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第二十五話 厄介な連れ
「ああ、もう、うるさい!!!」
腹立ち紛れに机に両手を付いたカズマは、右腕に走った激痛に、声も出せず顔を歪めた。
「カズマ様、また傷が開きますよ」
馬鹿な子どもを言い聞かせるように、呆れた調子でクニムラが言った。
カズマのムカツキが百倍増した。
もう分かったと言っているのに、同じ小言を繰り返し、俺を苛立たせている張本人のくせしやがって…
「クニムラ、お前が言うな!」
怒りを煽られたカズマは、思わずひどい傷を負っている右腕をクニムラの鼻先に突き出そうとして、また痛みの反撃を食らって呻いた。
「医者の指示に逆らってばかりで、おとなしくなさっていないからですよ。婚儀も近いというのに…」
よく言うよ。
公務だけは休ませないくせしやがって…
カズマの結婚話を本気にしようとしなかったクニムラは、王と妃のふたりから、マコの存在、そして王子結婚の話を聞いて、ようやく本当のことだと信じた。
腰を抜かすことはなかったが、相当の驚きを見せたらしい。
その時、サンタの家にいたカズマは、残念なことにその余興を見逃した。
机の上にうずたかく積んである紙の束を見て、カズマはため息をついた。
あー、マコに会いたい…
すでにマコと一週間以上会っていない。
そうなった原因を作ったのは、もどかしいことに己自身だ…
初めの三日は公務で遠方に出掛けなければならなかった。
その用事を終えた帰り道、ここからなら近いぞと、ちょっと寄り道したのが運のつき…
カズマの花嫁となるマコに、彼は特別な贈り物を用意したかったのだ。
市場や工芸品を手掛ける知り合いたちから、たくさんの品を買い漁ったが、どれも、結婚の記念とするには、物足りない気がして…
もっと特別なものをと…
それで奇跡の玉と呼ばれている、稀にしか見つからない魔力のこもった石を探しに行ったのだ。
その辺りが、竜の住処が数多く点在する危険地帯なことは、もちろん知っていた。
カズマは自分の落ち度から全身打撲に加え、右腕に深い傷を負い、彼の報告でクニムラが思っているより、危機的な状況から、運だけを頼りに生還したというわけだった。
タケコがいてくれれば、すぐに傷を治してくれただろうが、いまのタケコはシオンとして妖精国の城にいて、トモエにつきっきりだ。
治癒者の治療と薬湯などで、打撲の方はすでに治ったが、右腕の傷に加え、指がほとんど動かせない状態だ。
サイン一つ書くのも、普段の5倍近く掛かる。
こんな姿では、とてもマコのところに行けない。
カズマは、机の上に広げられた書類を意識なく見つめ、物思いに没頭した。
妖精国の城に行ってみようか?
トモエの様子も見ておきたいし…
シオンに直接頼めば、この傷をもっとましにしてもらえるかもしれない…
なにせ婚儀は一週間後なのだ。
いくら参列者が少ないとはいえ、包帯をぐるぐる巻きにした右手の動かない新郎役など、みっともなくてやりたかない。
カズマは椅子の背に凭れ、眉をしかめた。
マコはいますぐにでも手に入れたいし、マコの花嫁姿は楽しみだ。
それでも婚儀は、憂鬱でならない。
式直後、そのままマコをベッドに引きずり込めたら、言うことはないのだが…
あー、マコはどうしているだろう?
三日で戻ると告げて、こちらに帰って来たのに…
彼が戻って来なくて、寂しがっているだろうか?
カズマは心の中でマコの姿を思い描いた。その背後に、湖がきらめく…
???
彼はむっくりと上体を起こした。
「どうなさいました?」
カズマの行動と表情が気に掛かったのか、クニムラが問い掛けてきた。
「いや、ちょっと妖精国に行ってくる」
「は?ご冗談を。そのような傷を負った身体で、とても行かせられませぬぞ!」
「絶対の用事が出来た!」
カズマはきっぱりと言い切り、すっくと立ち上がった。
絶対の用事という言葉と、彼の発する雰囲気で、クニムラは口出しできぬのだと悟ったか、不安を滲ませた顔になった。
「カズマ様。妖精国のどこに行かれるのですか?いったいなんの用事が?」
クニムラの質問に正確に答える気は無かった。
だが、このまま出掛けたのでは心配させるだろう。
すでにドアに向かっていたカズマは、クニムラに振り返り、口を開いた。
「祖母はいま妖精国にいる。用事のついでに祖母に傷の治療を頼んでくる」
「タケコ様が?」
「ああ。俺は不死身だ。大丈夫だから、そう心配するな」
「不死身?…そうとは、思えませぬが…」
おおいに疑った言葉を背に受け、カズマはよろけた。
安心させようというジョークだったのに…
「早く飛べ」
池の縁にいるクニムラに、カズマは命じた。
「か、カズマ様…お、おお、たわむれが過ぎます」
馬に乗り、へっぴりごしのクニムラは、ずいぶん笑える見物だった。
だが、もう充分堪能したし、そろそろ躊躇いを投げ捨てて飛んでもらわなければ、カズマの丈夫な堪忍袋の緒も切れそうだった。
「タクミはいっさい躊躇無く飛んだぞ」
「で、ですが…。この水の中に飛び込んで、本当に妖精国にゆけるのですか?普通の道とかはないのですか?」
「橋がひとつある。だが、その橋は許可を得なければ渡れない」
出現しないと言う方が正しいか…
「ならば、妖精国に申請して出直しましょう」
カズマは深い呼吸を数度繰り返し、湧きあがった怒りをなんとか静めた。
「クニムラ…いいか、また城に戻り、申請をして許可を待つという、入国する手順を踏むのに、どれだけの日数が掛かると思う?間違いなく二週間は掛かるんだぞ。そんなものをのんびり待っていたら、私は自分の婚儀にすら出席できなくなる」
「婚儀に出席なさる方全員、この池に飛び込まなければならないというのですか?」
信じられないというように、クニムラは目を見開いて言った。
婚儀に出席するひとりである自分の身が、不安になったか?
顔を引きつらせたクニムラに、カズマは冷たい視線を向けた。
カズマの両親を含め、婚儀に出席する数人の者たちは、式の三日前に橋を渡れるよう、トモエが既に許可を出してくれている。
本来なら、クニムラは、尻込みしつつ池に飛び込むなんて羽目に合わずにすんだのだ。
だが、いまそれを伝えれば、こいつは、それまで待とうと言い出すに決まっている。
クニムラをここに置き去りにして、カズマだけ飛びたいが、老齢のクニムラを城から遠く離れた馴染みのない場所に置き去りになど出来ない。
そんなことをしたら、クニムラの愛妻であるトシに泣かれそうだ。
「いいか。忘れているようだが、クニムラ、俺の後を勝手につけてきたのはお前なんだぞ」
「そ、それは、カズマ様の御身が心配でならず…」
カズマは無傷の左手を振り上げ、さっと池を指さした。
「なら、飛べ」
「ご、ご無体な…」
馬に乗ったまま、へっぴり腰で後ずさるクニムラに、カズマの苛立ちはマックスまで跳ね上がった。
いっそのこと、クニムラの後ろに回り、クニムラとクニムラの馬の尻を思い切り蹴飛ばしてやりたい。
自分の背中に跨った主の状況を、シルバーは首を回してカズマを見つめてきた。
問うような眼差しではなく、まるきり傍観するような眼差し。
このところのシルバーは、やたらおとなしい…
人間で言えば、胸にしこるような悩みがあって、憂いに沈んでいるというような…
何かあったのかと声を掛けても、さっぱり反応してくれずに、ひどく気に掛かっているのだが…
「シルバー?」
シルバーは、妖精国に行く事を嫌がりはしないが、どうもあまり気が進まないようだった。
竜のいる危険地帯に行くことは、まったく躊躇う様子をみせなかったのに…
こいつは、妖精国そのものが嫌いなのだろうか?
そんなことを考えながら、シルバーを見つめていると、シルバーはつまらなそうな顔で視線を池に向け、それから首をクニムラの方へ向けた一瞬後、合図のように軽く頭を振り上げた。
ヒヒーンと、クニムラの馬が嘶き、次の瞬間、同情より滑稽な笑いを誘う悲鳴を上げたクニムラは、池の真上にいた。
「あ」
クニムラの姿が消える前に、カズマが口にした言葉はそれだけだった。
鏡のような水面を見つめた後、カズマはシルバーの背を、おいおいというように叩いた。
シルバーはカズマに頓着せず、憂い顔で空を見上げると、カズマの指示も待たず、池へとダイブした。
シルバーはいったいどうしたというんだ?
カズマは異質な感覚に身を任せながら、首を捻った。
無事妖精国に先に着いていたクニムラは、泣きも喚きもせず、むっつりとした顔で池の側にいた。
「よお、どうだ。なんでもなかったろう?」
クニムラは言いたいことが山のようにあるといわんばかりの目をカズマに向けてきたが、口元をもぐもぐさせるばかりで、実際には何も言わなかった。
馬をダイブさせたのは、カズマの仕業と思い込んでいるのだろう。
「それじゃ、行くぞ」
苦笑しながらクニムラに声を掛けたカズマは、きこりの家へと向かう小道ではなく、城へとまっすぐに続いている道へとシルバーを向けた。
城の方からの道は、トモエと同行してでないと入れないのだが、出るだけならトモエがいなくても抜けられる。
心は、マコに向かってまっすぐ進路を取りたかったが…
右手の指が動かせるくらいまで治癒してからでないと、マコには会えない。
「サンタの家というのは、ここから近いのですか?」
背後から飛んできたクニムラの問いに、カズマは進行方向を見つめたまま、大きな声を上げた。
「サンタの家じゃない」
「なんと?どうしてです?ならば、我々はどこに向かうのですか?」
「妖精国の王の城だ」
「おお、では、トモエ様にお会いできるのですな。これは楽しみだ」
クニムラはがらりと表情を変えて機嫌を直し、嬉しげに馬を進ませ始めた。
クニムラが妖精国に来たのは初めてだが、彼はカズマの城に遊びに来ていたトモエとは、かなり仲が良かった。
クニムラとの再会を、トモエは嬉しがるかもしれない。
カズマはクニムラを同行させたことを、いま初めて喜んだ。
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