律儀な子猫 

ハロウィン特別編

その3 王子様の好物



超不機嫌な皺を額に寄せ、道隆は安井の失敗の尻拭いをしているところだった。

安井本人は額に汗して赤くなり、道隆の機嫌の悪さに青くなりしながら仕事を続けていた。

職場に残っているのは道隆と安井だけだ。

「どうもぉ」

道隆はそのひょうきんな声に、顔をぐっとしかめた。

なぜか安西が戻ってきたのだ。

「なんだ、安西」

「少し腹ごしらえしたら、仕事の進みもいいんじゃないかなぁと思ったんで」

安西は手に持っていた紙袋をドンと机の上に置いた。

いい匂いがした。どうやら肉まんのようだ。お茶のペットボトルまで入っている。

「安西、お前」安井が言った。少し声が震えていた。

「俺っていいやつだからさぁ。先輩と上司のためなら、たとえ火の中水の中すっよ」

安西は胸を張って応えた。

「お、おう。おめえはいいやつだって、おいらには前々から分かってたぜ」

道隆はふたりの、安物芝居のようなやりとりに堪らず吹き出した。

「お、課長も笑ってくれたし、おいらも手伝うし、これで解決黒頭巾だぁ」


そんなわけで、安西のあったかい差し入れを食べ、3人は残りの仕事をテキパキと片付けた。

終わったときには、8時半を過ぎていた。

思っていなかった安西の良さを見出せたことと、仕事を終えた爽快感はあったが、道隆は急いで帰り支度をした。

「これから飲みに行きましょうよ。課長」安西が言った。

「これから予定があるんだ」

「え…予定。もしかして、彼女さんとですか?」

安西の言葉に、安井が青くなった。

「僕、…す、すみませんでした課長」

安井が顔を歪めて謝ってきたのをみて、道隆は慌てて取り成した。

「連絡して遅れると言ってあるから、大丈夫だ。お前たち、飲みすぎてあんまり無茶はするなよ」

道隆はそういうと、財布を取り出し、札を一枚、安西に差し出した。

「良いんですか?」

「ああ。ふたりとも、明日からまた頑張ってくれ」

「もちろんですよ。ねえ、先輩」

安井は妙に神妙な様子で、無言で頷いた。

道隆はふたりにむかって手をあげると、急いでその場を後にした。

澪との約束がなければ、あのふたりと酒を飲むのもよかったかもしれないが、澪との約束は道隆にとって最優先事項だ。





自分のマンションの玄関に帰りついたときには、9時になっていた。

道隆が呼び鈴を押すと、目の前で待っていたようなタイミングでドアが開いた。

道隆は目の前に現れた仮装のふたりに、さすがに驚いて目を見開いた。

「これは、何事だい?」

「ハロウィンよ。フカミッチーお帰りなさーい」

魔女らしき扮装の澪の可愛らしさに、道隆は目を細めた。

「深沢君、悪いが先に始めさせてもらっとったんだ。パーティーだというので、腹を減らしてたもんで、待てなくてねぇ」

フランケンシュタインがひどく申し訳なさそうに言った。
道隆は、源次郎の仮装に笑い出した。

「源さん、もちろん構いませんよ。それにしても、大掛かりだな」

道隆は自分の部屋に入ってゆきながら、部屋の中を見回し、ひとりごちるように呟いた。

「これだけの用意をするのは大変だっだろう、澪」

「あの…お願いがあるんだけど…」

「なんだい澪、頑張ったご褒美に、なんでも聞いてあげるよ」

道隆はこの自分の軽い言動を、直後に悔いることになった。

安井と安西とのことで気分が良かったことと、思っても無かった驚きのせいで、つい気軽に口にしてしまったのだ。


「本当にこれを着るのか?…この俺が?」

「だって、フカミッチー、なんでもって」

嫌がる道隆に、澪は身体を左右に揺らしながら、いくぶん拗ねたように言った。

「君は魔女じゃないか。なら、なんで俺がこれなんだ?ふたり、ペアのものにすべきじゃないのか?」

「わたしが見たいから…」ぼそぼそと澪が言った。

その返事に、思わず道隆の顔は歪んだ。

「いいじゃないかね。見るのは私と澪ちゃんの、たったふたりなんだし、ご馳走もまっとるぞ、深沢君。な」

源次郎に噛んで含めるように言われ、道隆はそれ以上、ごねていられなくなり、仕方なく頷いた。

途端に「キャーッ」と澪が嬉しげな悲鳴を上げ、道隆は目眩を感じた。


ありえない衣装を身に付けてゆくのは、ずいぶんと心砕ける体験だった。

ぴっちりとしたタイツを履き終えた時が一番エネルギーを奪われた気がし、彼は思う存分、長く深いため息をついた。

王子の服は、思ったよりちゃちでなく、品のいい色合いとデザインだったが、自分が自分でなくなるような、空気中に漂うなにもかもから、中身の彼を全否定されているような気分がした。

ご丁寧にフェルトで出来た茶色の靴まで用意されていて、それを履いた彼の足は、人間のものというより、でっかい人形の足のように、彼自身にすら思えた。

最後に澪のベッドの上に転がっている小さめの金色の冠を手にした道隆は、ヒステリックな笑いを浮かべて、そいつを頭のてっぺんに乗せてやった。

「フカミッチー、支度、終えた?」

ずいぶんと遠慮がちな声がドアの向こうから聞こえてきた。

彼は愛する澪の声を初めて無視したい衝動に駆られたが、それは拗ねた子どものすることだと自分を戒め、「ああ」と返事を返した。

そーっとドアが開き、澪が顔を覗かせた。
彼女の目が道隆の姿を確認したと分かった瞬間、澪の顔が明るく輝いた。

「フ、フカミッチー、ほほほ、ほんとの、王子様みたい」

澪は我をなくしたようにドアをぱっと開け、道隆に突進して飛びついてきた。

「わっ」

道隆はやっとのことで、ふたりぶんの体重を支えた。

「澪、どう考えてもこの格好は変だろ?普通お化けとか、そういうものなんじゃないのか?ハロウィンの仮装というのは…」

澪が彼の耳に唇を寄せてきて、小さな声で囁いてきた。

「道隆は王子様がいい」

澪は彼を道隆と呼ぶとき、とても小さな声で呟くように言う。
彼はその声が特別好きだった。

澪の言葉はひどく嬉しかったが、道隆は笑みを見せずに、彼女の魔女の姿を睨んだ。

「なら、澪もお姫様にすればよかったんだ。それなら俺も、もっと簡単に納得したんだぞ」

それを聞いた澪が、秘密めかした笑みを浮かべて道隆を見上げてきた。

ずいぶんとそそる笑みで、彼は源次郎がドアひとつ隔てた部屋にいると分かっているのに、澪を抱き締めたままベッドに倒れ込んだ。

「フカミッチー、後で、後で」

澪の慌てた様子に、道隆は笑いながら唇にキスをひとつ落とすと、澪を助けつつベッドから起き上がった。


ハロウィンパーティーは、たった三人の参加者にも関わらず、とても楽しめた。

この部屋に、ちっちゃなおばけがやってきたというふたりの話は、ずいぶん彼を笑わせた。

少し酔ったせいもあり、道隆は二人同様、陽気にお互いの衣装をデジカメに撮り合った。

酔っ払った源次郎は、澪と道隆が止めるのも聞かず、フランケンシュタインのまま千鳥足で帰って行った。

片づけを大方終えた頃には、すでにずいぶん遅い時間になっていた。

期待を込めて二人一緒に風呂に入ろうと言った彼に、澪は首を振って道隆をソファに座らせて、王子様の彼の姿を眺めたがった。

酒の酔いも手伝って、ソファにくつろいでいた彼は、知らぬ間に、うとうとしていたようだった。

「道隆…」

彼の好きな澪のささやき…

道隆はゆっくりと重い瞼を開いた。

彼の眠気は一瞬にして吹っ飛んだ。

目の前にずいぶんとエロティックな澪がいた。

丈のかなり短い服は、服の役割を果たさないほど透けていて、澪の透き通るように白い肌をなまめかしく見せていた。

信じられないことに、胸の頂きのふたつのピンクの印がはっきりと浮いて見えているのだ。
そしてピンク色の申し訳程度の下着…

これは彼が澪にプレゼントしたものだ。
この下着の後ろは…

それのデザインを思い出して、道隆はごくりと唾を飲み込んだ。

「いつの間に、そんな服を…それにしても…」

彼は身体の熱を感じながら、澪の全身を眺め回した。

自分が望んで着たはずの服なのに、澪は居心地悪げに身じろぎした。

「ずいぶん…しどけないお姫様だな」

お姫様のような冠をちょこんと頭につけている澪は、頬を真っ赤に染めた。

この衣装全て、彼のためなのだ…

「このハートの中にキャンディーが入ってるの。道隆…調べてみたい?」

へたくそな誘惑の言葉に、道隆は吹き出しそうになったが、なんとか真面目な顔を繕った。

「調べてみたいな」

彼は澪のハートの中から、手を使わずにたっぷりと時間を掛けてキャンディーを取り出し、口の中に頬張った。

キャンディーは、澪の特別なぬくもりを持ち、道隆のハートの奥深くまで、甘くしみとおっていった。




End



あとがき

『律儀な子猫』ハロウィン編をお届けしました。笑

レンさんのキリリクにお応えする形で、ハロウィンものをと思い書き上げてみました。

前回の、番外編の場面と、同じにしてみたのですが、気づいていただけたでしょうか?笑

少し周囲に変化もあり、続編風味となっています。

王子様の好物は…もちろん…ですね。 fufu

そうそう、特別出演がいましたね。

奈乃ちゃんです。
ハロウィンはやっぱり子どもがいなくちゃと…
それで奈乃ちゃんを、『君色の輝き』よりお借りすることにしました。

この構成だと、誠志朗の部屋は、深沢の部屋の上か下ということになります。
それらの設定も、面白がってくださると嬉しいです。

久しぶりに律儀な子猫のみんなを動かせて、おまけに奈乃ちゃんまで登場させられて楽しかった♪

皆様にも、楽しんでいただけたら嬉しいです。

読んでくださってありがとうございました。


fuu




  
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