恋をしよう

クリスマス特別編
その4 正しい決断



成道は唯にとって、脅威だ。

もちろん彼を愛している。けれど、脅威であることに変わりはない。

彼の生きる速度と、唯の生きる速度には大きなズレがあると彼女は感じる。

行動力がある成道に対して憧れを抱くけれど、彼の速度についてゆこうとすると、無理があるのか、唯にとって大きな負担になる。

自室の机を前に腰掛けていた唯は、机上に置いてある写真立てを見つめた。
成道と唯の結納の日の写真だ。

緊張しすぎて、カメラに凄むような視線を向けて硬い表情でかしこまっている自分。
そして自然体の笑みを浮かべて、唯の肩を抱き、やさしい眼差しで彼女を見つめている成道の横顔…

素敵過ぎるのだ…
唯のような地味な女には似つかわしくないほど…

婚約してから数日経たないうちに、社内にふたりが婚約したことが知れ渡った。
噂の出所は、成道本人だった。

唯も、ことさら隠すつもりはなかったけれど、出来れば女子社員の耳に入らない方が良かった。

成道が唯と婚約したことで、数人の女性社員が辞職していった。
理由はあからさまで…

成道の知らぬところで、唯はあてつけがましいことやそしりを受け、ずいぶんと辛い目にもあった。

いまだに口を聞いてくれない同僚もいる。が、もちろん、そんなひとばかりでないからこそ、仕事を続けていられるのだが…

どうしてなのかわからないが、成道の相手が唯なら許せるというひとも多い。

性格がおとなしいからだろうか?地味だから?

突然ぐっと胸が詰り、涙が込み上げ、唯は大きくしゃくりあげた。

この最近、彼はため息ばかり付いている。
そして、彼がため息を付くたびに、唯の心臓はきゅっと収縮する。

成道から、婚約解消を言い渡されるのも、時間の問題かもしれないなどと暗い考えに取り付かれる。

脅威の存在の成道に対して、唯はどう接していいか戸惑うばかりだ。
もたもたしてはっきりしない唯に、成道は嫌気がさしてきているのだと思う。

特に、イブのことが話題になってからこっち、ふたりの間に大きな溝が出来てしまった。

始め成道から彼の家のディナーに来ないかと招待されたが、唯は断らざるを得なかった。

それは、祖母の気持ちを思いやってのことだったし、結婚すれば家族とのイブを過ごすのも今年が最後かもしれないと思うと、相沢家に行くとは答えられなかった。

少し理不尽な気がしたのも事実だ。

唯だって家族と、そして彼とも一緒に過ごしたい。
なのに彼は、自分の家族、そして唯とも過ごしたいというのだ…

もしディナーをふたりきりでという申し出をされていたら、唯は二の足三の足を踏んだだろうことは、彼女も認める。

彼が唯のすべてを求めていることを、彼女はいつだって強烈に感じているからだ。
それに応じることは、物凄く大きな意味を持つだろう。

成道も、そんな唯の心情をはっきりと理解していたからこそ、そういう提案をしてこなかったのかも知れないと、今は思えた。

いまなら…彼がふたりきりのディナーに行こうと言ってくれれば、唯は行くと言えると思う。

だが、もう遅いのだ。
こんなに押し詰まって、ディナーの席が空いているところなど見つかるはずがない。
もし、運良く見つけられたとしても、自分から彼をディナーに誘う勇気など、持ち合わせていない。

唯は自分に対して、憤りが湧いた。

臆病な自分、そしていつだって、心を決めるのが遅すぎる…
こんなだから、あの利発でやさしい弟の海斗にすら、見捨てられてしまうのだ…

数日前、唯は祖母の提案を受けて、成道に保科の家のディナーに誘った。
勇気を掻き集めての言葉だった。

けれど成道は、彼らしくない虚ろな表情で、黙ったまま首を横に振った。

そして、彼の荒々しいキス…

ふたりの間の亀裂は、すでに修復できないほどまで大きくなっているように思えて、唯は考えるのも怖かった。

どうして彼の胸に、何もかも投げ出して飛び込んでゆけないのだ?

唯自身が、唯本人に対して、これほどの憤りを感じているというのに…





部屋のドアを叩くコンコンという音に気づいて、唯は慌てて涙の後を消した。

「姉さん、風呂空いたから…」

「あ。はい」

ドアは開かれなかった。

「あの、海斗?」

唯は慌てて見えない弟に呼びかけた。

少し間が空いて、ドアが開けられ、唯はなぜかひどくほっとした。

「何?」

「あ、あの…その」

唯は口ごもった。
話す言葉が思いつけない。
なんのために弟を呼び止めたのかもわからなくなった。

海斗は椅子に座ることもせず、ドアを背に立ったまま、唯の言葉を待っている。

「わたし…どうしていいかわからなくて…海斗、どうしたらいいと思う?」

縋るように尋ねた唯なのに、海斗はぐっと顔をしかめたあと、笑いを零した。

そんな反応が返って来るとは思っていなかった彼女は、笑いを堪えようと苦心している弟をまじまじと見つめた。

「ごめん。どこかで聞いたのと同じ台詞だったもんだから」

同じ台詞?

彼女は戸惑い顔で弟を見つめた。

「いいんだ。気にしないで…それで…どうすればいいって…何のこと?」

「あ…つまりその…相…な、成道さんに…わたし嫌われたみたいで…」

海斗のまっすぐすぎる視線に、唯の言葉は尻すぼみに小さくなった。

「…姉さん、相沢さんに、嫌われるような何かしたの?」

それはもう、残念なくらい、いっぱい思いつける…

頭の中にたくさんのことが浮かび上がり、唯はますます落ち込んだ。

「なんだか、数え切れないほどいっぱいある…みたい」

自分の膝に視線を落として唯は呟くように言った。

「もっと自信持ちなよ」

唯は、海斗の強い言葉に驚いて顔をあげた。

「相沢さんは、何があっても、姉さんを嫌ったりしないさ」

「どうして?」

海斗は、どうして断言できるのだろう?

「そんな風にひとりでうじうじ悩んでたって、何も解決しないと僕は思うけど…。姉さんには、やるべきことがあるんじゃないの?」

「やるべきこと?」

「決断だよ。正しい決断」

「何が正しいの?」

「ごちゃごちゃ考えないことさ。おばあ様のこととかね…。姉さんがイブのディナーにいなくたって、僕らは三人で楽しくやれるってこと」

「海斗?わたし…」

唯の携帯が鳴り出した。

海斗の視線が携帯に向けられ、彼は手をあげてみせると、すぐに部屋から出て行った。

電話は成道からだった。

「唯?」

「は、はい」

「怒っていないか?」

怒る?

「え…どうしてですか?」

「今日の…キスのこと…」

「怒ってません」

「もうあんな…絶対にしないから…」

「あの…」

唯は勇気を掻き集め、腹にぐっと力を込めた。

「成道さんこそ、私に対して、何か怒ってたのでしょ?」

成道からの返事はなく、沈黙が続いた。

「成道…さん?」

「うん」

「イブのことですけど…どこか…」

「そのことなんだけど…」

ふたりきりのイブのディナーの提案をしようとした彼女だったが、成道が言葉を被せてきて唯は言葉を止めた。

「予約したんだ」

「えっ?」

「イブのディナーの予約。君の家の近くの『空色亭』 それと…」

空色亭?

意志を固めるような、力を込めた息を吐く音が聞こえた。

「その夜、僕の家に泊まらないか?両親はその日いない。イブの夜を、君とふたりきりで朝まで過ごしたい」

これは最後通牒というやつなのだろうか?
だが、彼の言葉は、望みをストレートに告げているだけとしか感じられなかった。

正しい決断…

唯は目を瞑り、決断の答えを告げるため、口を開いた。

「空色亭のイブのディナー。とても素敵だって聞いていて…昔から憧れていたんです」

成道が驚きにハッと息を呑む声が聞こえた。


彼の胸の中に飛び込む勇気は、これから掻き集めよう…






何気にプチあとがき

前回と今回の2話、成道視点と唯視点で、恋は難敵のクリスマス特別編は終りです。

微妙な終わり方かもしれませんが…わたしとしては、これで充分に伝えられたと思うので…

ふたりのディナー、そして、ふたりはどんなイブの夜を過ごしたのか…
それは皆様の想像にお任せしたいと思います。



さて、詩歩と海斗の方は、どんなイブを過ごすことになったのか?

それは、また次回のお話…♪


fuu




   
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