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その2
それからすぐに、菜穂は試し撮りのため部屋を移動した。
撮影場所は、ホテルの最上階にあるラウンジだ。撮影の間は貸し切りということで、この場にいる人は関係者ばかりなのだが……
思った以上に人が多くて菜穂の緊張が高まる。
「そうそう、伊沢さん」
「は、はい」
顔を上げると、香苗が顔を覗き込んでいた。
「もう一度念を押しておくけど、あなたがわたしの姪ということは、蒼真さんには内緒ですからね」
「はい、わかっています」
香苗は、自分の身内を起用したことを蒼真に知られたくないらしい。
まあ、変に誤解されるよりはいいかもしれないしね。
菜穂は人が忙しく動き回るラウンジを見回した。
そこに見知った人を見つける。フリーのカメラマンの瀬山仁だ。
どうやら、今日の撮影は彼が担当するらしい。
彼と一緒に仕事をする機会が多い菜穂としては、ありがたかった。
そこで、仁が見慣れぬ男性と話しているのに気づく。何気なくその男性に視線を向けた瞬間、なぜか菜穂の心臓がトクンと跳ねた。
え? なんなの、今の?
思わず菜穂は、自分の胸を見る。
よくわからない反応に首を傾げつつ、菜穂は顔を上げてもう一度その男性を見た。
あの人……もしかして相手役の上月蒼真さんかしら?
その立ち姿に、菜穂は思わず見惚れてしまった。
彼にはオーラがあるというのか……つい目を奪われてしまうような存在感があった。
香苗が彼をモデルに器用したのも頷ける。
じっと見ていたら、彼女の視線に気づいた彼が、ゆっくりとこちらを向いた。
視線が合い、心臓がやにわに鼓動を速める。
この人と、結婚前のカップルを演じるんだ……
すると彼は、仁と何か軽く言葉を交わした後、菜穂に向かって歩いてくる。
ど、どうしよう、こっちに来ちゃう!
わけもなくおろおろしてしまい、菜穂は思わず顔を伏せた。
蒼真は目の前で立ち止まり、菜穂の視界に蒼真の靴先が映る。
「伊沢さん、ですね? 上月です」
その声は、良く響く低音でとても魅力的だった。菜穂の鼓動がさらに速くなる。
「は、はい」
うーーっ、なんなんだろう? わたし、なんでこんなに緊張しちゃってるの?
内心で首を傾げつつ、菜穂は慌てて挨拶をした。
「伊沢です。今日は、あの……よろしくお願いします」
「こちらこそ、今日はよろしくお願いします。なにぶん、こういうことは初めてで……どうしていいのか途方に暮れています」
蒼真はやわらかい声でそう言う。
上月さん、気さくで礼儀正しい人みたいだ。
そのことにほっとする。
菜穂は深呼吸をして自分を落ち着かせると、しっかり相手の顔を見上げた。
視線が合うと、彼は菜穂に微笑みかけてくれる。
その顔を見ていると、なんだかソワソワしてしまう。
「緊張してますか?」
やさしく問われて、菜穂は正直に頷いた。
「はい」
「大丈夫ですよ。私も緊張していますから、あなたと同じです」
思いやりたっぷりの言葉をもらい、菜穂の緊張がふっと緩んだ。
「今日限りのことです。肩の力を抜いて自然体でいきましょう」
菜穂はふーっと息を吐いた後、笑顔で「はい」と返事をした。
上月さんは二十八歳って聞いてたけど、なんて大人なんだろう。
この人が相手役なら、気の重い撮影もなんとかなりそうだ。
「蒼真さん、伊沢さん」
その時、香苗がふたりに声をかけてきた。
そちらを向くと、彼女は数メートル離れたところで仁と一緒にいる。
「こっちに来てちょうだい」
いよいよ撮影がはじまるのね……
菜穂は隣の蒼真をちらりと見上げる。すると、視線に気づいた彼が微笑んで手を差し出してきた。
え? 何?
きょとんとして彼と手を交互に見る。
「手をどうぞ。着物だと歩きにくいでしょう?」
「あ、ありがとうございます」
うわっ、エスコートしてもらえるの?
これまで男性からこんな風に気遣われたことがなかったから、ドキドキして堪らない。
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