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その4
「蒼真さん、伊沢さん。ふたりともこっちに来てちょうだい。撮影の準備が整ったわ」
香苗から声がかけられた。
蒼真は菜穂の方を向き、「では、頑張りましょう」と笑顔で言ってくる。
菜穂も笑顔で頷き、手を繋いで香苗たちのところへ行った。
そして、ふたりでの撮影が始まる。
まずは、仁の指示でゴージャスなふたり掛けのソファに並んで座る。
それがどうにも落ち着かなくて、ソワソワしてしまった。
「伊沢さん、じっとして。表情も硬すぎるわ。もっとリラックスして」
しょっぱなからダメ出しを食らってしまい、恥ずかしさに俯く。
「す、すみません」
謝ったもの、どうリラックスすればいいのかわからない。
「まず、そのガチガチの肩から力を抜きなさい」
香苗からそんな指示をもらい、なんとか肩の力を抜こうと試みる。
必死になって両肩を上下させていたら、隣で蒼真がくすくす笑い出した。
菜穂は恥ずかしさに真っ赤になる。
すると、蒼真がおもむろに菜穂の肩に腕を回してきた。思わぬことにぎょっとしてしまい、さらに肩に力が入る。
蒼真はガチガチの肩をほぐしてやろうと考えたらしい。なんと菜穂の肩を揉み始めた。
うわわ!
蒼真のやさしさは嬉しかったが、残念なことに逆効果だ。
ますます真っ赤になって身を強張らせた菜穂に向かって、香苗の厳しい声が飛ぶ。
「伊沢さん、ちゃんとしなさい!」
「は、はいっ」
返事をするも、たくさんのスタッフのいる前で叱責され、恥ずかしいどころではない。しょぼくれそうになる自分を、菜穂は叱りつけた。
しっかりしろ! バカみたいに恥ずかしがってる場合じゃないわ!
このままではみんなに迷惑をかけてしまうのよ!
菜穂は意を決して勢いよく立ち上がり、その場で軽くジャンプした。
「伊沢さん?」
「菜穂?」
蒼真と仁が驚いたように呼びかけてくる。
突然の菜穂の行動に、この場にいるみんなが驚いたことだろう。だが、今はそれを意識しないことにする。
菜穂はストレッチの要領で両手を頭上で組み、爪先だって大きく伸びをした。
よし。ちょっと身体がほぐれた気がする。
菜穂はみんなの方を向いて、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。もう大丈夫です。お願いします」
菜穂は頭を上げ、元通りソファに座る。
これは仕事だ!
菜穂はしっかりと気持ちを切り替えた。
恋人らしい雰囲気を心がけて、隣に座る蒼真に軽る身を寄せる。
それは見た香苗は、「いいじゃないの」と口にして、仁に声をかけた。
「それじゃ、瀬山君お願いね」
「了解」
仁は早速カメラを構えた。
そうして、角度を変え、ポーズを変えての撮影が続く。
「今度は互いの目を見て、笑い合って」
その指示に従い、蒼真と目を合わせたものの、笑みを浮かべるのはどうにも照れ臭い。
だが、蒼真の方は完璧だ。
「上月さんは文句なし。ほら、菜穂、笑って」
「は、はい」
菜穂が蒼真の方を向いて、微笑もうとした――その時。
蒼真が急に変な顔をした。あまりにびっくりしてその場で固まってしまう。
直後、蒼真が視線を逸らして、ぽつりと呟いた。
「おかしな顔をしたら、自然に笑えるかと思ったんですが……」
そ、そうだったの?
「すみません。せっかく気を遣っていただいたのに、驚いてしまって……次はちゃんと笑います」
「次⁉」
驚いたように口にした蒼真は、次の瞬間思い切り噴き出した。そのまま声を上げて笑う。
「まさか、次と言われるとは思わなかったな」
「えっ、すみません。次はなかったですか?」
真面目に言ったら蒼真はまた笑う。
なんか空回ってばっかりだ、わたし。
でも、笑っている蒼真を見ていたら、少し気持ちが楽になった。
「ありがとうこざいます。上月さん」
自然に微笑んでお礼を言うと、笑いを収めた蒼真が肩を竦めた。
その後は、拍子抜けするくらい撮影は上手くいった。
「はい。ここでの撮影は、これでオッケーよ。それじゃあ、場所を移動しましょう」
香苗のオッケーの言葉にほっとした菜穂は、蒼真の方を向いて微笑んだ。すると、彼も菜穂に微笑み返してくれる。
「上月さん、やりましたね!」
「ええ。この調子で早く終わらせましょう」
「はい」
今度は花に囲まれての撮影だった。綺麗な花がいっぱい飾られたセットの中に、蒼真と並んで立つ。
「それじゃ、向かい合って、手を握って」
一瞬躊躇うものの、これは仕事であり演技なんだと自分に言い聞かせる。
うん。照れずに行こう。
菜穂は、仁の指示に従って蒼真と手を握り合った。
すかさず仁がシャッターを切り始める。
照れずに行こうと思ったものの、勝手に爆走する心臓は自分の意思では歯止めが利かない。
その鼓動が目の前の蒼真に伝わってしまうんじゃないかと気が気じゃない。
彼と手を取り合って見つめ合ったまま、菜穂は落ち着かない時間を過ごす。
オッケーが出るまでの時間が、とんでもなく長く感じられた。
それからも、場所を変えては様々なポーズを取らされることになった。
その間、蒼真は常に正義正しく紳士的だった。そして事あるごとに、菜穂を気遣い、やさしく励ましてくれた。
蒼真という存在が、菜穂の中でどんどん大きくなっていく。
そしてついに、撮影は終了の運びとなった。
「はい。これで今日の撮影は終了よ。みんなお疲れ様」
パンパンと手を叩き、香苗がみんなに声をかけると、場がほっとした空気に包まれた。
もちろん菜穂も胸を撫で下ろす。無事に終わって本当によかった。
同時に、これで終わりかと思うと、少し残念な気持ちになる。
菜穂は隣に立っている蒼真を見上げた。
撮影の間、彼ともすっかり打ち解けられたけど……これっきりもう、会うこともないのかな?
そう思ったら、急に寂しさを感じた。
これっきりにしたくないなぁ。
いつになく、強くそんなことを思う。
連絡先、交換してくれないかな?
「あの、上月さん」
思い切って声をかけると、蒼真が菜穂を見る。
菜穂は改めて、蒼真と向かい合った。
「わたし、上月さんがいてくれたおかげで、なんとか撮影をやり遂げることができました。本当にありがとうございました」
そう言って頭を下げる。
「いえ。……あの、伊沢さん。先ほど瀬山さんから聞いたのですが……あなたが笹部さんの姪だというのは、本当ですか?」
えっ? 仁さん、話しちゃったの?
伯母さんから、蒼真さんにふたりの関係は内緒って念を押されてるし、できれば否定したいところだけど、彼に嘘はつきたくない。
「本当です」
悩んだあげく、こくりと頷いたら、蒼真の眉がきゅっと上がる。
なぜか、彼の雰囲気がこれまでと微妙に変化したように感じた。
「あの、どう……?」
不思議に思って声をかける。すると蒼真は、その言葉を遮るみたいに姿勢を正した。
「では、私はこれで失礼します。伊沢さん、お疲れ様でした」
「あっ、はい。……お疲れ様でした」
菜穂の挨拶を最後まで聞かずに、、蒼真は踵を返す。
急に態度を変えた彼の背中を、菜穂は困惑して見つめるよりなかった。
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