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第十七話 勇ましき友
「カズマ、いったいどういうことなんだ?」
空の椅子を呆然として見つめていたカズマは、肩を強く揺すられて我に返った。
「マコが…妹が、本当にここにいるというのか?」
タクミに問われても、見えないカズマには返事のしようがない。
黙っていると、タケコが「いるわ」と言った。
「信じられない…」
カズマは、そう口にしてしまった自分が、なんとも腹立たしかった。
サンタを信じず、この家の存在を知りえないタクミに同情を感じていたのが…
自分もまた同じだったなど…
受け入れ難い…
「サンタ様…マコはその椅子に座っているんですね?」
「うむ」
その肯定を胸に受け入れるために、カズマはゆっくりと息を吐いた。
「彼女は…俺が見えているんですか?」
サンタが首を横に振るのを見て、カズマはほっとしたものを味わった。
マコの姿が見えてない彼のことを、彼女が見ているなど…そんな状況はいたたまれない。
「何故、我々はお互いの姿を見ることが出来ないのですか?」
「君が、私の家を二分しているからだよ」
「二分?どういう意味ですか?」
「カズマ殿、私の家は、ここひとつなのだよ。ここ以外にはないのだ」
「ですが…妖精国にあるあの家は…?」
「君らが、ここに来られるように、それぞれの場所の位置づけはしてある。君は人間国の地を目指し私の家に来る。だからマコが見えないし、妖精国側に存在できないのだよ」
位置づけ?それではまるで…
「では、サンタ殿のこの家は、人間国に存在しているわけではないと?」
「そうであるとも言えるし、そうでないとも言える」
「それでは分かりません。いったい、正確にはどこにあるというんです」
「カズマ殿、それは愚問だ。ある場所にあるとしか答えようが無い。だが私はこうして実在しているし…」
そう話すサンタの姿が少しずつぼやけ始め、カズマは怪訝に眉を寄せた。
「カズマ、意識を元に戻しなさい!」
カズマは突然怒鳴りつけてきた祖母に向いた。
「な、なんです?」
「やめたほうがいいわ」
「何をですか?」
「いま自分がしそうになったことよ」
「おっしゃる意味が…」
「カズマ殿」
サンタに呼びかけられて、カズマはサンタに向いた。
その姿は先ほどのようにぼやけてはいない。
…なんだったんだ?
「いま、私の姿が消えかけたのではないかな?」
「あ…ぼやけた感じはありましたが…」
サンタは、カズマの意識に入り込もうとでもするように、強い眼差しでカズマを見つめ、固く頷いた。
「カズマ殿はいま、人間国にある私の家を無意識に否定しかけたのだよ。それゆえ、私の姿がぼやけた」
それでは、カズマもまたタクミのようになるところだったというのか?
「驚いたな…」
「私の家はどちらにも存在しておる。言葉で表すとおかしな表現になるが、二つの場所は私が存在するかぎり、物理的にも繋がっているのだよ」
「では、祖母のように、両方の家に存在するためには、どうすれば?」
「意識だから…方法とかじゃないのよ。そんなことより話しを進めましょうよ。このお嬢さんは、さっきからそうして欲しがってるわ」
そうだった。マコの存在…
だが、マコにもカズマは見えていない。
「マコは、この現状を理解したのですか?」
「あなたと同じくらいには」
タケコの説明で、カズマは一応納得した。
「カズマ、私にも分かるように説明してくれないか?」
そうだった。
カズマは後ろに立っているタクミに振り返った。
「すまない。お前のことを忘れているわけじゃないんだが…俺自身も…」
「それで?妹は、この場に本当にいるというのか?」
「いるらしい。残念だが俺にも見えていないし、マコも俺たちが見えていない」
「どうすれば会える?」
タケコが噴き出した。
「タケコ殿」
カズマは、祖母を睨みつけた。
「ごめんなさい。でも、私の立場になってちょうだい」
「我々には、マコは見えないのですよ」
「わかってるわ。それより話しを進めたほうがいいのじゃなくて。どんどん時間は過ぎてゆくし、彼が凍えてしまうわよ」
そのとおりだった。
カズマは暖を取ろうと、小刻みに身体を動かしているタクミを見つめ眉をしかめた。
「サンタ様、何か手段はありませんか?」
「妖精国側から、この家に来ることだ」
カズマは首をゆるく横に振った。
「ですが、妖精国への侵入は、現時点では難しいと。トモエ王は、むざむざ我々を…」
「カズマ殿、過去を辿ってみることだ」
過去を辿る?
カズマは、サンタの言葉に眉を寄せた。
妖精国への侵入…過去…
頭の中にひとつの情景がはっきりと浮かび上がり、カズマは椅子から飛ぶように立ち上がった。
「池、池だ。どうして忘れていたんだ!」
「順番ってものがあるからよ…」
「タケコ殿」
何気なくその言葉を口にしたらしいタケコに、いくぶんいさめるようにサンタは声を掛けた。
「あら、ごめんなさい。ともかく、さっさと行ってはどうかしら?」
「池に?」
そう聞いたカズマに、タケコが笑い出した。
「タケコ殿」
「分かりきったことを聞き返してくるからよ。ヒントは掴んだんだし、迅速に動いてはどうかしらね?」
しかめた顔をタケコに向け、カズマはタクミに振り向いた。
「タクミ、行こう」
「池とやらにか?そこに何があるんだ?」
「池があるさ。とにかく行くぞ」
「だがマコは?私は彼女に逢えないのか?いまここに…私の目の前にいるんだろう」
タクミは、カズマの心まで切なくなるほど、もどかしい表情で周囲を見回した。
「ここにいても、我々は会えない。だから、彼女に逢うために行くんだ」
「会えるのか?その池にゆけば」
「可能性は、いまよりぐんと増す」
カズマの言葉に、タクミは口元を引き締めた。
「わかった。…行こう」
「では、サンタ様」
カズマはサンタに向けて、深々と頭を下げた。
「ああ、待っているよ」
その言葉に、カズマは笑みを零した。
無事、妖精国にゆければ、そこでサンタに、そしてマコに…会えるのだ。
カズマはタクミの肩を叩いた。
「お前は、好きに突き抜けられるんだ。まっすぐ馬のところにゆけ」
「わかった」
タクミは迷いのある瞳でもう一度周りを見回し、そして彼の愛馬のいる方向へとまっすぐに歩き出し、壁を抜けて見えなくなった。
すぐにドアに向かおうとしたカズマは、空のソファの横で立ち止まった。
「マコ…」
カズマはそこにいると確信しているマコに手を差し伸べた。
「すぐに行くからな。待っていてくれ」
カズマは見えないマコを見つめ、決意を固めてドアから外に出た。
向かっている池は、妖精国のきこりの家の近くにあった、あの池と同じくらいの位置にある。
いや、僅かな狂いもなく、あの位置にあるのではないだろうか?
月夜なのだが、森の中の細い道までは、光を届けてくれず、あたりは酷く薄暗かったが、池へと向かう道は一本道、迷う心配はなかった。
「ここだ」
カズマは池のほとりで馬を止め、シルバーから飛び降りた。
それほど大きくない池は、取り立てて特徴もない。
黒々とした水面は、月を映し出していて、シンとした静けさと池の様子は、一種異様で薄気味悪くもある。
「ここが?カズマ、これから何をするんだ?」
カズマは鏡のような水面を見つめた。
「飛び込む」
「は?飛び込む?」
「ああ」
「お前、正気か?今は真冬だぞ。それもこの地域は特別寒いところだ。いま気温が何度か分かってないのか?それともお前の見ている世界は、真夏だとでも…」
「それはない。お前と同じものを見ているし、同じ世界にいるさ」
タクミは、苦々しい顔でカズマを見つめ返してきた。
「この池に飛び込めば、妹に会えるというのか?」
「まあ、そういうことになる」
タクミは、顔を強張らせた。
カズマを信じることでしか、いまタクミが感じている恐怖は拭い去れない。
「馬はどうする?」
「連れてゆくさ。サンタの家までは距離がある」
「サンタの家?」
「妖精国の…な」
「妖精国…そこにもサンタの家があるのか?」
「あるというか…」
カズマはタクミに説明を試みようとして途中でやめた。
口にしてみても、理解できないだろう。
そんなことで、時間を無駄にすることはない。
「カズマ、妖精国に行けば、私もサンタクロースに会えるだろうか?」
カズマは、真剣な瞳で見つめてくるタクミを見つめ返した。
「ああ。妖精国は魔力の濃度が強い。お前はサンタ様に会える」
タクミにサンタの存在を強固に信じさせることだ。
タクミに話した話は、真実でもある。
妖精国は、人間国より魔力に溢れた地域だ。信じる強さが加味されれば、タクミはサンタを見ることが叶うかもしれない。
たとえそれが無理だったとしても、妖精国に行きさえすれば、マコには必ず会える。
「タクミ、いま優先すべきは…ここに、馬ごとダイビングだ」
「馬は、恐れて飛び込まないぞ」
タクミの愛馬を思案するように見つめ、カズマはシルバーに顔を寄せた。
「シルバー、そいつに恐れる必要はないと教えてやれ」
シルバーはいななき、タクミの愛馬に向いた。
無言で意志を繋ぎあっているようだ。
しばらくの間があり、タクミの愛馬はいななくと、ご主人のタクミの腰の辺りに鼻面を押し付けた。
「ナイト、大丈夫か?」
タクミは不安そうに愛馬に尋ねたが、カズマはその質問はタクミ自身に向けられているように思えて、笑いがこみ上げた。
「タクミ、まずお前から行け」
カズマの言葉にタクミは目を丸くした。
「どうして私からなんだ?」
「俺が飛び込んでしまうと、お前を後押しする者がいなくなる」
「馬鹿な。私に、後押しなど必要ない」
カズマには、空元気としか思えなかった。
「なら、先でもいいだろう。行けよ」
タクミははっきりと恐怖の色を浮かべた目で、カズマを睨んできた。
「飛び込んだら…どうなる?」
「それは飛び込んでのお楽しみだ」
カズマはからかい含みにタクミに言った。
「…危険は?」
「危険はない」
「わかった」
タクミは、ごくりと唾を飲み込み、愛馬のナイトを池の縁まで移動させた。
ナイトは恐れなどみせていないが、上に乗っているご主人様はそうはゆかないようだった。
「俺が先に行くか?」
シルバーの背に跨ったカズマは、タクミに言った。
タクミは睨むような視線を向けてきた。
だが、真っ青な顔で憎々しげな視線を飛ばしてくるばかりで、何も言わない。
「タクミ」
「ナイト、行くぞ」
そう叫んだ直後、「はっ!」と馬に檄を飛ばすような声を発し、タクミは馬もろとも池へとジャンプした。
水音はしなかった。
水面はほんの僅かも波立つことなく、タクミの姿は消えた。
「あいつ…さすがというか」
カズマは勇気ある友を讃え、笑い声を空中に飛ばしながら、タクミの後に続いた。
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