律儀な子猫 番外編 

ロマンチックに後悔

その1 彼女の必需品



けだるい疲労感に囚われ、澪は目覚めた。
重たい瞼を無理に開くと、ぼんやりと光が見えた。

もう朝かぁ。

上掛けを肩まで引き上げる。
今日はぁ………あ、月曜日。

澪はパッと上掛けを剥いで起き上がった。
目覚まし時計を探して部屋を見回す。

澪は「ふえっ?」と声を上げた。

「ここ、どこ?」

なんだか以前の記憶に、類似しすぎているこのパターン。

背筋がぞぞっとしたのち、思い出して、澪はほっと安堵した。
ここは深沢の部屋だ。

はーっと、息を吐いて頭をがっくりと落とした途端、澪はぎょっとして座ったまま飛び上がった。

はだか…裸だぁー!!

澪は、慌てて足元の薄い上掛けを両手でむんずと掴み、自分にまきつけた。

「…かわらず、面白いな」

声にぎょっとして再び飛び上がり、澪は深沢に振り返った。
そしてみたび、飛び上がり、ぱっとベッドに立ち上がった。

トランポリンのごとくスプリングのきいたベッドのせいで、ゆらゆらと身体が揺れて倒れそうになり、澪は足をぐっと踏ん張った。

真っ裸な深沢が、両腕を枕にして苦笑している。
澪が上掛けを身体に巻いたせいだ。

澪はうろたえ、けれど、上掛けを自分の身体から剥いで深沢に渡すわけにもゆかず、そのまま固まった。

「あれ、もうこんな時間か…無理だな」

そう呟きながら、深沢の視線が彼自身の下半身へとすべった。つられて澪の視線も…

恥ずかしさからくる悲鳴は、声にならなかった。
すばやく動いた深沢の唇が、澪の口を塞いだからだ。

「朝飯、俺作るから、澪は顔洗っておいで」

ぼーっとした澪の思考回路に、そんな深沢の声がようやく到達したときには、深沢はボタンははめられていないにしろ、パジャマを着た姿でキッチンへと歩んでゆくところだった。

澪は慌ててベッドから起き上がり、「わたしが」と深沢に叫んだ。

「ここのキッチンは、俺の方が慣れてるし。いいから、澪、先に洗面所使っておいで」

澪は、ためらったものの、洗面所に行って顔を洗った。

水滴のついた自分の顔を、深沢の洗面台の鏡に映して見つめながら、ここにいる自分の存在が現実として捉えられない。

『ねえ…』

鏡の中の澪が、不安そうに澪に問う。

『これってさ…同棲って言うんだよねえ?』

澪は、頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。

同棲…同棲…同棲

「ドウセイっちゅうのぉ」

澪はそう呟いて、乾いた笑いを洩らした。
自分にしては上出来の駄洒落だ。

「くはは」

「澪、何笑ってるんだ。顔洗ったのか?…ところで」

澪は笑い顔のまま後ろに振り返った。

「恥ずかしがってるわりには、行動は奇抜だよな、澪」

深沢の視線が、澪の全身を上から下に流れた。

洗面所の床に上掛けが落ちている。澪の頬が真っ赤に燃えた。

「下着も寝巻きもみんなベッドの上や下に落ちたままだったから…いちおう持ってきたんだけど、いる?」

深沢は済ました顔で、右手に持っている真っ黒のブラジャーを揺らしながら言った。
澪は深沢の手から自分の衣服をひったくるようにして奪うと、自分の部屋に駆け込んだ。

もう焦る必要もないのに、慌てて服を出して着替えを終え、ほっとする。

深沢は、一室を澪のために空けてくれた。
八畳の洋間だが、彼の両親や兄弟が来たときには、この部屋に布団を敷いて寝てもらっていたらしい。

いまは、澪の持ち物と、商売道具でいっぱいだ。
昨日一日掛けて、引越しを済ませたばかりで、まだ整理がつかず、ダンボールも重なったまま。

次に、深沢の両親や兄弟が泊まりに来たら、どうするつもりなのだろう?
そう言えば、彼は家族に澪との同居を伝えたのだろうか?

話していないだろうと思えた。
澪だって両親に引っ越すことは伝えたが、引越し先に深沢がいるとまでは伝えていない。


深沢の用意してくれた朝食を一緒に食べ、手早く会社へ行く支度をする彼を見守り、玄関で時間を気にしながらの、不足量のキスをして不満足そうな深沢を見送った。

ひとりぼっちになった澪は、朝食の片付けに手をつける気になれずに食卓に座り込んでいた。

いまさら後悔の気持ちが湧いて来た。
同棲と言う言葉が、重く心にのしかかってくる。
深沢は、このことについて何も思わないのだろうか? 考えないのだろうか?

深沢といっぱい一緒にいたかった。
彼と離れるのはひどく辛かった。

アパートから帰ってゆく彼を見送るのは、胸が張り裂けそうだったし、彼に車で送ってもらって、アパートにひとりぼっちになると、涙が出て止まらなかった。

深沢のことばかり考えて、仕事が手につかなくなって…

それだから、一緒に暮らそうという深沢に頷いたのだ。その時は、喜びいっぱいで…

澪は考えるのを止めた。
同棲の二文字は澪を苦しめるが、彼と一緒にいられる幸せな気持ちまで台無しにするなんて、馬鹿なことだ。

今朝の、ネクタイ姿の深沢を、澪はぽーっと思い出してしみじみ味わった。

ラフな深沢さんは危険な感じでかっこいいけど、眼鏡掛けて背広を着た深沢さんもまた…

かっこいいんだよねぇ。

緩んだ顔でにはにはしていた澪の夢見心地を、澪必需品の、目覚まし時計の強烈な音が時を教える。

澪は、自分の部屋に入り、目覚ましの音を止めた。
そして変身したように、くるくると動き回って、片づけを終え、着替えを終えた。

鏡に映した自分を見つめて、腰に手を当てて胸を張り、得意顔で澪は「はっはっは」と高笑いをした。

やるときゃやるのだ。


深沢の会社が近付くにつれ、照れくささが湧いてきた。
それでも、深沢に会える嬉しさが澪の頬を緩める。

受付に森脇の姿はない。
彼女は長期休暇を取って、船で世界一周の旅に出たのだそう。

彼女の嘘には参ったけれど、…森脇はどこか凄いと思う。




   
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