恋に狂い咲き
その1 心が求めるもの 



「真子、またはずれ?」

芳崎真子(よしざき・まこ)は、友達の島津奈々子(しまづ・ななこ)の言葉に笑いながら頷いた。
合コンの帰りだった。

ほんのり紅色に染まった頬に、冷たい夜風を受け、真子はフルッと身体を震わせた。
隣にいる奈々子も春物のコートの襟を立てている。

彼氏いない歴を、年齢とともに更新中の真子を不憫がってか、姉御肌の奈々子がたびたびセッティングしてくれるのだが、一度もうまくいったためしがなかった。

素敵なひともいるのはいるし、そんな男性から何度か声を掛けてもらったりもした。
だが、どうしても首を縦にふれないのだ。

一足飛びにそういう方向に行くのもおかしいと思うのだが、真子の思考は相手とのキスや身体を絡み合わせるという行為を思い浮かべ、このひととはとてもそんなことは出来ないと、引いてしまう。

こんなことでは一生一人身かも知れない。
まだ23歳といえるのか、もう23歳というべきか…

「落ち込まないの。そのうち真子だけの素敵な人が現れるって」

真子は吹き出した。

奈々子は年齢的には真子より二つ年上だ。
専門学校を出て入社した真子と大学を出て入社した奈々子のふたりは、同期入社だったことで、年齢を感じずに友達づきあいをしている。

奈々子のさっぱりした性格と、面倒見の良さ、人生相談に乗ってくれる時の頼りがいのある彼女には、一目も二目も置いている。

ただ、本当に大学を出たのかと言いたくなるような無知な発言を繰り返され、真子の中で奈々子が年上だという意識はなくなっていた。

「白馬の王子様を待ってるつもりなんかないんだけどなぁ」

「こういうのは、ピンとくるものってあるのよ。なんでこんなやつと出会っちゃったんだろうって後悔するようなやつでも、出会っちゃうと離れられなくなったりするの」

それはいま奈々子が付き合っている、フリーターで年下の彼のことだろうか?

「今夜は彼、良かったの?」

「うん。バイト」

「でも…」

「うん?」

「しあわせなんでしょ?一緒にいられて」

「まあね」

奈々子の軽い返事に、真子は苦笑した。

「羨ましいな」

「そんないいもんじゃないけどねぇ」

その言葉に、真子の胸がつくんと痛んだ。
ひとりの真子には、ピンと来るような相手と出会えた奈々子が、ひどく羨ましいのに…

「わたしとしては、真子には野本さんがお勧めなんだけどなぁ」

「奈々ちゃんってば…また」

同じ職場に勤めている、野本拓海(のもと・たくみ)は、六ヶ月ほど前にキャリア採用で入社してきた。

ヘッドハンティングだとの噂が出るほど有能で、美青年で好青年。
彼は誰に対してもとても親切だ。

奈々子は、野本は真子のことが好きに違いないというのだが、そんなことはないと思う。

顔の作りに難点のない野本は、あちこちの部署に彼のファンを持っている。

彼女達からさまざまな差し入れをもらうほどモテる彼が、好き好んで真子を相手にするはずがない。

「野本さんのやさしい性格は確かにいいんだけどさ。もっとこう強引に誘うくらいのことすればいいのに。そしたら真子もさ…」

「奈々ちゃん、ひとりで先走り過ぎ」

「そう?でもさ…」

そんなことはありえないが、万が一にも、野本が真子に好意を寄せてくれていたとしても、真子にはその気持ちはない。

野本には、奈々子のいうところのピンと来るものなど感じないからだ。

彼のことはとても好きだが、それは恋とは違う種類のものだ。

「次はいつやる?」

「合コン?」

「うん。もう相手のグループの目星はついてるの。だいたいのセッティングはいつもの如くだし、あとは予定をあわせるだけ」

「そんなに合コンばっかりやってて大丈夫なの?彼氏、怒んないの?」

「いいのよ。黙ってたらわかんないって。それよりわたしゃ、野本さんにばれた時の方が怖いよ」

「何それ?」

「真子を合コンなんて安易な男女の出会いの場に連れて行くなって、釘を刺されたのよ」

「はあ?」

「金曜日にわたしらが合コンの打ち合わせしてたの、小耳に挟んだみたいなんだよね。連れてかないって約束させられた。連れてきたけど…あはは」

本人を抜きにしたその約束はなんなのだ。

「それなら自分が真子を誘えばいいのにさ。よくわかんないわ、野本さん。男としてよほど小心者なのか…?真子も少しは、野本さんのこと考えてあげたら」

真子は奈々子の言葉に吹き出した。

「ありえないから」

野本は真子を女性としてみていない。それははっきりと彼から伝わってくる。

「ほんでもさ、野本さんがやって来てから真子を誘う輩いないじゃん。ちょっかい掛けてくる奴、それまではちょこちょこいたのに…」

「何が言いたいの?」

「野本さんが、睨みきかせてるって噂だよ」

真子はお腹を抱えて笑い出した。

ありえない。絶対にありえない。

真子は笑いながら駅の構内に入った。ここでふたりは別々の電車に乗る。

唇を尖らせている奈々子に手を振り、真子は彼女と別れてひとり電車に乗った。

野本のことは笑い話だが、真子は、お茶したりするだけの付き合いでも始めてみたかった。

もちろん、誰でもいいなんていい加減な気持ちで付き合えるわけがないことも分かっている。
少しでも、異性としてのときめきを感じ、いいなと思える人…

けれど、いつまで経っても、真子にはそういうひとが現れないのだ。
ならば彼女はどうすればいいというのだろう?

電車に揺られながら、真子はひどく気が落ち込んだ。


アパートに帰り着いた真子は、ベッド脇の飾り棚に置いている、叔母と母親が並んで写っている写真に、「ただいま」と声を掛けた。

こちらに向かって、やわらかな笑みを浮べている母。
母親が死んでしまってから、すでに12年の年月が過ぎている。

真子は父親を知らないし、母方の両親はすでに亡くなっていて、親戚と言えるのは遠方にいる叔母ひとりだけだった。

真子は服のボタンを外しながらクローゼットを開けた。
小さな整理ダンスから、寝巻きと下着を取り出した彼女は、タンスの隣においている籐のバスケットに触れ、蓋を開けた。

中にはぎっしりと手紙が詰まっている。母が父に宛てた手紙。
母が亡くなってから見つけたものだ。

手紙には住所も苗字もなく、ただ『真治さんへ』と書いてある。
けれどその手紙には、ちゃんと切手が貼ってあった。

その切手を、母がどういう気持ちで貼っていたのか、真子にはなんとなく分かるような気がした。
切手を貼ることで、母は父と繋がれるような気がしたのかもしれない。

母の気持ちを思い、真子の胸は切なく震える。

これらの手紙を開封して、読みたい気持ちもあった。

けれど、これは父に宛てられた手紙で、母は父以外の目に触れられることを望まないだろうと思えるのだ。

手紙はこの先も、封を解かれることはないだろう。

いつか真子が歳をとり、死を迎える前にでも、燃やしてあげるのがいいかもしれない。
その頃には、父も天国にいて、母と並んでこの手紙を受け取れる…

真子は、感傷的になり過ぎている自分に気づいて苦笑した。

母がしあわせだったとは言えないかも知れないが、母は父に出会い恋をして、一度は結ばれたのだ。
それはしあわせなことではないだろうか。

叔母は母との約束なのか、絶対に父のことを口にしない。
ただ、父の家がかなりの資産家だったということは聞いていた。

父のことがあるからか、叔母は金持ちに対して、ものすごい偏見を持っている。
真子は、叔母と同居していた数年間、けして金持ちの男は相手にするなと釘を刺され続けていた。

真子も、お金は必要なだけあればいいと思う。
必要以上のお金は、かえってひとの心を貧しくしてしまうように、真子にも思える。

ひとの心が満たされるのは、愛だけだろう。
愛したひととならば、真子はどんな生活でも満足を得られると思う。

彼女は手にした手紙を戻し、バスケットの蓋を閉めた。

シャワーを浴びた真子は、そのままベッドに転がった。
真子の立てる音以外、物音ひとつしない部屋。

彼女は天井を見つめるのが虚しくなって、ころんと横を向いた。
視界が狭まる方が、心の隙間が小さくなるような気がする。

ひとりは淋しい。淋しい淋しい淋しい…

真子の目じりに、じんわり涙が湧いてきた。
左目から右目に伝った涙の雫が枕を濡らす。

真子は、温かなひとのぬくもりが欲しかった。
彼女だけの、彼女のためのぬくもり。

「そんなもの、この世のどこにもありはしないわ」

真子は壁に向かって、ぽそぽそと呟いた。




   
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