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2 襲撃回避? (真子
十時の休憩のチャイムと重なるように、真子の携帯はブルブルと振動を始めた。
電話ではなく、メールの着信音で、送信者は和磨だった。
メールを開いた真子は、眉をきゅっと寄せてしまう。
(火急の用だ。ただちに、専務室に来い)
か、火急?
動揺した真子は、急いで立ち上がった。
いったい何が起こったっていうの?
まさか、また兄さんが倒れたなんてことじゃないわよね?
真子は専務室まで駆けていき、ノックもせずにドアを開けて部屋に飛び込んだ。
「和磨さん、何があったんですか?」
和磨は専務室の重厚な机の向こうに座っていて、珍しいものを見たかのように目を見張っている。
「和磨さん?」
火急の用だとひとを呼び出しておいて……和磨さん、なんで落ち着き払って座ってるの?
「新記録だぞ。十二秒ジャストだ。真、やればできるじゃないか」
まるで短距離走者が新たな記録を樹立したとでもいうように、和磨は熱心に褒めてくる。
はい?
「……あの、火急って……兄さんが倒れたとかじゃ……?」
戸惑いながら問いかけたら、和磨は立ち上がって、こちらにやってくる。
「いや、そうじゃないんだ。とにかく座ろう」
和磨に促され、真子はソファに座り込んだ。彼女の隣に和磨も座ってくる。
「火急じゃなかったんですか?」
「もちろん火急の用さ。実は祖母が、今日の昼、襲撃を仕掛けて来ようとしているという、確かな情報を得たんだ」
「お祖母様が?」
真子は頭の中で、和磨と同じほどパワーのある長子の顔を思い浮かべた。
「襲撃って、どういうことなんですか?」
「君に会いに来ようとしてる」
「わたしに?」
「実はな。このところ、しつこく連絡が来てたんだ」
「そうだったんですか。なんで言ってくれなかったんですか?」
「ずっと予定が詰まってたからだ。だけど、このことを聞けば、君は、長子さんを優先しようとしただろう」
まあ、それは……
「はい」
頷くと、和磨が苦笑する。
「まあ、そんなことで、自分が出向いて来ることにしたようだ。けど、会社に来られてはさすがに困る」
「それで、どうするつもりなんですか?」
和磨は頷き、真子の手を取る。
「今度の週末、長子さんの家に遊びに行こうかと思うんだが……どうだ?」
「もちろんいいですよ」
長子の家は大好きだ。遊びに行けるのはとても嬉しい。
「よしっ。それじゃ、土曜日の三時くらい行くとするか」
和磨はそう言いながら、携帯を操作し、その携帯を真子に差し出し、そのまま耳に当ててきた。
「えっ?」
「君から伝えた方が、長子さんは喜ぶ」
そ、そんなっ! 和磨さんてば、急すぎる!
大慌てしていると……
「珍しいじゃないの。和磨さん、何か用事?」
つっけんどんな長子の声が聞こえてきた。
すぐさま対応できずに固まっている真子を見て、和磨は愉快そうにしている。
もっ、もうっ! 和磨さんってば……
和磨を睨んでいたら、長子が「ちょっと、和磨さん?」と言う。
「あ、あのぉ」
真子は、おずおずと声をかけてみた。すると長子が沈黙してしまった。
真子は焦って言葉を続ける。
「え、えっと。あの、ま、真子です」
「あ、あら、まあっ! 真子さんなの? 電話してきてくださるなんて。……ごめんなさいね。和磨さんかと思って」
「あ、いいえ」
「なかなかお会いできないのですもの。ねぇ、真子さん、わたしの家に遊びにいらっしゃいな。和磨さんも、あなたが行きたいといえば、きっと行くことに同意するだろうと思うのよ。どうかしら?」
「あっ、はい。実は、遊びにゆきたいなと思って、お電話したんです」
「えっ? ま、まあ、本当に?」
「はい」
「まあ、まあ、そう。いついらっしゃる?」
「あの、土曜日の三時に」
先ほど和磨が言口にしていた言葉を思い出しつつ答えたら、目の前にいる和磨が頷いた。
「三時? それだと夕食を食べて行くわよね?」
夕食?
和磨に目を向けて、彼に夕食の件を伝えようとしたら、長子が気分をハイにしてしゃべりだした。
「そうだわ。いっそ、泊まって行くといいわ。そうしましょう、真子さん。ああ、楽しみだわぁ」
提案してきたはなから決定してしまい、長子は嬉しそうに言う。
「どうした、真子?」
真子の表情の変化を見て、和磨が尋ねてきた。
どう伝えようか困っている間に、長子はさらに話を進める。
「ねぇ、真子さんは、ハーブはお好きかしら?」
「は、はい。ハーブは好きです」
「そう。それじゃ、ハーブをたっぷり使った夕食を用意するわね」
「ありがとうございます」
長子の会話につられてお礼を言ったら、「それじゃ、土曜日に、待ってるわね」と長子は早口に言い、さっさと電話を切ってしまった。
「真子?」
眉をひそめて和磨が呼びかけてきた。
真子は和磨に携帯を返した。
「結局、どういう話になったんだ?」
受け取った携帯をポケットに戻しつつ、和磨が聞いてくる。
「夕食を食べることになって……なんか泊まることになったみたいです」
「泊まる?」
和磨は驚きとともに口にし、それから苦笑いする。
「長子さんの好きに話を決められてしまったな。途中で電話を変わるべきだったな」
「ごめんなさい」
「謝ることはないさ。……泊まることになったが……真子、いいのか?」
「はい。でも、和磨さんのマンションに行けなくなりましたけど……いいですか?」
「マンションには、また日を改めて行けばいいさ」
「それなら……正直、お祖母様のお家に泊まるの、楽しみです」
「そうなのか?」
「はいっ」
「君がいいなら……ああ、そうだ」
和磨が、急に何か思い出したように言う。
なんだろ?
「長子さんは、君に絵のモデルをしてもらいたがってるんだ」
「ええっ! わたしがモデルですか?」
「モデルと言っても、ずっとポーズを取ってなきゃならないわけじゃないはずだ」
「そうなんですか?」
「長子さんは、いつもスケッチブックにラフ画をたくさん描いてから、キャンバスに向かってるからな」
そうなんだ。モデルなんて照れくさいけど……
「わたしなんかで、いいんでしょうか?」
戸惑いつつ言ったら、和磨が笑みを浮かべる。
「長子さんは、君を描きたいのさ」
「でも……わたしなんか描いても……」
「何を言ってる。君は長子さんにとって、特別な存在なんだぞ」
「えっ! わたしが、お祖母様の特別な存在ですか?」
「ようやく手に入った女の子の孫。……まあ、それだけで絵を描きたくなったわけではないだろうがな。長子さんは、描きたいという強い欲求が湧き上がったときにしか絵を描かないのさ。君はその欲求を膨らませてくれる素材だってことだ」
それって、喜んでいいことなのかしら?
「僕も楽しみになったな。絵になった君が」
そう言われて、真子は、これまで見せてもらった長子の絵を思い浮かべた。
どれも個性的なタッチで、斬新な絵だった。
情熱がほとばしるような絵が多かったけど……わたしは、情熱がほとばしるようなモデルじゃないと思うんだけど……
「まあ、とにかく、これでとりあえず長子さんの襲撃は回避できた」
そうだった。お祖母様が会社にやってくるというので、電話することになったんだっけ。
そこで和磨がくっくっと笑い出した。
「和磨さん、急にどうしたんですか?」
「いや……今頃、長子さんは空を飛びそうなほど舞い上がってるだろうと思ってな。買い物籠を肩にひっかけて、魔法のほうきに跨って空を飛んでるかもな」
和磨の愉快な想像に、真子もつられて笑ってしまう。
「本当に魔法のほうきを持っていらっしゃったりして?」
「長子さんなら、ありえるよな?」
真子の方へ身体を傾け、和磨は悪戯っぽく言う。
くすくす笑いながら頷いたら、頭の後ろに手を添えられ、すっと和磨のほうに引き寄せられた。
「和磨……んっ」
すぐさま濃厚なキスへと進みそうになる。
焦った真子は、和磨の胸に両手で思い切り押し返した。
「もおっ、ここは会社なんですよ。場所をわきまえてください」
「今夜が待ち遠しくてならないな」
たしなめる真子の言葉などスルーし、和磨はにやりと笑って言う。
まったくもおっ。
「あの真紅の下着の君が見たいな」
耳に囁かれたその言葉に、真子は下着同様に真っ赤になったのだった。
つづく
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