その5 誠実に不倫?
コーヒーを一口すすって、深沢がうまいなと言った。
こんな状況下なのに、澪は嬉しくなってためらいがちに小さく微笑んだ。
「で、これからどうする?」
澪はびくんと震えた。
先ほどから気になって仕方がなかったことを、やっと震える声で口にする。
「あの、妊娠って、そんなことないですよね? 避妊とか、してましたよね?」
「避妊は絶対じゃないだろ。もしかすると…」
「そんなっ、どうしてそんなこと言うんですか?」
「どうしてって、そういう可能性もあるって…」
「深沢さんみたいなしっかりしたひとが、そんな間違い起こしてどうするんですか?私と同じで、そんなに酔っ払ってたんですか?」
「酔ってないよ。僕は一滴も飲んでなかったから」
「そ、それじゃ、しらふで私を抱いたんですか? そんな、そんなことして心が痛まないんですか?」
その言葉に、深沢の表情が翳った。
「痛んでるよ。だからこうしてここにいるんだろ」
「私にじゃなくて…だから、相手が違うってことを言ってるんです」
「相手?」
澪は深沢の頬を思い切りひっぱたいた。
ものすごい怒りが湧いてきてとめられなかった。
深沢は赤くなった頬に少しふれて、すばやい動作で彼女の両手を掴んできた。
「なんでひっぱたかれたのか、理由が分かりかねるんだが?」
凄みのある声。ものすごく恐かった。
「だって、だって、腹が立って。何で私を抱いたんですかぁ」
澪はまた泣き出した。
深沢はため息をつき、また彼女を抱え、なだめにかかった。
「君を好きだからに決まってるだろ」とため息混じりに言う。
澪は目を丸くした。
深沢の言葉を必死で消そうとするように、大きく頭を振った。
「そそそ、そんなこと冗談でも言っちゃいけません」
「冗談じゃないんだけど。ずっと君のこと好きだったんだ。だからあのバーに行ったんだから」
抱いている腕の力が強くなってきて、澪は慌てて彼から離れた。
「間違いは一度で十分です。もう、帰ってください」
「俺のこと、そんなに嫌いなのか?」
深沢が酷く傷ついたような表情をした。
澪の心臓がずくんと痛んだ。
でもここで、なし崩しになってはいけないのだと、澪は自分を必死で諌めた。
彼の大切な家族のために…
「好かれてると思ってた。そう言ってたし」
「えっ?」
「いや、なんでもない。すまなかった。迷惑掛けて」
そういうと彼が立ち上がった。
深沢はひどく疲れたような表情をしていて、彼女の方まで辛くなった。
「もし、妊娠してたら、絶対に責任取るから」
玄関のところで靴を履きながら彼が言った。
そしてすこし躊躇してこう続けた。
「もし妊娠してたら、内緒で中絶なんて絶対にしないでくれるね。子供は僕が引き取って育てるから」
澪は玄関まで走って行って叫んだ。
「そんなの駄目。子供は私が育てるもの」
「でも、女の一人暮らしで仕事しながら子育てなんて、とても無理だろう」
彼が困ったように言った。
「絶対、嫌」
「分かった。とにかく、この話の続きは妊娠がはっきりしたら、だ。どうも君と話してると話の方向がおかしな方に逸れて行ってしまう」
それだけ言うと、深沢は帰って行った。
途中で放り出された荷造りの山と、仕事の袋とバックが床に転がっていた。
テーブルの上の、彼の飲みかけのコーヒーカップを見て澪は脱力感に囚われた。
心が虚しさに蝕まれてゆく。
澪は、彼が口づけたところを、そっと撫でた指で、自分の唇に触れた。
胸がつぶれそうに痛かった。
澪は長いこと泣き続けた。
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