恋に狂い咲き

 書籍 「恋に狂い咲き2」真治サイドです。
 書籍のP30、「決意を固めて」拓海サイドの、あとのお話になります。


『来客の知らせ』



書斎の椅子に座り、本を開いていた真治は、どうにも活字が意味を持って頭に入って来ず、パタンと閉じた。

ダメだ……まるで集中できない。

昨夜のことだ、飲み会で遅くなるという拓海に話したいことができて、何時くらいに帰ってくるのか聞こうと思い、電話をかけた。

そうしたら、酔っているらしい女性が電話に出て、呂律の回らない話しぶりを笑っていたら、別の女性の声がして……どきりとした。

その声が、似ていたのだ……別れた妻の声に……

声が似ているというだけで、過剰に反応している自分に、苦いものが込み上げた……

『君は?』と問いかけたら、なんと『芳崎』と名乗るではないか。

ぎょっとさせられたせいで、思わず『真澄か?』と、声を荒らげてしまった。

それがまさか、娘の真子だったとは……

真澄にはもう会いたくない。理性がそう主張する一方で、会いたい! と、心が叫ぶ。

やれやれ……

真治は疲れた息を吐き、手のひらで顔を拭うようにして椅子に凭れた。

夕べ、帰ってきた拓海を玄関で待ち構え、この書斎に引っ張り込んで質問攻めにした。

どうして真子が、拓海と一緒にいたのか?

だいたい、拓海は妹の存在を知らなかったはずなのだ。

どうやって知ったのか問い詰めたが、拓海は口を噤んでしまい、どうしても話してくれなかった。

だが、とにかく真子の存在を知った拓海は、真治の会社を辞め、真子の勤める会社に就職したのだ。

転職の理由として、拓海は社会勉強がしたいと言った。

そんなことができるのも若いうちだけだからなどと、もっともなことを言って……

だが、なぜ、いまの会社を選んだのか、理由がよくわからなかったのだが……

これで、ようやく納得できた。

拓海が転職して、すでに半年が経つ。

ずっと黙っていたことは面白くなかったが、妹がいることを秘密にしていたのは、この自分だ。

それから、真子の話をあれこれと聞いた。

拓海との会話、職場での様子、仕事ぶり……

いくら聞いても、もっと聞きたくなって……

それでも、会いたいとは口にしなかった。

真子に会えば、いまとは違う苦しみを背負うことになる気がする。

真澄の話は聞きたくないが、真子と会えば当然のように真澄の話が出るに決まっている。

なにより、真治は真子を自分の手元に置きたくなるだろう。

真澄から無理やりにでも引き離して……

真澄や真子と関われば、自分は鬼になる気がする。

だから会わないほうがいいのだ。

だが、真治のそんな思いを知らない拓海は、『真子に会いたいだろ?』と聞いてきた。

即座に、『会わないほうがいい』と言うはずだったのに……真治は、ただ黙り込んだ。

あんな反応をしては、会いたいのだと思われただろう。

実際、会いたくてたまらない。真澄にも……

口の中に嫌な味が広がり、真治は顔を歪めた。

いま自分は、悪鬼のような顔をしているんじゃないだろうか?

真治が両手で顔を覆ったそのとき、ノックの音がした。

「父さん」

「なんだ?」

「開けるよ?」

返事をする前にドアが開けられた。

真治は内心焦りつつ、落ち着き払った表情を取り繕う。

「……真子が来るよ」

「え?」

「さっき電話したら……これから父さんに会いに来るって」

心臓が早鐘を打ち始めた。

『断わってくれ』という言葉が、口の中から飛び出そうになるのをぐっと堪える。

「もうそろそろ着くんじゃないかと思うよ」

「急……だな」

「……あ、ん」

拓海は困ったように口ごもる。

「拓海」

「何?」

「その……会わないほうがいいんじゃないかと、思うんだが」

「えっ? どうして? 父さん、真子に会いたいだろう?」

「……ああ。だから困るんだ」

「困る? なんで?」

「手元に置きたくなるからだ。無理やりにでも……」

「父さんは、そんなことしないだろうけど……」

「いや。私は自分に自信がもてない」

「……あ、あの……あのさ、実は真子はひとりで来るんじゃないんだ」

その言葉に真治は腰が抜けそうになった。

座っていたから息子に無様なところを見せずにすんだが、息が止まった。

「僕の、新しい上司と一緒で」

は?

拓海の新しい上司?

真澄ではないのか?

「……拓海」

「うん? 何?」

父親に与えた衝撃も知らず、拓海は普通に返事をする。

気が抜けた。

「いや……だが、お前の上司が、どういうわけで、真子と連れだってここに来るんだ?」

「それが……真子は、彼と付き合ってるんだ」

面白くなさそうに口にされ、真治はぽかんとする。

「そうなのか?」

「ああ。知らない間にくっ付いてて……」

面白くなさそうに言う拓海に、笑いが込み上げた。その事実がひどく気に食わないらしい。

真澄がここに来るわけでないとわかり、真治の心に余裕が生まれた。

それに、真子ひとりでなく、真子の付き合っている相手が一緒に来るのであれば、冷静でいられそうだ。

しかし、そうか……

ここに一緒に来るということは、もうその相手と結婚の約束もしているに違いない。

新しい上司のことは、拓海からすでに色々と聞かされている。

高杉という名で、『改造企画部』という部署を立ち上げ、問題だらけの社内を、精力的に改造しているという。

拓海はずいぶんと褒めていたが……

こいつが認めるような男であれば、娘の相手として不足はないということになる。

まだ会ったことのない娘だが、それでも血の繋がりなのか、娘の行く末が明るいとわかり、ほっとしてしまう。

それにしても、そうか……真子が結婚すれば、もう母方の芳崎姓ではなく別の苗字に変わることになる……

うん?

真治は眉をひそめた。

いまのいままで気づかなかったが、どうして真子は芳崎姓を名乗っているのだ?

どうして真澄の再婚相手の苗字を名乗らなかったのか?

真澄の妹の凜子の差し金だろうか?

あの勝気な性分だ。いまだに未婚である可能性は高い。

将来、芳崎姓を継ぐ者が欲しいとか言い出して……

「ねぇ、父さん」

「なんだ?」

「母さんには妹がいたんだね?」

「あ、ああ」

真治は気まずく思いながら、肯定した。

「……拓海、お前……」

そう口にする自分に、真治は焦った。

ダメだ、口にするな……

「うん?」

自分を止めようとするのに、言葉は転がり出た。

「……真澄とは……会ったのか?」

拓海が表情を消した。真治を見つめているが、動揺しているのがわかる。

「そうか……会ったんだな」

「いや!」

鋭い声で拓海は否定した。

「拓海?」

拓海は目を泳がせ、視線を落とす。

「拓海、別に誤魔化す必要はないんだぞ」

「いや……違う……そうじゃないんだ……そうじゃ……」

切れ切れに口にする拓海は、大きく息を吐き、苛立たしげに頭を掻く。

様子のおかしい拓海に、真治は眉を寄せた。

「いったい、どうした?」

「僕は……あの、真子たちが来たら、居間で話すよね?」

拓海があからさまに話を逸らしたせいで、何を言おうとしたのか気になる。

「あ、ああ、そうだな」

拓海を問い詰めてみようとしたそのとき、来客を知らせる音が鳴り響いた。

ドキリとする。

「もう、来たのか?」

落ち着かなくなった真治が腰を浮かしかけたところで、拓海が飛ぶように立ち上がった。

「しまった!」

「ど、どうしたんだ?」

「梅さんにまだ知らせてなかった。ちょっと行ってくる」

「た、拓海!」

真治は立ち上がって呼びかけたが、すでに拓海はドアから出たあとだった。

「ほんとに来たのか? 真子なのか?」

まだ開いていたドアに向かって声をかけたが、バタバタと駆けていく足音が聞える。

すぐに後を追うつもりが、真治はその場から踏み出せなかった。

自分の足を見下ろすと、滑稽なことに膝が小刻みに震えていた。





 
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