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第二十六話 声なき呼び掛け
軽快に駆けていたシルバーの頭が突然白い靄に飲まれた一瞬後、カズマも靄の中に入り、瞬時に抜けた。
立ち止まったシルバーの上で、カズマは周囲を確かめるように見回していたが、クニムラの短い悲鳴が聞こえ、後方へと振り返った。
驚きの表情をしたクニムラが、ちょうど現れたところだった。
ここは城の裏庭にあたる場所で、クニムラの背後には、葉の密生した垣根がある。
彼らふたりは、馬たちとともに、そこから出て来たのだ。
「クニムラ」
カズマは彼を安心させようとして声を掛けたが、クニムラはひどく憤っているようだった。
「こういうことなら、こういうことだと、前もって教えておいてくださるのが親切というものですよ、カズマ様」
確かに…
カズマは興奮気味のクニムラに「そうだな」と、にやついて答えた。
クニムラはむすっとした表情のまま、周囲を胡散臭そうに眺め回し始めた。
「ここは?どこなのですか?」
すぐ近くにそびえている城の外壁を見上げながら、クニムラは聞いてきた。
「目的の城さ」
「妖精国の城壁というのは、ずいぶんと奇麗なものですな」
城に着いたと分かって安心した反動か、クニムラはやたら感嘆したように言った。
カズマはクニムラと同じ高さに視線を上げ、そびえるような壁を眺めた。
淡い緑色をした外壁は、今しがた磨いたばかりのように汚れ一つない。
人間国しかしらないクニムラには、城の外壁だけでなく、物珍しい風景ばかりだろう。
「いくぞ」
カズマはシルバーを進めながら、クニムラを促した。
クニムラは首を一回転させんばかりに周囲を見回しながら、目をきょぼきょぼさせて付いてくる。
裏庭から広い庭に出たところで、かなり離れた前方からトモエがやってくるのが見えた。
珍しいことに、護衛はなく、ひとりきりだ。
シオンの姿をしたタケコがいないかと捜したが、どうやら一緒ではないようで、カズマはかなりほっとした。
傷は治療して欲しいが、祖母にどれだけ罵られることか…
だいたい予想がつくが…
妖精族らしい薄物の白い衣装をまとっているトモエの姿は、高貴さを漂わせ、ずいぶんと貫禄がある。
こんなトモエをみたら、クニムラはまた彼と比べて、トモエ王を見習えとか、くだらない小言を言うに違いないが…
まあいい…
肩を竦めたカズマは、シルバーから降りて、クニムラに向いた。
「馬を降りたほうがいい。王、直々に、迎えてくれるらしいぞ、クニムラ」
「おお。トモエ様が」
馬から慌てて降りながら、クニムラは笑みを零して言い、カズマが指すトモエに目を向けた。
間近まで来たトモエは、カズマと一緒にいる人物に怪訝そうな目を向けたが、それが誰だか分かると、晴れ晴れとした笑顔になってクニムラに近づいた。
「クニムラ殿。あなたがご一緒とは。何年ぶりだろう」
「国王様、おひさしゅうございます、私如きのことを覚えておいてくださるとは、クニムラ、光栄至極にござります」
クニムラはトモエの歓迎ぶりに、嬉しさからかなり興奮したようすながらも、礼儀を忘れず、大きな身振りで両手を胸に当て、片足を跪き深々と頭を下げた。
やたらかしこまった挨拶を交し合うふたりを、カズマはつまらなそうに見つめた。
「シオン様は?トモエ、いらっしゃらないのか?」
「シオンならいるさ。彼女が城を離れることは稀だからな」
カズマは頷いたが、シオンが城にずっといるわけがない。
きっと自分の部屋に、魔法の通路でも持っているに違いないのだ。
出掛ける時は、自分の分身に留守番を頼んでいたりなんてことをやらかしていても、彼女の場合不思議じゃない。
「お前、どうしたんだ?」
クニムラを促して城に向けて歩き出そうとしたトモエは、気づかなくてもいいのに、カズマの不自然な腕に不審を抱いたようだった。
トモエの問い掛けがカズマの傷に対してのものだと分かったクニムラは、鬼の首を取ったように、カズマの愚かさをトモエに暴露し始めた。
「クニムラ!」
カズマは我慢が尽きて、クニムラを怒鳴りつけた。
そんなカズマに、トモエはやたら冷たい目を向けてきた。
「竜の巣窟?そんな場所に行ったのか?この時期に?」
お前は馬鹿じゃないのかといわんばかりのトモエの表情だった。
負傷している手前、強く言い返せず、カズマはむすっとしてふたりを睨んだ。
「婚礼は一週間後だろう。死ぬかもしれないような場所に、なんでわざわざ出向く?独身気分を満喫したかったとでもいうのか?」
そんなことではなかったが、カズマは否定も肯定もしなかった。
カズマには意味のあることだったのだ。
クニムラとふたり、いくらでも呆れればいい。
「シオン様に会いたい」
カズマはむっつりとしてトモエに言った。
「いまは休憩している時間だからな。部屋に引き取っているんだ。二時間ほどしたら…」
二時間…か。
ならば、それまで、トモエとクニムラのおしゃべりに付き合っているしかないか。
城へと向かいながら、カズマはため息をついた。
この傷をもう少しでいいから癒してもらえれば、すぐさまマコに会いに行くのに…
「マコは…どうしてる?」
カズマは思考を中断して、問い掛けをくれたトモエに視線を向けた。
あの出来事から一週間ばかり過ぎ、体力を回復したトモエは城に戻ったのだが…
「あれきり、会いにいっていないのか?」
「…まあな」
トモエは自分のつま先のあたりを見つめ、苦そうな笑みを浮かべた。
「そうか。マコは幸せだ。家族とともにいて…」
「そうか…よかった」
「あの、トモエ様は、カズマ様の妃となられるノモト公爵様のご息女様をご存知なのですか?」
クニムラは、マコの名を耳にして、黙っていられなくなったのか、沈んだ場の雰囲気と、トモエに遠慮しつつも、おずおずと尋ねた。
「よく知っていますよ。彼女とは、幼馴染のようにして育った間柄です」
「おお。それでは、カズマ様は、トモエ様とのご縁で、お嬢様に出会われたというわけですな」
トモエの笑みに、さらに苦味が増した。
「まあ…な」
カズマはこの場を簡単に収めるために、クニムラの言葉を肯定した。
トモエの心は、まだまだ傷が膿んでいるような状態だろう。
これ以上マコの話題を持ち出して、傷をえぐるようなことはしたくない。
城の中へと入れる階段の手前には、数人の家臣たちが待っていた。
だが、トモエの護衛兵はひとりもいない。これは普通ではありえないことだ。
「馬たちは、彼らに任せるといい」
「なあ、護衛兵たちはどうしたんだ?」
カズマは眉を寄せてトモエに尋ねた。
えりすぐりの兵からなるトモエの護衛兵は、いつでも彼の身近にいる存在…
「彼らには二ヶ月ほどの休暇を与えた…いまはそれぞれの生家で思い思いにのんびりしているはずだ」
「…そうか」
どうも、休暇を与えたことには、なにか訳がありそうで気に掛かったが、こんな大勢のいる場で深くは問えまい。
『カズマ』
家臣の一人にシルバーの手綱を渡そうとしたカズマは、彼の名を呼ぶ声に驚いて動きを止めた。
声の主を探して首を回したが、どこにもいない。
いや、その人物が、こんな場に現れるわけがないのだが…
「カズマ様、どうなさいました?」
カズマの不審な動きに、クニムラは眉を寄せて問い掛けてきた。
「いや…」
『カズマ』
カズマを呼ぶ声がまた聞こえた。
だが、彼以外、その声を聞いてはいないようだった。
どうも彼の頭に、直接呼びかけているらしい。
「行くところができた」
カズマはそういうと、シルバーの背にひらりと飛び乗った。
「ど、どこに行かれるのです?」
驚いたクニムラが、シルバーに取り縋ってきた。
「大丈夫だ。危険な場所に行くわけじゃない。それどころか、この世でもっとも安全な場所かもしれん」
「いったい何を?」
「トモエ、俺が帰るまで、クニムラを頼む」
「カズマ様!」
トモエの無言の頷きをもらったカズマは、クニムラの戸惑った叫びを背に、城の外目指してシルバーを走らせた。
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