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その6
食事の間、蒼真は礼儀正しかったが、その表情はひどく硬い。
こんなだまし討ちみたいな見合いをセッティングした香苗に対して怒っているのだろう。
状況は菜穂も蒼真と同じはずだ。けれど、正面に座る彼からひしひしと強い怒りを感じて、いたたまれなくなってくる。
「蒼真は仕事ばっかりで、少しも結婚を考えてくれなくてね。もう二十八になるし、香苗さんに誰かいい人がいないかしらってお願いしていたの。そしたら菜穂さんみたいに美しいお嬢さんを紹介してもらえて嬉しいわ」
その褒め言葉に顔が引きつる。そんな娘の気も知らず、咲子は嬉しそうだ。
ああーっ、もうっ、この場から逃げ出したい。
なのに、瑛子の言葉はまだ続く。
「蒼真よかったわね。わたしも菜穂さんがあなたのお嫁さんになってくれたら嬉しいわ」
お嫁さんだなんてとんでもないです!
無言を貫く蒼真の機嫌が、どんどん悪くなっていくのを感じて内心青くなる。
せっかくの美味しそうな料理も、まったく味わえなかった。
ようやく食後のコーヒーを飲み終わる。これで針の筵から解放される、とほっとしたのも束の間、香苗が「あとは若いおふたりで」と見合いの常套句を口にした。
そして、本当に母親たちを連れて、部屋からいなくなってしまったのだ。
ふたりきりにされて、もの凄く気まずい。
「あ、あの……なんだか、よくわからないことになっちゃいましたね?」
とりあえず愛想笑いをしたら、不機嫌な顔で睨まれた。
これって、八つ当たり?
突然のお見合いに驚いたのは、わたしも同じなんですけど。
胸の中で不満を呟いていたら、蒼真がすっくと立ち上がった。
菜穂は思わず彼を見上げる。
「まさか、こんな罠に嵌るとは……」
は? 罠?
「言っておくが、私は君にこれっぽっちも興味はない!」
怒りとともに断言され、菜穂はあまりのことに言葉を失う。
「君に対して愛想よくしていたのは、さっさと撮影を終わらせるためだ」
吐き捨てるように言い放たれた言葉に、全身がすっと冷えていく。
そうか。すべて偽りだったんだ……
やさしい微笑みも気遣う言葉も、全部……嘘だったんだ。
心臓が嫌な感じで大きく波打ち、じわりと手が震える。
こんなにもショックを受けている自分を知られたくなくて、菜穂はぐっと両手を握り締めた。
彼の本心も知らずに、勝手にドキドキして……わたし、バカみたい。
菜穂は俯いて、じっと蒼真の言葉を聞いていた。だが――
「それに私は、君のように外見のケバイ女性は大嫌いでね」
ケバイだぁ?
怒りと悲しみが同時に胸を突き上げてきて、菜穂は勢いよく立ち上がった。
「こっ、こっちだって、あなたみたいな人、願い下げよっ!」
いくらだまし討ちみたいな見合いに腹が立ったからって、こんな風に一方的に怒りをぶちまけたあげくに罵声まで浴びせるなんて……この人最低だ!
それも、よりにもよってわたしが一番気にしていることを……
菜穂は込み上げてくる涙を必死になって堪えた。
この人の前で絶対に泣くもんか!
精一杯相手を睨みつけると、蒼真はあてつけがましくお礼を言ってきた。
「それはよかった。ありがとう」
つっ……!
苦しいほどに熱いものが胸にせり上がってきて、菜穂は息を止めた。息を吐いたら、堪えているものが全部涙となって溢れ出してしまいそうだった。
もっと何か言ってやりたいのに……悔しい!
「この見合い、こちらからは断れない事情がある。だから君から断っておいてくれ。では失礼」
そう言って、蒼真は振り返ることなく部屋を出て行った。
一人になり、菜穂はふらふらと椅子に腰を落とす。
悲しみを含んだ虚しさが胸を侵食してくる。
同時に、そんな気持ちを抱いている自分が許せず、菜穂は力いっぱい胸を押さえた。
わたしは傷ついてなんかいない。あんな人どどうだっていい。
けど、もっと言い返してやりたかった!
口惜しさともどかしさを抱え、菜穂は着替えるために最初の部屋に戻った。
慣れない着物を一人で脱ぎ、化粧を落とそうと洗面台の前に立つ。
菜穂は、鏡に映るケバイ自分をじっと見つめた。
「つっ……」
堪えていたものが一気に溢れ出て、涙がボロボロと零れ落ちる。
「ううっ、ううっ……」
声を殺して泣きながら、菜穂はクレンジングクリームを手に取った。それを乱暴に顔に塗りつけ、憎い敵のように化粧を落とす。
泣くんじゃないの。
あんな男どうだっていいじゃない。
もう会うこともないんだから。
そう自分を言い聞かせるのに、頭の中で何度も何度も、蒼真の言葉が繰り返される。
『私は、君のように外見のケバイ女性は大嫌いでね』
ケバくて悪かったわね‼
傷ついた。傷ついた。傷ついたっ!
撮影の時の彼に、好感を持ちすぎたんだ。
あのやさしい笑顔も、やさしい言葉も、やさしい行為も、全部仕事を早く終わらせるための演技だったのに。
もしも、こんなことにならなかったら、わたしは彼の本心を知らないまま別れていたんだろうな。
こうなって、よかったかも。
そうよ。彼の本心がわかってよかったんだ。
自分を納得させるように、菜穂はうんうんと何度も頷いた。
そうして、気持ちが落ち着いてくると、今度はじわじわと蒼真への怒りが湧き上がってくる。
彼は去り際、菜穂から見合いを断ってくれと言った。
どうして、わたしがあの人の指示に従わなきゃならないのよ。
ケバイ女と言われた恨み、一生忘れないんだから!
誰がこっちから断ってやるかっての。
困ればいいんだわ。バカ上月めっ!
お前なんか、二度とわたしの目の前に現れるなっ!
記憶の中の蒼真に子供っぽい罵声を散々浴びせた菜穂は、ちょっとだけ溜飲を下げたのだった。
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