恋にまっしぐら
その14 心を占めるもの



自宅の書斎。
携帯を手にしたまま、聡は椅子に凭れ目を閉じていた。

亜衣莉は彼の言葉が終わる前に、わざと電話を切った。それがはっきりと分かった。
あまりに強引な行動を取りすぎて、彼女に嫌われたのだろうか?

いったい自分は何をやっているのだろう?

ただ、亜衣莉のことが心配で、彼女のためにと考えてしたことなのに…

妹の玲香と同じ歳の彼女が、ひとりで苦労を背負っていることがたまらないのだ。
まだまだ子どもの彼女なのに、生活のために遊びの楽しさも知らず、精一杯背伸びして生きている。

見て見ぬ振りなどとても出来なかったのだ。
だが、彼の行為は余計なお世話だというのだろうか?

手を引くべきだろうか?
亜衣莉が嫌がるなら、そうするしかないだろう。

もどかしさと苛立ちに囚われ、聡は大きく息を吸い込み、そして吐き出した。





聡が朝食を食べ終わり席を立とうとしたところで、ドタドタという足音とともに、妹の玲香が駆け込んできた。

ずいぶん切羽詰っているのをみて、聡は眉を上げた。
このあとの段取りは大体想像できる。

聡を見つけた玲香は、ほっとした笑みを浮べた。

「あ、お兄ちゃん、まだいたー。よかったー」

弟の翔も同じ食卓についているのに、玲香は聡だけに言う。

「お願い。学校まで送ってって」

「また寝坊してスクールバスに乗り遅れたのか?困ったやつだな」

「だって…」

玲香は言葉を濁したが、たぶん新作のゲームに夢中になりすぎて、夜遅くまでやっていたに違いない。

「またゲームしてたんだろ。日曜日の夜まで休みの気分でいるからだ。もう高三だろ、少しは考えろ」

容赦ない翔の叱責を受け、図星を指された玲香が反撃も出来ずに、情けない顔で俯いている。

聡は、玲香の頭の上にぽんと手を置いた。

「ほら、送ってやるから、支度しろ、玲香」

「あ、うん。聡お兄ちゃんはやっぱりやさしいよ。血も涙もない翔お兄ちゃんとは比べ物にならないよ」

「言ってろ」

翔はそう言うと、さっと立ち上がって部屋を出て行った。

薄情なやつに受け取られがちだが、翔は意外と情に脆い。
自分が動くしかないとなれば、ひとのために尽力するやつだ。

この場合も、聡がすでに出かけていれば、翔が送って行っただろう。
玲香もそれを分かっている。


「玲香、お前、自分はしあわせだと思うか?」

車を運転しながら聡は、ありきたりな会話の中に、その問いを混ぜた。

「もっちろん。翔お兄ちゃんの性格がよくなれば、もっとしあわせなんだけど…」と唇を尖らせる。

「もし、うちが貧乏だったら、玲香はそれでもしあわせだと思うか?」

「え?」

玲香が聡をみあげてきた。

「うーん。うん。やっぱりしあわせだと思うよ。みんながいるもん」

「そうか」

「なんで、おかしな質問するんだね」

「玲香は将来何になりたいんだ?」

玲香がちょこんと肩を竦めた。
兄が何を考えてそんな質問ばかりするのか、不思議がっているのだろう。

「まだわかんない。大学に進んで、それから考えるよ」

聡は黙って頷いた。
玲香の通う女学校はこのあたりでも名門で有名な女学院だ。大学までストレートで進学できる。
母親が、この学校への思い入れがあったらしく、高校受験を迎える玲香に強く勧めたのだ。

「このまま今の学校の大学へ進むのか?」

「うん。そのつもり。友達もいるしね」


校門前で玲香を下ろし、ひとりになった聡は自分の背広の胸ポケットに手を触れ、そこにある物を確かめた。

昨日の午後、予定通り亜衣莉の運転の練習に付き合ったが、亜衣莉は、彼が立ち入れない溝を築いていた気がした。

亜衣莉の言葉少なな情報から、ジェイが美紅を迎えに来て、ふたりで出かけたことを知った。
ひとりで昼を食べた彼女は、夕食もひとりで食べたのだろうか?

それを確かめたくて何度も携帯を手に取った。
けれど亜衣莉の拒否を感じて、どうしても電話は出来なかった。

結局、電話をした先はジェイだった。

「今日の夕食は一人で食べたのか?」

口にして、少し後悔した。
質問が唐突なものになって、ジェイが電話の向こうで不審な顔をしているのが手に取るように分かる。

「いや。友達とだけど…どうして?」

もちろんそれは美紅のことだろう。

「何時に家に帰った?」

「なんか僕に用事でもあったのか?…家に帰ったのは…そうだな。10時だったかな?」


流れてゆく景色、歩道を歩く人々は視界に入っていても、彼は何も見ていなかった。
聡の手は、彼の意思とは関係なく、勝手に胸ポケットに触れていた。





「伊坂室長」

聡ははっとして我に返った。
背中を叩きながらそう呼びかけてきたのは、ジェイだった。

「なんだ?そんなに大きな声を出さなくても聞こえる」

「よく言うよ。用事があるのは僕じゃない。君の良く働くはずの耳は、どうやら主人に内緒で職務放棄してたらしいぞ」

いったいなんのことだ?

聡は怪訝な顔を上げ、目の前でかしこまっている矢木に気づいた。

「矢木君、どうしたんだ?」

「いえ。先ほどから声をおかけしてたんですが、気づいていただけなくて…」

ジェイはほらみろとでも言うように聡を見ると、その場から去って行った。

信じたくないが、どうやらかなりの時間、ぼうっとしていたらしい。
いつも、ぼうっとするなと部下を叱っている手前、どんな顔をすればいいのか困った。

今回のようなひどいものではないが、似たようなことが今週何度かあった。
みな、彼に何が起こったのだろうと、ひそひそとささやきあっているようだ。

気を引き締めてと、自分に言い聞かせていたのに…

そんな聡と反比例するように、なぜか美紅の粗忽さは減っていた。
毎夜の見直しに、その事実がはっきりと現れている。
まったく無いわけではないが、明らかにミスは減っていた。

「室長、よろしいですか?」

「うむ。すまなかったな、矢木君」

「いえ。あの、このプログラムの件なんですが、誰に…」

「ああ、それならわたしが預かろう」

矢木の手にした書類の束を聡は受け取った。

書類の内容を確認しているうちに昼になり、休憩に入った職場内の一角で賑やかな声が上がった。
美紅を囲んで数人の男たちが声を弾ませている。

これまでの美紅にはなかったほがらかな笑顔。
いつもオドオドとしていた彼女だったのに、いまはとても落ち着いてみえる。

美紅を変えたのは、ジェイの存在なのだろう。

いまジェイは、美紅の背後に立ち、ずいぶんと苦々しい表情をしていた。
どうやら美紅と楽しげに語らっている男達が、ひどく気に食わないらしい。

このパターンだと、ジェイが美紅に恋をしていると思える。
だが聡は、素直にそうとは思えなかった。

ジェイは、誰にでも一様に愛想が良い。
けれど、他人とは一定の距離を置き、肉親であろうと、けして自分の中に踏み込ませない。

相手が彼の望まないほど、彼の人生に入り込もうとすると、即座にシャットアウトする。
そんな場に居合わせた時のジェイの冷淡さには、呆れることも多かった。

以前、ジェイが聡に言ったことがある。
僕は自由でいたい。僕の人生に重たい荷物はいらない。けして、誰にも縛られたくない。と。

聡の視線を感じたのか、ジェイがこちらを向いた。
視線が合った途端、彼は顔を伏せ、その場から離れて行った。




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恋愛遊牧民G様
   
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