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その4 もっと感謝の必要性
食料調達に聡が向かったのは、家の厨房だった。
パーティ会場でも好きなほど食べ物は手に入れられるが、あそこには大量の人間がいる。
声をかけられたくない相手も大勢いるわけだ。
「さ、聡様」
ひょっこり顔を出したこの家の長男に気づき、ひとりのスタッフがぎょっとしたように叫んだ。
パーティの料理を作るのにてんてこ舞いしているスタッフのほぼ全員が振り返ってきた。
「ど、どうなさいました?」
焦ったように駆け寄ってきたのは、厨房の料理長だった。
「二人分の料理が欲しくて来たんだが、用意してもらえるかな?」
「ふ、二人分でございますか?」
「ああ」
詳しい説明をする気にはなれず、聡は返事だけ返した。
「忙しいのはわかるんだが…早めに用意してもらえるかい?」
「は、はい。…どのような料理を用意すればよろしいでしょうか?」
料理長は、困惑したように聞き返してくる。
「そこらにあるものを皿に…」
大皿に見事に盛り付けられた料理を見て口にしていた聡は、途中で言葉を止めた。
ここから二人分取ってしまったら、見事な盛り付けが台無しになってしまうだろう。
「そうか…ここから取ってしまったら、会場に持って行けなくなるな」
「は、はあ」
申し訳無さそうに料理長は返事をする。
「仕方がない。会場に行って集めてくるとしよう」
「それでしたら、聡様、私が」
「うん?」
「五分ほどお待ち下さい。私の方でお二人分ご用意します」
嬉しい申し出ではあるが…
「だが、料理長の君が行っては…目立つと思うが?」
料理長は聡の言葉に、確かにそうかと思ったのか、周囲に視線を向け、料理を運ぶ役目の黒服のスタッフを呼びつけた。
「君と君に頼もう。誰かトレーと皿を用意しろ」
料理長の言葉に、スタッフは即座に動いた。
空の皿が載せられたトレーは、黒服のスタッフふたりに渡された。
「聡様、どのような種類の料理がよいかの、ご要望などは?」
「そうだな。ローストビーフとか、白身魚…添えの野菜もたっぷり頼む。それと、フルーツがたくさん盛り付けられたケーキなんか喜びそうだな」
「フルーツケーキでございますね。…頭に入れたか?」
「はい」
「それでは、行ってきますので」
黒服たちは、少し緊張した面持ちで、厨房から並んで出て行った。
「聡様、お飲み物などは?」
「紅茶にしよう。大き目のポットに入れてくれ。砂糖も頼む」
そうだ。冷たい飲み物も亜衣莉は喜ぶかもしれない。
「良く冷えたフルーツジュースも持ってゆこう」
「わかりました」
フォークやナイフが用意され、聡のリクエストどおり紅茶が淹れられた大き目のポットも用意された。
「私は料理が来るまでここで待たせてもらうが、私に構わず仕事をしてくれ」
自分に付き合ってくれている料理長に聡は言った。
「は、はい。あの聡様、もしよろしければフルーツパフェや、チョコレートパフェなどもお作りいたしますが…女性の方は、とても喜ばれるかと…」
確かに、フルーツパフェは亜衣莉の大好物のようだ。
一瞬頷こうとした聡だが、すぐに考え直した。
料理の量も多いはずだし、小食の亜衣莉はとても食べられないだろう。
それに、この屋敷は居心地が悪いようだし…いつもの半分も食べてはくれそうにない。
聡は、顔をしかめた。
いっそのこと、ふたつきの容器にでも詰めてもらって、亜衣莉の家で食べたほうが良かっただろうか?
「あの、聡様、どうかなさいましたか?」
「いや」
迷いつつ返事をし、聡はまた考え込んだ。
亜衣莉には、この屋敷に少しずつでも慣れていって欲しい。
彼女の家でばかり過ごしていては、亜衣莉は安心できるし心地よいだろうが、いつまでたっても、彼女はこの屋敷を受け入れられないだろう。
それでは、さすがに困る。
聡はこの家の長男だ。
いずれ彼と結婚すれば、おのずと彼女はこの屋敷で暮らすことになるのだ。
「フルーツパフェ、作ってくれるかい? そうだな、三十分後くらいに私の部屋に届けてくれ」
きっと彼女は喜ぶはずだ。喜ぶ顔がみたい。
食べ切れなかったら、そのときは…甘いものは少々苦手だが…彼が食べてやればいい。
「かしこまりました」
ずいぶんと嬉しげに料理長は答えて頭を下げ、さっそくフルーツパフェ作りに取りかかったようだった。
そうこうしている間に、料理が届いた。
結局、トレーは四つにもなり、聡は三人のスタッフを後ろに従えて、自分の部屋に戻ることになってしまった。
聡にトレーを持たせるわけには行かないと、料理長はわけのわからないことを言って聞かなかったが、聡は譲らず、トレーのひとつを断固として抱えた。
スタッフたちに全部運ばせて、自分は手ぶらで戻ったりしたら、亜衣莉はいい印象を持たないだろうと思える。
厨房を出て、階段に向かっている途中、数人の者達とすれ違った。
スタッフもいれば、客もいて、料理を盛ったトレーを抱えている聡と、後ろに従えているスタッフを見て、何事かという目を向けてくる。
親しい者と会わないうちにと、足を速めて階段までゆき、急いで二階に上がった。
自分の部屋の近くまで来て、聡は迷った。
スタッフに、中にいる亜衣莉と会わせていいものだろうか?
もちろん、これから彼女は聡の未来の妻として、みなと会うことになる。
だが、いまの亜衣莉は…嫌がるのではないだろうか?
それに、亜衣莉は聡ひとりで戻るものと思っているに違いない。
スタッフがぞろぞろ入ってきたりしたら、当然びっくりするだろう。
そうだ。書斎にしよう。書斎にも、テーブルとソファがある。
そう決めて、聡は後ろのスタッフに振り返った。
「なるべく音を立てないように頼む」
彼らに告げ、聡はトレーを片手で支えながら、書斎のドアを開けた。
聡に命じられたとおり、スタッフは極力音を立てないように注意しつつ、テーブルの上に料理をセッティングし始めた。
だが、テーブルは横幅は広いが縦に狭く、思ったように並べられないでいる。
「向かい合わせでなくていい、横に並べてくれ」
聡は声を抑えて言った。
スタッフは頷き、またたく間に作業を終えた。
彼らが部屋から下がり、聡は亜衣莉がいる部屋と繋がっているドアに歩み寄った。
一度振り返り、テーブルの上の料理を確認してから、ドアをそっとノックした。
「亜衣莉」
「…は、はい」
少し間を開けて、亜衣莉の返事が聞こえた。
こちら側から聡がくるとは思っていなかったのだろう。
ドアを開け、顔を覗かせると、部屋の中央で固まっている亜衣莉がいた。
もちろん、聡から亜衣莉のことを頼まれたハナも一緒だ。
亜衣莉の胸に、おとなしく抱かれている。
「ハナ、ありがとう。助かったよ」
ハナの性格を考慮し、聡はまずハナをねぎらった。
ハナは、くいっと鼻を上に向け、「にゃん」と答えた。
「亜衣莉」
聡は彼女に呼びかけながら歩み寄った。
「待たせ過ぎたかな?」
「あ、い、いえ。そ、それほどでも、な、ないかも」
そのしどろもどろの返事で、ハナがいるとはいえ、聡がなかなか戻って来ないことに気を揉んでいたのだとわかる。
「これでも急いだんだが」
聡はハナごと亜衣莉を抱きしめた。
その瞬間、ハナはぴょんと飛んで床に着地した。
「にゃお、にゃおん?」
亜衣莉を抱きしめて至福を感じているというのに、ハナは聡のズボンの裾を、何かを催促するかのように何度も前足で突いてくる。
聡は仕方なく、亜衣莉を抱きしめたまま、床に視線を落とした。
「ハナ、なんだい?」
すでに役目は終えたし、気まぐれなハナだから、すぐに去るかと思ったのに…
彼と目を合わせたハナは、パッとドアの前に移動した。
いま、聡が入ってきたドアのほうだ。
早く食事しろってことか?
まあ、亜衣莉もお腹が空いているだろうし、料理が温かいうちに食べたほうがいいだろう。
亜衣莉は喜んでくれるだろうか?
「それじゃ、亜衣莉?」
「向うにあるんですか?」
「ああ」
書斎の中へと入った亜衣莉は、目を丸くしてテーブルの上の料理を見つめた。
「食べようか? 君の好物があるといいけど…」
椅子に座るように彼女を促しているところに、ハナが駆け寄ってきた。
「にゃにゃにゃにゃにゃ」
にゃの連発だ。
どうもこの目つき、顔つき、怒っているように思えるが…
いったい何が気に入らないのか、彼には見当がつかない。
「ハナ、どうしたんだ?」
「あの聡さん」
「うん?」
「たぶん、ハナちゃん、自分のご飯がないって言ってるんじゃないかと思うんですけど」
亜衣莉の言葉に、聡は顔をしかめた。
きっとそうに違いない。
「すまないハナ。君の分もすぐに頼もう」
ハナを相手にするときは、うまく立ち回る必要があるというのに…
機嫌を損ねたら、テーブルの上の料理を一瞬にして台無しにする可能性は充分にある。
聡は慌てて厨房に電話をかけ、ハナの分の食事を頼んだ。
ほっとして受話器を置いた聡は、くすくす笑う声が聞こえるのに気づき、顔を向けた。
なんと亜衣莉が、手で口を押さえて笑いこけている。
慌てふためいた聡がおかしかったからだろうが…
彼女のくったくのない笑い顔に、聡は心からの安堵を覚えた。
どうやら彼は、ハナに対して、もっと感謝する必要がありそうだった。
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