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第二十四話 泣きそうな笑み
椅子に座ったカズマは、目の前にいるマコを見つめて、沸騰しそうなほどの苛立ちを感じていた。
両親に、マコとの結婚の報告を終えたら、翌日すぐに戻って来るつもりだったのに、山積みとなっていた公務を終えるまでは、どこにも行かせないと息巻くクニムラに掴まったのが運の尽きだった。
家来に命じ、クニムラはカズマを二晩も監禁するような状況に追い込んだ。
クニムラに、やっかいな呪いでも掛けてやろうかとの悪魔の囁きに、危うく誘惑されそうになったことが幾度あったことか…
クニムラときたら、カズマの結婚話も、最後まで本気にしなかった。
結婚式の準備が忙しいから、いますぐ妖精国に戻らなければならないのだと、幾度も説明したのに…
あのわからずやの頑固爺、いざ結婚という段になったら、腰を抜かして驚けばいい。
カズマは、母親の話を笑みを浮かべて聞いているマコに視線を向け、何度目かのため息をついた。
寝る間も惜しんで公務を処理し、ようやく解放されて、長旅の末にこちらに戻ってきたというのに…
マコの両側には両親が付き添い、そして背後にはタクミ…
カズマの帰還を、マコは瞳を潤ませるようにして喜んでくれたが…
おおいに物足らないことに、なにひとつ行動に移してはくれなかった。
飛びついてきて、キスのひとつやふたつ…いや、カズマの心情としては、思う様唇を味わうくらいしたって良かった。
ノモト家の連中ときたら、結婚する相手、つまり許婚に対する配慮ってのはないのか?
それとも期待するほうが馬鹿なのか?
苛立ち紛れにそんなことを内心でほざきながら、カズマは、ノモト公爵と夫人の表情、そしてタクミの満ち足りた顔を見つめた。
その情景に、カズマの胸がジンとした。
勝てないな…
カズマは望みをすべて諦め、腰を上げてドアに向かった。
「カズマ様、あ、あの、どこに行かれるのですか?」
追いすがるような響きのマコの声は、彼の自尊心を最大までくすぐってくれた。
カズマはいい気分で、マコに余裕の笑顔を向けた。
「トモエと少しばかり会わせてもらえないものか、サンタ殿に聞いてくる」
まだ意識の戻らないトモエは、タケコの命令で、面会謝絶となっている。
だが、いま、そのタケコは不在だ。
カズマが戻ってきた時には、タケコはトモエのためになる薬の材料を、調達しに出掛けていた。
サンタ殿なら、頼み込めば、少しくらい部屋に入らせてくれるかもしれない。
部屋の外に出てサンタの部屋に向かっていると、うまい具合に、部屋からサンタが出てきた。
「カズマ殿。戻っておいでだったか」
「はい。煩いのに掴まって、なかなか自由にしてくれずに参りました」
文句を言いつつ渋い顔をするカズマを見て、サンタは楽しげな笑い声を上げた。
「あの。トモエを見舞いたいのですが…顔をみるくらいなら…」
「トモエ殿は、一時間ほど前に意識が戻ったところだよ」
「そうですか?容態は?」
「ひどく疲れておいでだ。タケコ殿がお見えでないうちに、無理をさせてはならないが…」
「もちろんです。トモエを疲れさせるようなことはけしてしませんよ。ただ、顔を見るだけでいいんです」
サンタは躊躇い濃く思案していたが、最後には頷いてくれた。
「それでは私は飲み物を用意して来よう。カズマ殿、くれぐれもトモエ殿を興奮させたりせぬように」
力強く頷くカズマに、不安の入り混じったいぶかしむような視線を向けながらも、サンタは台所の方へと歩いて行った。
サンタの部屋のドアをノックしたが、なんの応答もなかった。
カズマは少し思案し、ドアを開けた。
ベッドの上にいる人物は、重ねた枕に凭れ上体を少し起こした姿勢で窓の外に顔を向けていた。
だが、息遣いすら感じさせないほど、微動だにしない。
「よお」
目は開いているのだから、トモエはカズマの声を耳にしているはずだ。
だが反応は微塵もなかった。
カズマは口元を引き締め、わざと足音を立ててベッドの間際まで近づいて行った。
「調子はどうだ?」
トモエはひどく気だるげな動作で、顔を少しカズマの方へと動かし、視線を、カズマを捉えるまではゆかない中途半端な位置で止めた。
意識は戻ったものの、体力と魔力の回復はまだまだ足りていないらしい。
疲れをはっきり滲ませているトモエは、片言を口にすることすら億劫なのかもしれない。
手近な椅子を掴んで引き寄せ、カズマは腰を下ろした。
話したいこと聞きたいことは山ほどあったが、いまそれらを持ち出す気はなかった。
ただ、闇の魔女の存在のせいで、おかしなことになっていたふたりの関係を、同じ場にいることで、多少なりと復旧させたい。
トモエは静かだった。
カズマが側にいることに、ストレスを感じてはいないようだと分かって、彼は安堵を覚えた。
無表情なトモエを見ていると、どうにも胸が詰まる。
闇の魔女に憑り付かれていたトモエ…
その状況を受け入れざるを得ぬまま、トモエは生きてきたのだ。
俺に耐えられただろうか?
カズマの内面で、否定して首を強く振る自分がいた。
闇の魔女の醜悪な企み…
それに気づいた大人たちは、総動員してトモエとマコを救おうと、長い年月、力を合わせてきたのだ。
タクミも闇の魔女の手駒のひとつとなっていて、カズマが救済の駒として、場の中に投じられた。
もちろん、カズマとマコが愛し合う仲になったのは、別のことだ。
人の心は、他者が操作など出来ない。
だが…もし、カズマとマコが互いを求めあわなかったら…?
マコは魔力を得られず、一生妖精族の姿のまま、このサンタの家に留まって暮らすこととなったのだろうか?
きっとそうなのだろう。
両親やタクミが両国を行き来出来れば、たいして不都合もない。
トモエとマコがということだってありえた…
カズマはふいに浮かんだその考えを頭から追い払った。
マコはカズマを愛してくれたのだ。それ以外の現実はない。
だから…カズマがトモエに対して、詫びる様な思いを感じる必要もないのだ。
カズマは時折の瞬き以外、静かに存在しているトモエを見守り続けた。
「…すまなかった…」
カズマははっとした。
聞き取るのが難しいほど、微かな声…
トモエは先ほどと同じ方向に視線を向けていて、なんの動きも無い。
だが、いまの声はトモエのものだった。
「何で謝る?」
「お前を二度も死に追いやろうとした…」
そこまで言うと、トモエは大きく息をついた。語るのはやはり辛そうだ。
「トモエ、まだ無理だ。おとなしく休んでいたほうがいい」
「いや」
トモエは緩慢な動作で、首を横に振った。
「運が悪ければ…お前は確実に死んでいた…」
「トモエ…。だが俺はこうして生きてる。それにすべてお前のせいじゃない。悪いのは…」
「いや!」
トモエはカズマの声をさえぎるように鋭く叫ぶと、顔をしかめて枕に頭を埋めた。
カズマは立ちあがりトモエを覗き込んだ。
「トモエ?」
「お前にはわからないさ…」
声にならない声で言うと、トモエは浅い呼吸を繰り返し、固く目を閉じると、また話を続けた。
「闇の魔女は私の意識に融合していた。どんな言動も行動も、すべて私の意志が混ざっていた。お前を殺そうと考えたのも、確かに私だ…」
「トモエ、そうじゃない!」
トモエの痛みがカズマの胸を刺し、彼はいたたまれなくなって叫んだ。
だが、トモエの意識には届いていないようだった。
トモエは震える右手で顔を覆った。
「感情が高ぶると…押さえが利かなくなった」
まるで自分の手のひらが穢れているとでもいうように、トモエは顔を歪めて自分の手のひらを見つめた。
「シオンがいなければ…私はとっくの昔に、闇の魔女の手に落ちていただろう」
タケコは、トモエにシオンの正体を明かしていない。
今後も明かすつもりはないと、カズマはタケコから聞かされていた。
これからのトモエにとって、シオンはまだまだ必要な存在になるからと…
「シオン様はお前を、誰よりも慈しんでいるからな」
「ああ。そうだ」
トモエの顔がくしゃっと歪み、その目に涙が溢れ、頬を零れ落ちた。
「それだけが…救いだった…」
カズマは不覚にも涙が込み上げ、それを隠そうとしてトモエから顔を逸らし、椅子に座り込んだ。
「マコを…しあわせにしてやってくれ」
その言葉にカズマは顔を上げた。
「…お前は、それでいいのか?」
思わず出た言葉だった。
よくないと言われたところで、カズマにはどうにも出来ないのに…
「マコを愛してはいない」
トモエは感情の抜けた声で、淡々と言った。
そのトモエの言葉は真実ではないだろう。だが、カズマは頷いた。
「わかった」
「終わったんだ…ざまあみろ!」
乱暴に言葉を吐き出したトモエは、胸を上下させて苦しげに息をついた。
カズマはパッと立ち上がり、湧きあがる感情を持て余しながら、トモエの腕をぐっと掴んで、大きく頷いた。
「お前は、英雄だ」
カズマの真剣な言葉に、トモエは泣きそうな笑みを浮かべた。
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