恋をしよう 

クリスマス特別編
その2 イブの予定変更



詩歩は空を見上げて、笑みを広げた。

冬の雲は、厚みも色合いも形も独創的…まるで、子どもがクレパスで気まぐれに描いたみたいだ。

勢いがあって力強くて…弾力もありそう…

「詩歩」

自転車を押しながら隣を歩いている海斗に呼び掛けられて、詩歩は海斗に視線を向けた。

「はい?」

「イブの日の夜…君は当然家族と過ごすよね?」

詩歩は頷いた。
もちろん父や真理と過ごすことになるだろう。

「海もでしょ?」

海斗は仕方なさげに頷いた。

ふたりは同時にため息をついていた。

そして、それがおかしくて笑いあった。

イブの夜は、とても特別なものを感じる。
できれば詩歩の家のパーティーに来てもらって、海斗とともに過ごしたいけれど…

お互いの家族があるのだから、やはり仕方がないだろう。

その代わり、25日は、くるみの強い提案で、4人して遊園地に行くことになった。
くるみによると、クリスマスの遊園地は、催しものが驚くほど凝っているらしい。

「イブ…君と一緒に過ごしたかったな…」

詩歩は無言で頷いた。
海斗のその言葉だけで、いまは充分だ。

笑みを浮かべて海斗を見上げた詩歩の顔を見つめて、海斗が足を止めた。
詩歩も立ち止まった。

「海、どうしたの?」

「いや、瞼のとこ…何かついてる」

「え?何が?」

詩歩は思わずパチパチと瞬きし、右手を上げて瞼に触れようとしたのを、海斗に手首を掴まれて阻まれた。

「そんなに瞬きしたら、目に入っちゃいそうだよ。ちょっと目を瞑ってごらん。取ってあげるから…」

詩歩は海斗に向けて顔を上げ、素直に目を閉じた。

次の瞬間、唇に温かくてやわらかなものが触れた。

「か、海」

「ほんとは、こんなもんじゃ足りないんだけど…」

詩歩の抗議などまったく意に介さず、海斗はぶつぶつと呟き、また歩き出した。

路上でとんでもないことをやらかした張本人だというのに、彼はいつも通りの、何事もなかったような涼しい顔をしている。

それが詩歩には不服でならない。

まんまと、海斗の罠に嵌められた詩歩の方は、真っ赤に染まっている顔をどうしようもないまま、もてあましているというのに…

こんな風に、海斗はいつでも突然のキスをしてくる。

歩いている自分に、道行く通行人の視線が注がれているような気がしたが、たぶんそれは、残念ながら、彼女の思い違いとかではないだろう…


家の玄関が見える位置まで来て、詩歩は門のところにいる真理に気づいた。

なぜか微動だにせず、手にした封書のようなものを睨みつけている。

「真理さん、ただいま」

詩歩は門の近くまで来て、真理に声を掛けた。

「ああ、ふたりともお帰りぃ。寄り道でもしてたの?遅かったじゃない」

「うん。くるみちゃんと、矢島くんも一緒に、駅前の喫茶店でおしゃべりして、それから本屋さんにも寄って来たから」

「なんだ、みんなしてお茶してきたの。おいしいレモンパイが焼けてるのにぃ…海斗君、寄ってけないの?」

「残念だけど、今日はこれで帰ります」

「そうかぁ…」

真理はそう言うと、無念そうに唇を尖らせた。

「それじゃ、詩歩、また9時に」

すでに自転車にまたがっていた海斗は、詩歩に向けて手を上げた。

「はい。海、気を付けてね」

「うん」

その言葉とともに、海斗の自転車は滑るように走り出し、角を曲がってすぐに見えなくなった。

海斗の姿が見えなくなった途端に、詩歩の胸に切ない淋しさが広がった。





「ねえ、さっき何を睨んでたの?」

玄関先で靴を脱ぎながら、詩歩は先に家に上がった真理に尋ねた。

「睨んで?あ、ああ。これのこと?」

「それ、なんなの。郵便?」

「そ。結婚式の招待状よ」

「結婚式?誰の?」

「詩歩も知ってるひと。私の悪友、村本ちゃんよ」

詩歩の頭の中に、真理の親友の村本早苗の面影が、はっきりくっきり浮かび上がった。

「村本さん…結婚するの?」

意外だった。

村本は、とても個性のある女性だ。
真理と同じ年で、真理同様にずーっと独身を通してきた…

というか、あの人に限っては結婚とか、主婦とか、旦那様の存在というのが、どうにもしっくり来ない。

詩歩がそう思ってしまうほど、極端に男勝りなひとなのだ。
行動からして、極度に荒っぽい。

この家に遊びに来たときに、彼女が物を壊さないで帰ったためしはないように思える。

「へえーっ、へぇーっ」

詩歩は驚きが過ぎて、何度もそう叫びながら自分を納得させようとしてコクコクと頷いた。

「驚くよねぇ。私なんか、こいつを郵便受けから取り出した時、腰抜かしちゃったわよ」

真理があははと豪快に笑う。

「あいつだけは、一生結婚なんて縁がないと思ってたんだけどなぁ。世の中わかんないもんだわ」

「前もって、何か言って来たりとか、なかったの?」

詩歩は真理に質問しながら、封筒を持って居間へと入ってゆく真理の後に続いた。

いつも、洗面所で手洗い、自分の部屋で着替えという手順が、帰ってからのお決まりのコースなのだが、村本の結婚式の話題の方が気になる。

「ううん。何も」

そう言うと、真理はなぜか腰に手を当てて胸を張った。

「村本ちゃん、私をどひゃーってくらい驚かせたかったのよ。でも、マジ驚いたなんて一言だって言ってやるもんですか」

「言ってあげればいいのに」

詩歩は笑いながら言った。

「やーよ」

真理は引き出しからはさみを取り出し、封を切って中身を取り出すと、それを開きながらソファに座り込んだ。

詩歩も、真理のまん前に座った。

招待状だけでなく、手紙も入っていたらしい。
真理は手紙を読み終えると、クスクス笑い出した。

「村本さん、なんて?」

「私が結婚したのが刺激になったんだって。自分も、ずっと付き合ってた彼と、試しに結婚してみるって」

試しに…?

なんとも、村本らしい発想だ。

「それでね、三人で一緒に出席して欲しいって」

「わたしも出席していいの?でも、村本さんって、引っ越したんじゃなかった?この近くの式場で、結婚式するの?」

塾の講師をしている村本は、2年くらい前に、ちょっと遠い場所の塾に異動になってしまったのだ。
それでも、年に数回は遊びに来てくれるが…

「ううん。一泊することになるわ。でも、詩歩の学校も23日までで、24日から冬休みなんだから、行けるじゃない」

詩歩は眉間を寄せた。

「結婚式って、いつなの?」

「24日」

それでは…イブではないか…

「クリスマスイブの日?」

「そう。村本ちゃんらしいよねぇ。普通イブなんて日、選ばないって。まったく、あの子ってば、世間様がみんな、自分のために祝ってくれてるぅ〜、なんて気分でも味わおうってんじゃないの」

真理は呆れた声を張り上げ、ブッと噴いた。

「ダ、ダメダメ」

詩歩は慌てて、手と首を横に振った。

「ダメ?えーっ、どうして?」

「だって、ほら。もうみんなと約束しちゃったもの。真理さんにも言ったでしょ?イブの昼は由香里と美都とパーティー。その後の午後は、海斗と過ごすことになってるし、次の日は、海にくるみちゃん、矢島君の4人で、遊園地に行こうって今日決まったとこだもの」

「でも一泊するのよ。イプの夜、詩歩、ひとりになっちゃうじゃない」

真理は顔をしかめて考え込んだ。

「それなら、行くの止めようかな?」

「そんなのダメよ。誰が行かなくても真理さんだけは絶対に出席してあげなくちゃ。もちろんお父さんも。お父さん、真理さんの夫として出席したいと思うわ」

真理は渋い顔で思案し続けているが、どうにも心を決めかねているようだ。

「わたし、昼間は、パーティーだし、夕方までは海と一緒だもの。翌日は朝から遊園地だし…」

「海斗君と過ごしたいのは分かるけど…それでも、夜、詩歩をひとりになんて出来ないわよ」

「でも、お父さんが一緒に住むようになるまでは、真理さんが泊まりの仕事があったとき、わたしひとりでお留守番してたじゃない」

「それとこれとは別よ。イブなのよ」

「平気だってば」

「ねぇ、ホントに結婚式行かない?」

「イブでなかったら、行きたかったんだけど…」

村本の花嫁姿は、想像がつかないぶん、ぜひこの目で見たかったが…

「写真いっぱい撮ってきてね」

そう言った詩歩の言葉は、真理の耳に入っていないようだ。

「…そうよね。海斗君と一緒に過ごしたいわよね」

何を考えてか、真理はそう言った後、黙り込んだ。

「真理さん?」

「海斗君に、イブの日、詩歩を連れてくなんて…とてもじゃないけど、私、言えないわ。海斗君、物分りが良さそうだけど…詩歩が絡むと、怖いからねぇ」

真理は招待状を取り上げると、それを見つめながら、ソファの背にもたれかかって顔を天井に向けた。

「ねぇ、詩歩ちゃん」

「うん?」

「保科の家で、イブを過ごしたらいいんじゃない?」

「海の家で?」

「そうよ。それがいいわ。海斗君に言って、彼の家のパーティーに、詩歩を招待してもらえばいいのよ。海斗君も、詩歩と一緒にいられるって聞いたら泣いて喜ぶわ。詩歩ちゃん、携帯、携帯」

「携帯?」

「海斗君、そろそろ家に着く頃でしょ?電話を掛けて、私から頼むわ」

詩歩はフルフルと首を振った。

「遠慮なんかいらないって、詩歩が行くってことになれば、保科のみんな、大歓迎してくれるわよ」

「わ、わたし、自分で頼んでみる。今夜9時に海から電話来るし、その時に…」

「そう?なら、後日改めて、私から保科のおばあ様に、詩歩をよろしくってお願いの電話すればいいかしらね?」

「あ…うん」

今夜の電話で…海斗に言ってみよう…

海斗も…たぶん…いや、きっと…喜んでくれるはずだ。

正直、保科家のイブのパーティーに自分を混ぜて欲しいと頼むのは、ずいぶんと気が引ける。

だが、恥ずかしさを押してこの課題をクリアすれば、海斗とイブの夜を一緒に過ごせるのだ。




   
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