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第二十二話 強烈な笑い
マコが人間に戻る方法とはいったいどんなものなのだ?
カズマが掴んだ手を振りほどこうと必死になっているマコを見つめて、カズマは眉を寄せた。
「カズマ」
タクミに声を掛けられ、カズマはマコの手首を掴んだまま、タクミに振り返った。
「なんだ?」
「あの池…あそこはいつでもあちら側と繋がっているのか?」
「まあそうとも言えるが…どうして?」
「いや、両親を連れてきたいんだ。少しでも早く、マコに逢わせてやりたい」
カズマは頷いた。
そのとおりだ。
ノモト公爵夫妻は、誰よりも娘のマコに会いたいはずだ。
「そうだな。それじゃ、迎えに…」
「カズマ殿、その必要はない」
サンタの言葉に、カズマはサンタに振り向き、問うように眉を上げた。
「どうしてです?もう知らせが?」
夫妻は、すでにこちらに向かっているということなのか?
「いや、そうではないんだが…」
サンタは含むように言うと、立ち上がった。
それを見て、応じるようにタケコも立ち上がった。
「マコ、そこをどいておくれ」
サンタはそう言うと、今度はカズマとタクミに振り向いて口を開いた。
「ふたりは、このソファをどかしてくれないかね?」
「椅子?この椅子をどこにもってゆくんですか?」
「壁から一メートルほど離してくれればよい」
なんのことやら腑に落ちなかったが、カズマはマコから手を離し、タクミとふたりしてソファを持ち上げて、言われた通りに壁から離した。
サンタは壁に歩きより、手のひらを当てた。
「ああっ!」
マコの突然の叫びに、カズマは驚いて振り返った。
マコは目を見開き、口を両手で覆っていた。
「マコ、いったいどうしたんだ?」
「こ、これは?…そうだわ。ど、どうして忘れてたの?」
独り言のように呟くマコの様子に、カズマは眉をひそめた。
マコの反応が、彼にはさっぱり理解出来ない。
だが、マコのその目は、間違いなく何かを見ている。
「マコ、君は何を見てる?」
「ドアですわ」
壁を見つめたまま、マコは答えた。
「ドア?」
カズマはまじまじと、マコが指さしているあたりの壁を見つめた。
「そこにドアがあるのが、君には見えるのか?」
「は、はい…カズマ様には見えないのですか?」
驚きいっぱいにマコはカズマに言った。
カズマは苦い顔で渋々頷き、タクミに向いた。
こいつにも見えてるのだろうか?
もし、タクミまでも見えているとしたら、とんでもなくカズマのプライドは疼くことになるに違いない。
「タクミ…お前、ドアが見えるのか?」
「いや、ドアなど見えない」
タクミの答えに、カズマはほっとした。
「マコにしか見えないわ。そういうことにしてあるんだから、他の者に見えはしないわ」
「タケコ殿は見えているようじゃありませんか?」
「私は見えるわよ。このドアを存在させるために、手を貸してる当人なんだから」
ドアを存在させるため?
「手を貸してる?」
カズマの言葉に、タケコは払うように手を振った。
「まあいいわ。サンタ様、いいかしら?」
サンタは黙したまま頷いた。
「それじゃ」
タケコはそう言うと、何も無いドアに向かって歩いていき、いったん手を伸ばすと、何かを掴んだような形でその手を引いた。
そして…
「うっ、あっ!」
その驚愕の叫びはタクミのものだった。
カズマと同じに、タケコが壁に飲み込まれてゆくのを目撃したのだろう。
「か、壁に…ど、どうして、あ、あんなことができる?」
こいつ、よく言うよ…
「お前も同じ事をしていたくせに」
「なんのことだ?」
タクミは不審そうな目をカズマに向け、尖った声で聞いてきた。
今見た現実が受け入れられず、対処に困った気持ちがむかつきに変わったのに違いない。
「人間国のサンタの家で、お前も同じ事をしてたって言ったんだ」
「私が?」
納得出来ないらしい。
まあ、無理も無いか…
「ああ」
カズマはすっかりタケコの姿が消えた壁を見つめ、マコに向いた。
「君にはドアが見える。そしてタケコ殿は、そのドアの向こうに入っていったんだろ?マコ?」
「は、はい」
「このドアがどこに通じているのか、君は知っているのか?」
「こ、このドアは…この部屋は…父と母の…」
マコの目から涙がぽろぽろと零れ始め、カズマはどきりとした。
父と母とは、どういうことだ?
「忘れてたなんて…この部屋は…わ、わたしの両親の…」
「は?」
カズマは、マコの話にあ然とした。
両親の部屋?
「いったい…?」
その時、壁から人が出てきた。
「は、母上!!」
極大な驚きの叫び。
「ど、どうしてこんなところに?」
壁から全身をあらわしたノモト公爵の奥方は、質素なドレス姿で、その場に立ち、息子のタクミに目を向けた。
その顔は、喜びと期待の色を浮かべて輝いている。
「タクミ…マコ、マコは?」
タクミへと目を泳がせたタクミの母マスミは、マコの姿を見て一瞬身体をすくませた。
「マコ…マコ!」
マスミは甲高く叫ぶと、マコに駆け寄り彼女を力一杯抱きしめた。
「お…母様」
「やっと会えた、マコ、やっと。…長かったわ、あまりにも長かった…」
抱き合う母娘の後ろに、タクミとマコの父であるノモト公爵が立っていた。
彼は無言のまま、娘と妻を見つめながら、涙を流していた。
「父上」
タクミから静かな呼び掛けを貰い、ノモト公爵は手のひらで涙を払い、息子に顔を向けた。
「タクミ…よくやってくれた」
シンジは息子に、込み上げるような言葉を掛けると、次にカズマに向いて近づいてきた。
シンジはカズマの前で床に片膝をつけ、右手を胸にあてて、深く頭を下げた。
「カズマ王子、どんなに言葉を尽くしても、貴方様への感謝は足りませぬ」
カズマは首を横に振りシンジに手を差し伸べた。
「言われるほどのことはしていません。さあ、立ってください」
カズマはシンジを立ち上がらせた。
「それよりも、いったい…その壁にはどんな魔法が?」
カズマは、ふたりが出てきた壁を指さして尋ねた。
ノモト公爵は後ろに振り返り、またカズマに向いた。
「私にもわかりません。ですが、サンタ様とタケコ様のおふたりが、私たちの私室の壁に、このドアを」
考えも及ばない、途方も無い話だった。
「ノモト家の貴方がたの私室と繋がっているというのですか?」
「はい。マコが、十歳の誕生日を過ぎるまで、このドアはずっと存在していました。私たちは、このドアを使い、行き来をしていたのです」
「十歳?それではマコとはずっと?」
「ふたりがあまりに不憫でね。マコと会えるように、私たちで手を打ったのよ」
タケコが横合いから説明した。
「十年が精一杯だったのだがね」
サンタが申し訳無さそうに付け加えた。
「本当は七年という約束だったのよ。なのに、マスミがあまりに泣くから…三年も延長させてしまって…」
「タケコ様、すみませんでした」
マコを抱いていたマスミは、顔を上げて深い謝罪を込めて言った。
「よいよい、私らも忍びなかったからの」
サンタは取り成すように言い、マスミの肩をやさしく叩いた。
マスミは感謝を込めたお辞儀を返した。
「三年延長して、十年経ってこのドアを消したときの、あんたの絶望の叫び…いまもまだ耳に残ってるわ」
タケコのその言葉には、いい表せぬほどの痛みがあった。
マコと夫妻を切り離さなければならなかった瞬間、ノモト夫妻だけでなく、タケコもサンタもさぞかし辛い痛みを胸に感じたに違いない。
マコの方は、どうやら父母の記憶を封印されていたようだが…
もちろん、それは最善の方法だったろう。
「…すみませんでした」
頭を下げたマスミは、辛そうに口にした。
「当然のことだ」
サンタはいたわるようにマスミに言うと、言葉を続けた。
「だが年を経て、ついに再会出来たのだ。私も嬉しいよ。肩の荷が下りた。…ノモト公爵、さあ、貴方も遠慮などせずに娘を抱きしめてやりなさい」
「はっ」
娘と妻を立ちつくしたまま見つめているシンジはサンタに返事はしたものの、動こうとしない。
そんな彼に、サンタは温かな笑みを浮かべた。
シンジという人物を知っているカズマには、シンジらしいと思えたが…
タクミも同じようなものだし、マコ自身も、自分から兄や父に飛びついてゆくような性格ではなさそうだ。
「マコ」
母に声を掛けられ、マコは母の言いたい事を汲んだようだった。
マコは立ち上がり、母に肩を抱かれながら父に歩み寄った。
「お父様」
マコは父親に両手を差し伸べた。
シンジは娘の手を、そっと握り返した。
「ああ。ようやく、ようやく…」
ぐっと顔をしかめたシンジの頬に涙が伝う。
「奇麗な娘になった…やはりマスミに似ているな」
「口元のあたりは、シンジさん、貴方そっくりだわ」
「そ、そうか?」
妻のやさしい声に、シンジはひかえめながら嬉しげな笑みを浮かべた。
母から背を押される勢いを借りて一歩前に進んだマコは、父親の身体に両手を差し出して、遠慮がちに抱きしめた。
「ああ、マコ…マコ」
シンジは娘の身体を抱きしめ、顔を歪めてむせび泣いた。
「さあさあ、マコの部屋でゆっくり語るといい、タクミ殿、貴方も」
サンタが四人を促し、全員居間から出て行ってしまった。
もちろんカズマは、一緒についてゆくわけにはゆかず、タケコとともに居間に取り残される形になった。
閉じたドアを見つめ、カズマは椅子にどさりと座り込んだ。
「はあ」
マコが連れ去られ、気が落ちて身体から力が抜けた
「カズマ」
「はい」
祖母から声を掛けられたカズマは、気の無い返事をした。
「これからが大事な話だというのに、何を惚けてるの?話を聞きたくないの?」
「話?」
苛立ちを感じたカズマは、むくりと上体を起こし、タケコに睨みを向けた。
「こんな便利なドアがあるなら、いつでも人間国と妖精国を行き来出来たということじゃないですか?」
ノモトの屋敷から、こうもやすやすと、ここに来れる道があったとは…
「このドアは、ノモト夫妻しか出入り出来ないに決まってるでしょ。あと私とね」
「我々も、通れるようにしていただくことは、可能なのでしょう?」
カズマは挑むように祖母に言った。
「不可能ではないけど、可能でもないわ」
祖母の言葉に、カズマはぐっと顔をしかめ、自分の勝手な言い分をひどく恥じた。
これほどの高度な魔術、カズマには到底出来ない技だし、己が出来もしないことを、相手がたやすくやっていると思うのは愚かすぎる。
「タケコ殿、すみませんでした」
カズマは深々と頭を下げて謝罪した。
「まあいいわ。それより、これからのことよ。マコに掛けられた、闇の魔女の呪いを説く方法…知りたいのでしょう?」
そうだった。
「もちろんですよ」
「人間の姿に戻るために、マコが自分で解くしかないのよ」
「マコが?その方法は、もちろん分かっているんですよね?」
「正直言って、すべてがこれからよ」
「これからとはどういう意味です?これから方法を見つけ出さなければならないというんですか?」
眉を寄せたカズマの胸に、失意が湧いた。
だが、先ほどマコは、その方法を知っているような様子だったのに…
「手順が必要なの」
「どんな?」
「まずは、マコが魔力を手に入れなければ、話にならないわ」
「魔力…?」
「そう、魔力よ。魔力を得る方法は、先ほどの話で、あなたもすでに分かっているでしょう?」
カズマはタケコの顔をまじまじと見つめた。
確かにこの耳で聞いた。
魔力を有した者と、身体の契りを結べば…マコは…
「…そういうことか…」
瞬きを繰り返しながら、カズマは呟きのように口にした。
「そういうことよ」
唐突に、強烈に笑いが込み上げてきた。
カズマは思わず両手を思い切り打ち鳴らしていた。
「竜退治に出向くかな」
右手をぐっと握り締めながら、カズマは力のこもった声で言った。
笑いが胸から零れ出そうだ。
「いまなら十頭だろうと、同時に片付けられる気がする」
右の拳が光に包まれ、凝縮された魔力がパチパチとはじけた。
「あんまり調子に乗らないのよ、カズマ。いまのあなた、王子の威厳が消えかけてるわよ」
「どうとでも」
カズマは手のひらの上の光の玉をもて遊びながら、鷹揚に答えた。
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