恋にまっしぐら

続編
第1話 いっぱいの好き



「どうぞ」

ひとつのドアの前で、聡の母ゆり子は振り返って亜衣莉に言った。

パーティー会場へゆくものと思っていたのに…

「あ…あの?」

戸惑っている亜衣莉を安心させようとしてか、ゆり子はゆったりとした笑みを浮かべた。

「ここは聡さんの部屋よ。さあ、入って」

ドアが開けられ、ゆり子は亜衣莉が入りやすいように脇にどき、彼女を中へと促した。

亜衣莉は、おずおずと中へ入った。

唖然とするほど、大きな部屋だった。

手を触れるのがためらわれるほど、高級そうな調度品で埋まっている。

これが聡さんの部屋?
なのにベッドはここにはなく、寝室はまた別なのだと分かる。

「いま、聡さんを呼んで来ますからね…」

ゆり子の言葉に、緊張した視線を部屋にさ迷わせていた亜衣莉は、心臓を跳ねさせて聡の母に向いた。

「は、はい」

思わずそう答えたものの、亜衣莉は慌てた。

「で、でも、いま、パーティーに参加していらっしゃるのでは?」

「ええ、そうだけど…」

「わ、わたし、終わるまで、ま、待って…」

亜衣莉は、自分の言葉に自信が持てないことに気づいて言葉を止めた。

待つの?ずっと…ここで?け、けど…

どう考えても、彼女は帰ったほうが良いのではないだろうか?

「さ、聡さんのお邪魔になりたくないですし…あの、やっぱり帰ります」

「聡さんは、あなたを邪魔だと思うと?」

「そ、そんなことは…ただ、わ、わたしが…」

「邪魔者になりたくない?」

ひどくいたたまれない気分だった。

「…はい」

亜衣莉は、ゆり子のまっすぐな視線を受け止めていられず、目を逸らしながら蚊の鳴くような声で答えた。

聡の母はとてもやさしいのに、彼女は萎縮した心をゆるめられない。

「ともかく私は聡さんを呼んできましょう」

ゆり子はそう静かに言うと、ドアに歩み寄り、最後にあたたかな笑みを浮かべて出て行った。

突然ひとりになり、亜衣莉は静まり返った空間に怯えを感じた。

亜衣莉を受け入れない部屋…いや、彼女が受け入れられない部屋と言ったほうが正しいのか?

部屋のほぼ中央に立っていた亜衣莉は、周りを見ずに、家具などにも触れないよう、そっと歩を進めた。

窓から外を確認してみたかった。

外に飛び出したいという意識の現れかもしれない。

屋敷の庭は、もちろん入ってきた時に見たと同じ景色が広がっていた。

庭中に車が駐車してある。それも高級そうな車ばかり…

これだけの客がパーティーに呼ばれているのだ。

規模の大きさに眩暈がした。

亜衣莉は手にしている聡への贈り物をぎゅっと胸に抱きしめた。

惨めさが湧いた。自分がひどく愚かに思えてならない。

わたしは、こんなところで何をやっているのだろう?
なぜ、こんな場所にいるのだろう?

呼ばれてもいないのに…

亜衣莉は泣きそうになった。

気持ちはドアから飛び出て、この屋敷から逃げ出すことばかり考えている。
なのに、それすら行動に移せない。

聡に迷惑がられたら…自分はどうしたらいいのだろう…

招待状など渡していないのに、どうしてのこのここんなところにやって来たのだなんて思われたら…

聡のことを思い浮かべた亜衣莉は、後ろめたさに囚われて痛いほど唇を噛んだ。

彼は、そんなひと?

厳しい問い掛けを自分から食らい、亜衣莉は顔を歪めた。

胸がひどく痛かった。

涙が零れた。

自分が嫌で嫌でたまらなかった。

彼女は聡を信じ切れていない。だから、こんな不安に駆られるのだ。





コンコンと、ドアを叩く音に、亜衣莉の全身が強張った。

聡だろうか?

「は…い」

緊張からちっとも声が出ない。

「僕だよ、聡だ」

「聡さん」

やさしい呼びかけに、亜衣莉は泣きそうな声になりながら、彼の名を呼んでいた。

ドアが開き、聡が入ってきた。

「ごめんなさい。招待状もいただいていないのに、行くのは失礼な事だって言ったのだけど…ふたりがどうしてもってきかなくて…」

知らぬ間にぽろぽろと言葉が流れ出た。

まるで言い訳しているような内容で、情けなくて止めようと思うのに止められなかった。

「いや。僕の方こそ、君を招くべきだったと後悔してたんだ。来てくれて嬉しいよ。亜衣莉」

ほ、本当だろうか?

「あの、ほんとに?」

亜衣莉は身を固くしたまま、聡の本意を知りたくて、彼の瞳を覗き込んだ。

「迷惑じゃなかった…?」

滑稽なほど言葉が震えた。

聡の腕が伸びてきたと思った瞬間、亜衣莉は彼の腕に抱かれていた。

彼の身体を肌で感じているうちに、彼女の不安は少しずつ消えてゆくようだった。

彼女は聡の身体の小刻みな震えに気づき、驚きとともに顔を上げた。

「聡さん?あの、どうしたんですか?」

「君を失う夢を見たんだ」

彼のその声までも震えていた。

「わたしを失う夢?」

「ああ。目の前が真っ暗になった。あまりにリアルで…」

聡はそこまで早口に言い、大きく喘いでまた言葉を続けた。

「胸がつぶれそうに痛かった」

聡の頬に涙が伝い、亜衣莉は驚きに目を見開いた。

「わたしは、ここにいます」

思わず叫ぶように言い、亜衣莉は聡の頬の涙を、震える指先でそっと拭った。

亜衣莉の存在を確かめるように、聡は彼女の手に自分の手を重ね、ひととき固く目を閉じた。

彼女の手を痛いほど強く握り締め、聡は亜衣莉の瞳を見つめながら、ふたりの唇を触れ合わせた。





止むことなく繰り返される口づけのせいで、ぼおっとしていた亜衣莉は、いつの間にか聡と並んでソファに座っている自分に気づいた。

聡の胸に寄り添っている亜衣莉の頭は、彼の腕で、守るように包まれている。

「亜衣莉」

「は、はい」

急に呼びかけられ、亜衣莉は反射的に姿勢を正そうとしたが、聡の腕に抱かれている状態で姿勢を正すなんて無理なことだった。

「亜衣莉?」

先ほどのは呼びかけだったが、今度は問うような響きだった。

「はい。な、なんですか?」

亜衣莉の返事に、聡は困ったような苦笑いを浮かべた。

「あ、あの?」

「いや。…ジェイと星崎君は?」

「は、はい。あの…ジェイのお母様から電話があって…日本にいらしたとかってことでした」

「セリアが?それでふたりはセリアのところに行ったのか?」

「そうだと思います。ここに来てすぐで、一緒にいてくれるって言ってたのに…なんだかもうわけのわからないうちに、ふたりともいなくなっちゃって…」

口惜しさがいまさら湧いてきて、亜衣莉は唇を噛み締めた。

「心細かったんだね?」

亜衣莉は、顔を赤らめて素直に頷いた。

「あの…」

「なんだい?」

「わたし…」

「亜衣莉?」

「わたし…聡さんがこんなに大きなお宅の…その…ひとだなんて…知らなくて」

「それはそうだな。まだ話していなかったから」

聡はなんでもないことのように言った。

「わたしは…ふさわしくないです」

「どういう意味かな?」

「そのままの意味です。わたしは…わたしは…」

「君は?」

彼女の言っている意味は分かっているはずなのに、意地悪のように聞き返してくる聡に、亜衣莉は泣きたくなった。

「亜衣莉、ここは僕の家だ。僕は伊坂の長男として生まれた。…それは変えられない事実だ。けど、それがなんだ?ふさわしいとかふさわしくないとか…僕は君にふさわしくないと言われて…どうすればいい?」

「ち、違います。聡さんがわたしにふさわしくないんじゃなくて、わたしが…」

「一緒のことだろ!」

瞳に怒りを滲ませて、聡は鋭く言った。

彼の怒りに触れ、亜衣莉は身を強張らせた。

聡はため息をつき、怒りを向けたことの謝罪に「ごめん」と言い、もどかしそうに彼女の肩を抱いてゆすった。

「亜衣莉…僕が愛する君は、ここにひとりしかいない。君に、自分はふさわしくないと拒否されて…僕はどうすればいい?」

彼女は顔を覆って泣き出した。

そんな亜衣莉を、聡は痛いほど力強く抱きしめてきた。

「君に告白するのに、僕がどれほど勇気を振り絞ったか、君に分かるかい?」

亜衣莉は顔を覆っていた手を外し、腿に置いた自分の手をじっと見つめた。

「僕は、軽い気持ちで愛しているなどと言わない。亜衣莉、君は僕の気持ちを受け取ってくれたのじゃなかったのか?」

「ご、ごめんなさい」

亜衣莉がそう言葉にした途端、聡の腕にぐっと力がこもった。

「それはどういう意味の謝罪だ?」

聡の考えていることが分かり、亜衣莉は驚いて首を横に振った。

「ち、違うの。わたし…聡さんの気持ちを信じきれてなかった。…だから、ここに取り残されて、ひどく恐くて…」

「いまは?」

聡は亜衣莉の身体を離し、顔を覗き込んできた。

「亜衣莉?」

「わたしで…わたしなんかで、いいんですか?ほんとうに?」

「君は?君の気持ちを聞かせてくれ」

亜衣莉は思わず顔を伏せたが、聡は彼女の顔に手を掛けて自分に向かせた。

「僕の目を見て…亜衣莉」

「す、好きです」

その言葉を口にするのは、顔から火を吹きそうなほど恥ずかしかった。

「どのくらい?」

「あ、あの、いっぱい…」

「いっぱい?」

聡の声にからかいが含まれているのを聞き取り、むっとした亜衣莉は頬を小さく膨らませてそっぽを向いた。

「もう知りません」

くすくす笑う聡の声…亜衣莉の心は嬉しさに震えた。





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恋愛遊牧民G様
  
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