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その3
菜穂は初めての経験に感激しつつ、彼に手を引かれて歩き出した。
たったいま、なんとかなりそうだと思ったのに……こんなことくらいでドキドキしちゃって大丈夫かな?
「ふたりとも、印象は悪くないようね」
香苗が笑顔で声をかけてきた。
「わたしからの紹介は、必要ないかしら?」
菜穂は蒼真と顔を見合わせた後、香苗に向かって頷いた。すると香苗は、満足そうに笑って仁に声をかける。
「それじゃ、瀬山君。さっそく試し撮りをはじめてちょうだい」
「了解。それじゃ、菜穂、こっちに来て」
「はい」
仁に促され、菜穂は彼について行った。
「見事に派手だね」
ポーズを指示しながら菜穂の格好を上から下まで見た仁が、そうからかってくる。
「好きでこんな格好をしているわけじゃありません」
気心の知れた相手だから、つい素で言い返してしまう。
「社長に無理強いされたか? けど、菜穂がモデルとは、正直驚いたよ。そんな風にしっかりメイクしているのを見たのも初めてだし……。とにかく綺麗に撮ってやるから俺に任せとけ」
そう言って彼はウインクした。
甘いマスクをした仁は、そんな仕草も凄く様になる。
兄のような存在の仁と話したことで、自然と緊張がほぐれたようだ。
上月さんとも、こんな風に自然に接すことができたらいいんだけど……
それからすぐに試し撮りが始まった。
カメラを向けられて、初めはどうにも緊張してしまったけれど、仁が巧みに緊張をほぐしてくれる。
カメラマンが仁でよかった。もし別の人だったら、きっとこんな風に自然にカメラの前でポーズを取ったりできなかったはずだ。
少し気持ちに余裕が持てたら、蒼真のことが気になった。
そういえば、上月さんはどうしてるんだろう?
仁が写真のチェックをしている間に、菜穂は周囲を見回して蒼真を探した。
彼は窓辺に立って、じっと外の景色を眺めている。
あそこから素敵な景色でも見えるのかしら?
その時、「菜穂」と仁から声がかけられた。
しまった! 試し撮りの最中なのによそ見しちゃった。
「ごめんなさい」
焦って謝った菜穂は、仁の構えるカメラの方を向いた。
そうしてまた何枚か撮ったところで、仁は「よし、いいだろ」と口にする。そして、撮影の様子を見守っていた香苗に歩み寄っていった。
「あら、いいじゃないの。やっぱり、化粧は派手なくらいがいいみたいね」
試し撮りの画像を確認しながら香苗が言う。
気になった菜穂は、ふたりに近寄って仁の手元を覗き込む。そこには、自分とは思えない美女の姿が写っていた。
「これ、わたし……?」
「ああ。美人に撮れてるだろ?」
びっくりだ! 実物とまるで印象が違う。これぞ、仁の撮影技術のたまものか。
「それじゃ、試し撮りはここまでにして、撮影の準備に入りましょう。伊沢さん、あなたは準備が整うまで蒼真さんと一緒にいてちょうだい」
そう言って、香苗は仁と行ってしまう。
ひとり残された菜穂は、変わらず窓の外を眺めている蒼真の背中を見つめた。
一緒にいてと言われたが、なんとなく声をかけにくい雰囲気を出していて、蒼真に歩み寄って行けない。
仕方なく菜穂は、彼のいる窓とは別の窓辺に向かった。
すると、背後から「伊沢さん」と蒼真に呼びかけられる。
菜穂はドキリとして振り返った。なんと蒼真が自分の方に歩み寄ってくる。
「まだ撮影には入らないのかな?」
「は、はい。これから準備するそうです。準備が整うまで待っていてくれと言われました」
「そうですか」
蒼真は忙しく動き回るスタッフに目を向けた後、ゆっくりと視線を菜穂に戻した。
「先ほど、試し撮りの様子を見ていましたが、その振袖はあなたによく似合っていますね」
耳に心地いい声で褒められて、菜穂の頬に熱が集まる。
「あ、ありがとうございます。でも……この振袖、かなり派手ですよね?」
「いえ、あなたにはそのくらい派手な方がいいと思いますよ」
これは、褒められているのよね?
化粧も振袖も派手すぎて恥ずかしく思っていたけど、普段のわたしを知らなければ、あまり気にならないのかもしれない。
この人の目に、今のわたしはどんな風に映っているんだろう?
ふと、そんなことが気になってしまった。
「そうだ、伊沢さん」
「は、はい」
考え込んでいた菜穂は、急に声をかけられてびっくりする。
「ここからの眺め、もう見ましたか?」
「いえ……」
「なら、見た方がいい。とても素晴らしいですよ」
笑顔で薦められ、菜穂は蒼真の立っていた窓辺に歩み寄った。
「わあっ、ほんと」
そこからは海が一望できた。淡いブルーの海面が、日差しを浴びて銀色にキラキラと輝いている。弓のように弧を描く砂浜がとても美しい。
「海を見るのは久しぶりです」
夏は過ぎたとはいえ、今日は気持ちのいい秋晴れだ。
せっかくなら、砂浜まで行って思いっ切り海風を味わいたいかも。撮影が終わったら、散歩して帰ろうかな。
菜穂は蒼真に顔を向け、笑顔で話しかけた。
「いいお天気だし、海辺を散歩したくなりますね?」
すると、なぜか彼は菜穂の顔をじっと見つめてきた。
「……それは、お誘いですか?」
「え? ……あっ、い、いえ……そういうつもりでは!」
動揺のあまり焦って否定したら、苦笑した蒼真に手を差し出された。
その意味がわからず、彼の手をじっと見つめてしまう。すると彼に手を取られた。
な、なにっ⁉
びっくりして思わず蒼真を見上げてしまう。
そんな菜穂に、蒼真は魅力的な笑みを浮かべた。
「それは残念」
ええ? それってどういう意味⁉
「あ、あの……上月さん?」
「撮影、協力して頑張りましょう」
菜穂は目を白黒させて、ただ「はい」と頷いた。
なんなの、もおっ。わたし、上月さんに振り回されてばっかりだ。
この人に見つめられると落ち着かないし、言動にもドキドキさせられっぱなしで……
わたし、いったいどうしちゃったんだろう?
自分が思うよりもひどく緊張してしまっているのか、繋がれた手に汗が滲んでくる。
いたたまれなくなった菜穂は、必死に話題を探した。
「あ、えっと、上月さんは、一級建築士なんですよね?」
「ええ」
「建物を一から設計するなんて凄いです。わたしには想像できないくらい大変なお仕事なのでしょうけど……自分の設計した建物が形になるのは嬉しいでしょうね?」
感じたまま蒼真に伝えると、彼は何も言わずに菜穂を見つめてきた。
「あの? 上月さん」
「ああ……そうですね。最高の気分ですよ」
「やっぱり! いつか、上月さんが手掛けた建物を見せていただきたいです」
「そう……ですね。機会がありましたら、ぜひ」
ぜひと言う言葉に、菜穂は期待に胸を膨らませた。
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