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『記憶のメロディ』
「様子を見に行ってみようかな」
沈黙の間が持たず、拓海は独り言のように呟いた。
昼下がりの午後、温かな日差しが差す、拓海には馴染みの部屋……なのにどうにも落ち着かない。
いま、拓海の目の前には和磨がいる。
同じ空間にいるというのに、この男は、己だけの亜空間を創り上げてでもいるようだ。
たぶん、拓海の存在などまったく意識にない。
その和磨が思いついたように腕を伸ばし、テーブルの上に置かれたカップを取り上げた。
そして静かに、コーヒーを口に含む。
細められた目に、満足そうな光が浮かぶ。
和磨はカップをテーブルに戻すと、また先ほどと同じように、くつろいだ様子で亜空間に浸りこんだ。
どうしてこの男は、腹が立つほどに、姿もその仕草も絵になるのだ。
それにしても、今日はずいぶんと印象が違う。
服装のせいか? スーツじゃないから……
それに眼鏡もかけていないから、とても若く見える。
しかし、このひょうひょうとした態度、なんとも癇に障るな。
「この場に、自分の他にも人がいて、そいつが口にしたことに対して、なんらかの反応をしようとか思わないわけですか?」
ムシャクシャして、拓海は和磨に文句を並べたてた。
「反応してほしかったのか?」
まるで子どもを相手にしたような返しに、カチンときた。
「ほしいとかほしくないとかじゃなくてですね……」
言い訳がましく口にしながら、自分の分の悪さに舌打ちしたくなる。
「他人への思いやりを、貴方に求めても無駄でしたね」
口にして、また後悔する。
これじゃ完全にいちゃもんだ。
落ち着かない気持ちを目の前にいる和磨にぶつけているだけ……
僕ときたら、未熟なガキそのものじゃないか。
「思いやり? 私に、君が?」
「別に、貴方に求めたわけじゃありませんよ」
自分の口にしている言葉も思考も、収拾がつかなくなっているようだと思えたが、いまの拓海は正論を語れるほど冷静でいられない。
「どうやら、君はいま、かなり混乱しているようだ。無理もないが……」
その言葉に、拓海はカッとした。
「貴方にとっては他人事でしょうからね!」
ひどく責めるような叫びになってしまった。
拓海は心の中で唸った。
僕は何を言ってるんだ?
そんな風には、決して思っていないのに……
「すみません」
悔いを感じて謝罪したら、和磨は小さく肩を竦めた。
「いや……それより、どうして君はふたりのところにさっさと行かないんだ?」
少し不思議そうに問われて、拓海はむっとした。
拓海は額に手を当て、心を落ち着かせようと目を瞑った。
なんとなくわかってきた。
らしくなく、自分がこんなにも苛立つ原因……
それはこの男が、予想の範囲の答えを返さないからだ。
直球で投げたボールを受け止め、いちいち変化球で投げ返されている。
そのことに和磨本人が気づいていないことで、さらに投げ返された人間の苛立ちは募るのかもしれない。
しかし、前に和磨が口にした、真子と同棲しているというのは本当のことなのか?
あのときの会話を思い出すにつけ、事実であるように思えてくるわけで……
くそっ。
真子がこいつと同棲しているとか、そんな真実は知りたくもない。
和磨がいくら同棲していると言っても、僕は信じようとはしないだろうから、彼に聞いても意味はない。
やはり、真子にそれとなく聞くしかないな。
「あ……」
和磨が何かに気づいたかのように声を上げ、拓海は和磨を見つめた。
「どうしたんですか?」
「真子が……歌を口ずさんでる」
拓海は眉を寄せ、耳を澄ませた。
和磨の言う声を聞き取り、ハッと息を呑む。
こ、これは……
「ふーん、うまいな。心が安らぐような歌声だ。真治さんは、まだ目を覚ましておられないようだな」
拓海は、和磨の言葉を話し半分で聞いていた。
この歌は記憶にある……
歌詞など覚えていない。
けれど、このメロディーは頭の芯にこびりついている。
微かなメロディーは、拓海に安らぎと切なさを抱かせた。
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