恋に狂い咲き

 書籍 「恋に狂い咲き5」
  P102スペースのお話になります。 


「いまだけの一枚」 真子視点



別荘に泊まった翌朝、瞼に触れる温かなものの感触で真子は目覚めた。

目の前に和磨の顔があり、真子をみて微笑んでいる。

「和磨さん」

「おはよう。目覚めの気分はいかがですか? 私のお姫様」

王子様をきどって和磨が言う。

真子は笑ったけれど、王子様っぽい和磨の呼びかけに胸がときめく。

「とってもいい気分です」

和磨に合わせるように口にしてみたものの、彼のようには照れずに口にできなかった。

ぎこちない語り口になり、頬が赤らむ。

そんな真子の反応を見て、和磨はくすりと笑い、軽いキスをする。

「腹が減ったな。起きて朝飯を作るとするか?」

王子様とお姫様ごっこは、早々に終わりらしい。
真子は苦笑しつつ頷き、起き上がった。

さっそく着替えたふたりは、朝食の準備のためにキッチンに向かった。

拓海と真治は、まだ寝ているようだ。

朝の別荘は静かで、落ち着ける雰囲気だった。

キッチンに入る前に、真子は窓から外の景色を眺めた。
和磨もそれにならう。

海がキラキラと輝いている。

「あっ、鳥が飛んでますよ」

海に面した緑に覆われた丘の上を、白っぽい鳥が飛んでいる。

「気持ちよさそうですね。あんな風に、鳥になって空を飛んだら、どんな気分なんでしょうね?」

そう言ったら、なぜか和磨は悪戯っぽい目をして真子に向いてきた。

「和磨さん?」

「味わってみたいか?」

「はい? 味わうなんて、無理ですよ。鳥にはなれないんですから」

「似たような体験はできるさ。ハングライダーとか、パラグライダーで。最高に気持ちいいぞ」

「和磨さん、やったことあるんですか?」

驚いてしまい、思わず聞き返してしまったが、和磨ならやっていそうだと思い直す。

「ああ。山から空中に飛び出して、眼下に広がる景色を眺めるのは最高の気分だぞ」

和磨さんって、やっていなことの方が少ないんじゃないかしら。

「いつか一緒に体験しよう。それとも、怖いか?」

真子は少し考え、くすっと笑った。

「体験してみます。和磨さんと一緒なら、きっと怖くないです」

和磨は嬉しそうに笑み、真子をきゅっと抱き締めてきた。

「それじゃ、朝御飯の準備に取りかかるとするか?」

「はい」

ふたりして冷蔵庫を確認してみたら、藤間夫妻が朝食用にと、色々と用意してくれていた。

「豪華な朝食になりそうだな」

冷蔵庫から、佃煮やら干物やら次々と取り出しながら和磨が言う。

「ほんとですね。あっ、これ美味しそうです」

「うん。美味そうだ。どこで売ってるのか藤間さんに聞いて、買って帰るか?」

「はいっ!」

胸を弾ませて返事をしてしまう。

お土産に、みんなにも買って帰りたいな。

「干物を焼くのは、真治さんたちが起きてきてからでいいな。……昨日の刺身の残りがあるから、それを使って味噌汁を作るとするか?」

「ああ、いいですね」

「よし。味噌汁は俺が作ろう。真子、君は佃煮を盛りつけてくれ」

「了解です」

朝食の支度をしていると、真治と拓海も起きたようで、ふたり一緒にキッチンに顔を出した。

「美味しそうな匂いが……うん? 和磨君、君が作っているのか?」

味噌汁の具を鍋に入れている和磨を見て、真治が驚いたように言う。

キッチンで主導権を握って動いている和磨に、拓海もびっくりさせられたようだ。

小鉢におかずを盛りつけていた真子は、そんなふたりを見て、笑いが込み上げてしまう。

和磨さん、外見からでは、料理を作るようなひとには見えないものね。
わたしも意外だったもの。

拓海はなぜか顔をしかめ、和磨の側にやってきてその手際を見つめる。

「ほんとに料理ができるんだな」

面白くなそうに拓海は口にする。

「一人暮らしも、そこそこ長いからな」

「ほんとに、お前が自分で作って食べてるのか?」


「疑わしげだな?」

「正直、信じられない」

すでに、目の前で和磨が味噌汁を作っているというのに、拓海ときたら断言するように言う。

「拓海、お前なぁ」

和磨は呆れ顔だ。

真子は苦笑しつつ、和磨のフォローに回った。

「和磨さんは、なんでもやれますよ。料理だけじゃなくて、お風呂も掃除してもらってるし、掃除機もかけてくれて……」

「こいつが? こいつがか?」

絶対に信じられないという顔で、拓海は繰り返す。

「ひとに指を指すな」

和磨がそんな文句を言うと、拓海の背後にいる真治が笑い出した。

「拓海。お前は、和磨君に負けて悔しいんだろう」

真治がそんな指摘しをし、拓海が勢いよく真治に振り返る。

「父さん」

声を荒らげた拓海は、ふて腐れた顔になった。

「和磨さんは、一人暮らしが長いそうですから」

取り成そうとして真子は言ったのだが、憤慨した拓海の耳には入らなかったようだ。

「傲慢でいつも命令口調のこいつが、風呂掃除やら、掃除機かけてる姿なんて、想像できるか?」

なぜだか拓海は、真治と真子にそう尋ねてきた。

「ほら、味噌汁もできたぞ。拓海君、存分に私の味を堪能してくれたまえ」

上から目線で拓海を見つめた和磨は、ひどくにやつきながら、そんな言葉を傲慢に言い放ったのだった。





四人で朝食をいただいたあとは、車で観光に向かった。

やってきたのは藤間から聞いたお勧めの名所。

「うん、藤間さんが言っていた通り、ここからの眺めは最高だな」

展望台の上に辿り着き、和磨が言う。

彼に手を取られ、ぐいぐい登らされることになった真子は、息を切らせながら和磨に並んだ。

「わっ、ほんと」

大小の湾の曲線と海が、広い範囲で眺望できる。

展望台がここに設置されただけのことはある。

見事な風景だ。

そこで、後を追って来ていた拓海と真治も、ふたりの横に並んできた。

「おお、本当にいい眺めだな」

「うん。ここに来た以上は、この景色を見るために登るべきだな」

真治と拓海が口々に言い、そのあと四人は景色を堪能した。

海の向こうに視線を向けてみたら、小さな湾に遊覧船が入ってくる。

「あっ、遊覧船ですよ」

遊覧船のエンジン音が、なんとものどかに響く。

「おっ、ほんとだ。それにしてもいっぱい乗ってるな」

「どこに行ってもひとばっかりさ。なにせ、ゴールデンウイークなんだからな。しかも、こんなに天気がいいときてる」

そんな拓海の言葉に、和磨が眉を寄せる。

「昼飯にありつけるかな」

確かに、美味しいお店なんかは、人でごった返していそう。そう考えたら、急にお腹が空いてきた。

せっかく海沿いにやってきたんだから、新鮮で美味しい海の幸をいただきたいものだ。まあ、昨夜もお腹いっぱい食べたんだけど……

「藤間さんから、知り合いの店を紹介してもらった。海産物を売ってるところに隣接して建ってるらしい」

へーっ、海産物を売っているのね。そこも覗いてみたいなぁ。

「それって、予約できてるってことか?」

和磨が聞くと、拓海は「微妙だな」と笑って言う。

「それでも、一応僕らが行くことは伝えておいてくれるらしいから……多少優遇してもらえるかもしれない」

「確かに、微妙そうだ。それじゃ、昼飯を食い損ねないように、そろそろ行くか?」

和磨が促してきて、四人は展望台をあとにした。

藤間の口利きは充分に生きていて、彼らは用意してくれていた席にすぐに案内してもらえた。

だが待っている客は多く、とてものんびりしてはいられなかった。

食事を終えて早々に、彼らは店の隣の海産物売り場に足を向けた。

海産物のお店は、潮の匂いに満ちていた。そして売り子たちの威勢のいい声が、購買意欲を掻き立ててくる。

真子も、しっかりのせられてしまう。

「あっ、この干物も、美味しそうですよ」

真子は手に取った干物を、和磨や拓海の抱えたカゴに海産物を入れていった。

「真子、もうこれくらいでいいんじゃないか?」

「でも、奈々ちゃんたちへのお土産にもしたいし」

梅子も、海産物なら絶対喜ぶだろうし……

「和磨さんのご両親やお祖母様にも……あっ、そうだ。大家さんにも……」

お土産をあげたい人が、次から次に思い浮かんできてしまい、こんなものではまだまだ足りない気がする……

「いっそ、ここにあるもの全部買い占めるか?」

笑いながら和磨からからかわれ、真子は顔を赤らめた。

「ご、ごめんなさい。だって……わたし、これまで旅行とかあんまり行ったことなくて……みんなからお土産もらってばかりだったから……」

「真子……」

すぐ側にいた拓海が痛ましげな目をし、さらに父もショックを受けた顔になっている。

どうやらわたし、言葉の選択を間違えたみたい。

「あ……や、やっぱり買い過ぎよね」

真子は、手に取っていたみりん干しを慌てて戻した。

「干物ばかりじゃなくて、色々買ったらどうだ? あっちの方に、ツマミになりそうな、旨そうなのがいっぱいあったぞ。ああいうのなら、俺の親父も好きそうだし、青野さんとかも喜ぶんじゃないか?」

「ほんと? お父さん、行ってみましょうか?」

「あ、ああ、そうだな」

真治は笑みを浮かべて返事をしてくれたが、どことなし表情が暗い。

わたし、お父さんにこんな顔をさせたくて口にしたわけではなかったのになぁ。

自分としては、ようやくみんなにお土産のお返しができると、単純に嬉しかっただけなのだ。

シュンとしつつ、ツマミになりそうな品を選んでいた真子は、和磨が肩に手をかけてきて振り返った。

拓海と真治は、すぐ近くで売り場を回っている。

「真治さん、週末ごとに旅行に行くと言い出さないといいが」

和磨ときたら、そんなことを潜めた声で囁いてくる。

確かに、いまのお父さんは、和磨さんの言うようなことを、本気でやり出しかねない。

「だが、それはそれでいいんじゃないか?」

「もおっ、また、そんな軽く」

「真治さんがそう望むなら、君は気が済むまで付き合ってあげればいい。真治さんの心の空白を埋められるんじゃないか?」

「和磨さんってば……そうかもしれないけど、毎週旅行なんてさすがにありえませんよ」

「そうかな? 俺はそれもありだと思うが」

「本気で言ってますね?」

「もちろんだ。そしてもちろん、俺も必ず同行する。そして……」

にやりと笑った和磨は、慣れた手つきでポケットからデジカメを取り出し、片手で構えてシャッターを押す。

「君の瞬間を、画像に収める」

「わたしばっかりじゃなくて、和磨さんも撮らせてください」

「そうか? なら」

和磨は真子にデジカメを手渡し、スタスタと歩いて行く。

何をするつもりかと見ていると、拓海と真治の間に入って、ふたりの肩にがしっと腕をかけた。

「な、なんだ?」

「和磨、何してる?」

「ほら、あっち。真子が僕らを撮りたいらしくてね」

和磨が戸惑っている拓海と真治に言うと、ふたりはデジカメを持っている真子に向く。

ふたりは揃って眉を上げた。その表情に、真子は笑みを零す。

こうやって見ると、ふたりって似てる。

楽しくなった真子は、デジカメを構え、和磨に肩をがっちり抱えられて苦笑している真治と、和磨にやり返そうとしている拓海を写した。

「いい感じに撮れましたよ」

撮った写真を見て、真子の胸があったかく膨らむ。

真治、拓海、和磨……彼らの人生の瞬間を切り取った、いまだけの一枚。

瞬く間に、過去となっていく瞬間。

時が過ぎ、これらの写真を見て、わたしはどんな思いを抱くのだろう?

「どれ、見せて」

三人はすぐに真子を囲い、デジカメの画面に映っている写真を確認する。

「ふっ、いいじゃないか」

にやついて感想を言う和磨に、拓海が言い返す。

「真子が入らなきゃ、まるきり華がないよ」

「それは言えるな」

和磨が笑って同意し、他のふたりも素敵な笑顔を浮かべる。

真子はすかさず、楽しそうに笑っている三人を写した。





  
inserted by FC2 system