、くるりと踵を返して手近な椅子に座り込んだ。

くるみは渡会詩歩が気になって、美術室の窓を見たが、もうそこには誰の姿もなかった。

「あの、保科君?」

「淀川先生とは、すでに取引した」

淀川?

「と、取引って? 淀川先生と取引なんかして、保科君、大丈夫なの?」

「僕は君とは違うよ。それに賭けをしたわけじゃない」

君とは違うという言葉に、さすがにカッチーンと来たが、くるみはなんとか自分をなだめた。

「どんな取引をしたの?」

「先生の仕事を…かなり引き受けた」

保科がかなりというくらいだから、よほどなのだろう。

「それで、保科君は何を受け取ったの?」

保科が、意外そうに眉を上げた。

「君はすでに知っているじゃないか」

くるみはきょんとした。

「知ってるって、わたしが何を?」

「ヒントをあげるよ」

「ヒント?」

「淀川先生は、クラス分けを任されてた。来年、君と僕は同じクラスになる」

保科は妙にさらりと口にした。

くるみは眉をひそめた。

任されてた…?来年のことなのに、それが過去形なのはどうしてなのだ?

それに、くるみと保科が同じクラスになると、まだ決まってもいないことを、なぜ彼は断言したのだ?

くるみははっとした。

「ま、まさかと思うけど…引き受けた仕事って」

彼女は目をまん丸に丸めて、保科をまじまじと見つめた。

「もうひとつ、いいことを教えてあげるよ。矢島も僕らと同じクラスなる」

「や、矢島が、どうしてここに、とっ、突然出てくるのよ」

焦ったあげくにどもった自分の首を、くるみは絞めたくなった。

「さあ、どうしてかな?」

保科がくすくす笑った。

ふたりの周りで、真実の小人が跳ね回っている。

無抵抗に真っ赤になったくるみは、そいつらを一匹残らず捕まえて、窓から放り投げてやりたい衝動に駆られた。

「それじゃ、僕は帰るよ。淀川先生のところに、今日の報告にもゆかなきゃならないから…」

「保科君」

部屋から出てゆく保科を、くるみは思わず呼び止めた。

「どうしてこんな回りくどいことをするの?春までに、彼女が誰か他の男の子に、恋をしちゃったらどうするつもり?」

保科の手前、口には出来なかったが、いまだって、彼女に彼氏がいないとは限らないのに…

「心配いらない。彼女は僕に恋をする」

くるみは呆れた。

「そのすさまじい執念のこもったような自信は、いったいどこからくるの?」

保科の澄んだ笑い声が廊下に反響した。

「君の表現は最高だな。自信なんてこれっぽっちもないさ。ただ…」

保科が宙を見据えた。
そして、まるでそこに誰かがいるように、静かな笑みを向けた。

「言葉に出来ないな。…そう感じるだけさ」


廊下に保科の足音が響くのを聞きながら、くるみは腕を組んで椅子に座り込んだ。

けっきょく…
彼女はいいように手玉に取られたあげく、保科のたくらみに加担することになったのだ。

そして、来年の4月…
とんでもなく楽しいことがくるみを待っているようだった。

空っぽの部屋を意味もなく眺め回していたくるみは、突然笑いの発作に見舞われ、高らかに笑い出した。




  
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