|
『決意を固めて』
「ああ、くそっ、参ったな」
身を投げ出すようにして、拓海はベッドに寝転がった。
眉間には、彼のいまの心境をありありと物語る縦皺が寄っている。
真子に、母さんが亡くなったことを父さんに話すと言ってしまったのに……
結局、口にできないままだ。
ここまできたら、もう事実をありのまま話すしかないというのに……
だが、父を前にすると、どうしても口にできない。
昨日、家に帰り着いた瞬間から、拓海の帰りをいまかいまかと待っていた父の質問攻めにあった。もちろん、そうなるだろうと予想していたことだが……
「はあっ」
疲れの滲むため息をついた拓海は、妹の真子のことを考えた。
にっちもさっちもいかない状況になっていたからな……
実の兄だということが真子にバレて、ほっとしてもいるのだ。
昨日、職場の親しい者達で飲み会をした。拓海の送別会も兼ねたもので……
実は、新しい部署が立ち上げられることになり、それにともなって人事異動が行われたのだ。
拓海もその中のひとりで、『改造企画部』という部署に異動となった。
さらに、秘書課が解散となり、秘書職であったふたり――新山と深田が拓海の抜けた穴埋めに、システム部に異動となった。
そのふたりも含め、歓送迎会をやってくれたのだ。
もちろん真子も参加していて……
間の悪いことに、拓海が少し席を外している間に、父から電話がかかってきたのだ。
それを、こともあろうに真子が受けてしまって……
席に戻り、自分の携帯を真子が手にしているのを見て戸惑い……拓海以上に戸惑い顔をしている真子に、どきりとした。
携帯に出てみたら……
『拓海、どういうことだ!』
と父の声がして……
正直、追い詰められた気分で眩暈がした。
『いまのは本当に真子なのか?』
『どうしてあの子がお前といる?』
『そこに真澄もいるのか?』
そう矢継ぎ早に問い詰められた。
母さんはいないと言うと、真子に代わってくれと言われたが……
もちろん事情を何も知らない真子に代われるわけがない。
どうしようもなくて、強制的に通話を打ち切った。
あのときは、進退窮まった気分だったが……あんな事態にならない限り、自分はずるずると同じ状況を続けていたに違いない。
事態が動いてよかったと、もちろん思っている。
あとは……
母が亡くなったことを父に伝える……だけ……
「だが、それが難しいんだろ!」
拓海は思わず怒鳴った。
父はいまだに母を愛している。
離婚に至った経緯について口を噤んだままの真治が、どんな過去を抱え、いま真澄に対してどんな思いを抱いているかはわからないとしても、それだけは確かなことだ。
「もう十年以上も前に亡くなっていたなんて……言えやしない」
だが、父に伝えると真子に言ってしまった。
伝えなければ嘘をついたことになる。
言うしかないんだ。
それが現実なんだから……
昨夜の真治とのやりとりを思い返し、暗い気分になる。
父さん……母さんのことを一言も口にしなかったんだよな。
真子のことばかり、夢中になって聞いてきて……
それだから、真澄が亡くなっていることを切り出せないままになってしまったのだ。
母さんについて聞かれたら、亡くなっていることを告げようと思っていたのに……
父さん、母さんは再婚していると思っているからな。
それで話題にしなかったのだろう。
再婚なんかしていなかったのに……
なぜ真治が、真澄は再婚していると思い込んでいたのか、拓海にはわからない。
拓海は真子の身元を調べるために調査を依頼し、その結果、真澄は再婚していなかったという事実を知ったのだ。
父さん、その事実を知ったら喜ぶんだろうな。
けど、亡くなっていることを伝えるより先に、その情報を伝えることはできない。
……でも、父さんのこの思い違いは、早く正してやりたいのにな。
そう思うと、もどかしさが込み上げて仕方ない。
真治はいまも、真澄は再婚相手と、そして真子も一緒に暮らしていると思い込んでいる。
それにしても、父さんときたら……真子の存在を知っていて、僕にずっと内緒にしていたなんて。
妹がいるという事実を知ったときは、それはもう衝撃を受けた。
寝転がったままだった拓海は身体を起こし、ベッドに腰かけた。
こんなところでいつまでも転がっていても、事態は進展しない。
どうしたって、父と向き合わなければならないのだ。
真澄が亡くなった事実だけ伝えられれば、あとは簡単だ。
真子と会わせて、この家で一緒に暮らす。
そうしたら、真子がいずれ結婚して嫁ぐまでは……
そう考えた瞬間、拓海は思い出した。
そうだった!
やつがいたんだった!
まさか、あんな男が現れるとは……
くそっ!
大事な妹に、変な虫がつかないように、注意を張り巡らしていたというのに……
拓海の目をかいくぐり、いつの間にやらあんな男と付き合っていたとは……
朝見和磨……ついこの前、専務として赴任してきた男だ。
そして『改造企画部』という部署を立ち上げ、いまは拓海の上司。
しかも、会社の頂点に立つ朝見会長の息子、朝見グループの御曹司だったのだ。
上司としての仕事ぶりは尊敬できる。
会長の息子だからといって優遇されて専務職についているわけではない、優れた能力がある。
しかし、食えない男だ。
しかも、年齢は三十三。真子より十も年上……
結婚していてもおかしくない年齢だ。
まさか不倫なんてことはないだろうな?
もしそうなら、ただじゃおかない!
あー、なんでもっと早く気づかなかったんだろうな?
いや、それより、真子にさっさと兄だと名乗ればよかった。
兄という立場でなら、もっとガードを強くできたのに……
だが、そんなことで、あの男を追い払えたと思うか?
自分の問いに、拓海はムシャクシャした。
くそーっ!
御曹司という立場や、年の差とかは関係のない、歴然とした力の差を強烈に感じる。
もう諦めるよりないのか?
同棲しているとかぬかしていたが、あれは本当なのだろうか?
気になって仕方がないものの、真子には尋ねられなかった。
もし同棲しているのなら、真子はこれまで住んでいたワンルームから、専務の住まいに引っ越しているはずだ。
同棲しているのかとは聞きづらいが、いまどんなところに住んでいるのかと、さりげなく聞いてみようか?
ワンルームだと答えてくれれば、同棲はしていないことになる。
まあ、誰と付き合っていようが、真子は僕の妹だ。
父にすべてを打ち明けさえしたら、当然真子とここで暮らせるようになる。
そのとき、ドアをノックする音が聞こえた。
「坊ちゃん、お昼ご飯ができておりますよ」
ああ、もうそんな時間なのか……
「すぐ行くよ」
拓海の返事に、ドアの前から梅子の足音が遠ざかっていく。
よし! 昼食のあと、話すことにしよう。
決意を固めて立ち上がった拓海は、勇むように部屋を出たのだった。
|
|