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その5
「待ってください。そんな話は聞いていませんが!」
菜穂の前から立ち去り、香苗に挨拶していた蒼真が急に大声を上げた。
その場にいる全員の視線が彼に集まる。
いったいどうしたんだろう?
だが、先ほどの彼の態度が尾を引いて、近寄ることもできない。
その時突然、蒼真が菜穂に振り返った。
じっと見つめられ、その視線の強さに戸惑ってしまう。
すると、香苗が菜穂に声をかけてきた。
「伊沢さん、こっちに来て」
香苗に呼ばれては行かないわけにいかず、菜穂はおずおずとふたりに歩み寄った。
「それじゃ、行きましょうか」
行く?
「あの、社長。行くってどこに?」
「ついてくればわかるわ」
「笹部さん、私はこの後予定があるんですが」
蒼真は苛立ったように香苗に声をかける。
先ほどまでの人当たりの良い雰囲気とは別人みたいな彼の態度に、菜穂は困惑した。
「蒼真さん、お忘れかしら? 撮影時間は午後一時までの予定だったはずよ。まだ十一時半だわ」
ぴしゃりととそう言われて、蒼真はむっつりと黙り込んだ。結局彼は、ついて行くしかないと諦めたようだった。
どこに連れて行かれるかのかわからないし、蒼真は黙り込んでしまっているし、どうにも落ち着かない。
よくわからないけど……上月さんの雰囲気がおかしくなったのは、わたしが伯母さんの姪だとわかってからだ。
まさか、こうなることがわかっていたから、伯母さんはわたしに口止めしたの?
でも、伯母さんの姪だから、なんだっていうんだろう……
香苗に連れて行かれた先には、なぜか菜穂の母親の咲子がいた。ますます菜穂は困惑する。
そんなに広くない部屋の中にはテーブルと椅子がセットされており、咲子と見知らぬ女性が向かい合って座っていた。
「ど、どうしてここにお母さんが?」
驚いて声を上げたら、咲子は笑って立ち上がった。
「蒼真さんのお母様の瑛子さんと、お話ししながら待っていたのよ」
えっ? 上月さんのお母様?
咲子の正面に座る品のよい女性が、菜穂に向かって微笑みかけてきた。
感じのいい人だ……って、いや、今はそんなことじゃなくてっ!
「母さん。これはいったいどういうことです?」
蒼真も驚いた様子で、自分の母親に問いかけている。
「何を言っているのよ。あなた方のお見合いでしょう?」
は? お、お見合い?
ど、ど、ど、どういうことーーっ⁉
「さあ、ふたりとも座って。お料理もそろそろ出てくると思うから」
香苗は菜穂の背中を押し、空いている席に座るように促してくる。
「香苗伯母さん、これはどういうことなの?」
「どういうことも何も、あなたたちのお見合いを始めるのよ」
はあーー⁉
「ちょっと聞いてちょうだい、ふたりとも」
愕然と立ち尽くす菜穂を置いて、香苗は母親たちに先ほどの撮影の様子を、楽しげに語り出した。
「もう、すっごくいい感じだったわよ。本物の恋人同士みたいだったんだから。ほら、この画像を見てちょうだい」
香苗はそう言って持っていたタブレットパソコンをテーブルに置き、母親たちに画像を見せる。
仲の良さそうなカップルに見える菜穂たちの画像が映し出されて、菜穂は顔が引きつりそうになった。
ちょっと待って。この事態をいったいどう受け止めればいいの?
菜穂は救いを求めるように蒼真を見た。だが、彼は今までとは別人のように無表情で、とても声をかけられる雰囲気ではない。
「まあ、ほんと。ふたりは、もうすっかり仲良くなったのね」
蒼真の母親の瑛子に嬉しそうな笑みを向けられ、菜穂はどう反応していいかわからなかった。
「お見合いのこと、香苗さんに相談してよかったわ」
状況に困惑したまま立ち尽くしていたら、料理が運ばれてきてしまう。
この雰囲気に水を差すこともできず、菜穂は仕方なく咲子の隣に座った。
蒼真も無言で用意された席に座る。
――そして、まったくもって寝耳に水な、蒼真との見合いが始まった。
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