恋にまっしぐら
その2 遊び場の下見



窓の外に目を向け、彼は、地に落ちた星の煌きを見つめた。

明日からここが、遊び場…か。
そう心のうちで呟き、口元にささやかな笑みを作る。

「いつ日本に?」

背後からの声に彼は振り返った。

「三日かな」

「部屋は落ち着いたか?」

「まあな」

彼は、自分の空っぽ同然の部屋を思い出して小さく笑った。
あちらで、ほとんどは処分してきた。
持って来たのはスーツケースとボストンバッグひとつだけだ。

部屋にはベッドさえあれば生きてゆける。
ただ、スーツ類は早めに買い込む必要があるだろう。

「知らせてくれれば、空港まで迎えをやったのに」

「迎えなんていらないさ」

「それにしても、ずいぶん遅れたな。何かあったのか?」

「まあ、多少、ゴタついたか」彼は思い出して苦笑した。

「女か?」

「ああ。セリアに…泣かれた」

「そうか」

彼はまた窓に向いた。

彼の心には、ずっと長いこと取り去れない空虚なものが巣食っている。
それを埋めてくれるものが日本にならある気がして…実際そんなものがあるのか、甚だ疑問だが。

「彼女のしあわせのためには、僕が日本にいた方がいいのさ」

「お前はそれでいいのか?」

「こちらに呼んでおいて、君はそう言うのか?」

「それがお前の愛し方ってわけだ」

「そういうことかな。でも彼女に言わせれば、僕はまだ本当の恋を知らないそうだ」

相手が、恋と言う言葉に拒否反応を起こして、鼻に皺を寄せた。

「恋なんて、ひどく曖昧なものだと思わないか?人の心は簡単に変化する。そんな不安定な感情など、信じる価値があると思えないね」

彼は何も言わなかった。
相手も何か考え事をしているらしく、しばらく部屋に沈黙が満ちた。

「これで時間の余裕を得られるかな…」唐突に相手が言った。

意味を含んだ笑いを洩らす相手に、彼は眉をあげた。

「ちょっと問題児を抱えていてね」

「問題児?」

「部下に…ひとりほどね」

「部下?いったいどんな問題児が…?」

「一言で言うと…粗忽者」

「粗忽?なぜそんなやつを、君の部下に?」

「お前…流暢すぎて違和感を感じるな」

「いまさら。…それで?」

「理由などどうでもいいさ。現実問題として、部下に粗忽者がいるってことだ」

彼は眉をあげた。なぜなのか、理由を語りたくないようだ。

「納得できないが、君は訳を語る気がないことも分かったよ」

「先を読む能力に長けたお前が好きだな」

その言葉に、彼はさっと後ずさり、窓にぴたりと背中をつけた。
わざとらしい動作に、相手が呆れた顔を上げる。

「お前なぁ」

「君にはゲイの噂がある。思わず我が身の保身をな…」

相手は凄い勢いで立ち上がり、右腕に拳を固めると、威嚇するように突き出してきた。

彼と同じほどの背丈だが、彼よりもいくぶん体格が良い。
後ろを短く刈った髪、年より老けて見せたいからか、少し長めの前髪を後ろに撫で付けている。
父親によく似たすっきりとした目と、男らしい顎のラインと口元。

もてるだろうに…

「この馬鹿野郎。冗談でも口にするな、そんなこと」

「だが、君は女を異常なほど毛嫌いしてるじゃないか。と、言うことは、男が…」

「いい加減にしろよ。殺すぞ、てめえ」

「てめえ?なんだかよい響きだな。日本語の韻は心地がいい」

「分かってるくせに、知らない振りをするな。この似非外人め」

「エセ?その言葉は本当に知らないな」

彼の純な言葉に、堪らず相手が吹き出した。

彼の透き通るような青い瞳、輝くブロンドの髪。
長い手足、背広を引き立てる肩幅と細い腰を見て、相手が尋ねてきた。

「ジェイ、お前、いくつだったかな?」

「いくつって歳のことだな。23。ところで聡は、『いくつ』になったんだい?」

いくつという言葉にしっかりした意味を感じられず、ジェイは頭の半分でその感じを味わいながら、聡の反応を楽しんだ。

同じ問いを返されただけなのに、聡は嫌そうに顔を歪めている。

「…25」

「25か。誕生日は四月だったから、まだ25になったばかりか。まだまだ若いな」

椅子の肘掛を、聡は指先でコツコツと意味もなく弾いている。

「まあな。早く歳を取りたいよ。年上の部下が多いのは、やはりやり辛い」

ジェイは窓から離れ、机を挟んで聡の前に立った。

「歳なんか能力とは関係ないさ。それに君はいずれこの社の…」

「それを言うな。なんだか自分の価値が下がる気がする」

「それでもこの会社に入ったんだな。親の跡を継ぐなんて、君のポリシーじゃないのかと思っていたが」

「好きな仕事だったからな。それにまだまだ大きく成長させるという楽しみは残されてる」

ジェイは頷いた。

「その手伝いが出来れば、僕も嬉しい」

「弟にはけっきょく逃げられたからな。君の存在は嬉しいよ」

ジェイは軽い笑い声を上げた。

「翔は一匹狼みたいなやつだからな。人の上でも下でも働くのは嫌がるだろう」

「あいつが教師なんて…心底、意外だったよ」

「僕は、翔にそれなりに合っていると思うが」

「あいつが教師になったわけを知っているのか?」

「さすが、聡いな」

「お前…ほんとに似非外人だろ」

「日本語は好きだ。抑揚が心地いいからな。頭に水のように浸透する」

ジェイは自分のおでこのあたりをとんとんとつついて見せた。

「翔は、彼の恩師に誘われたのさ。名前は…ね、ね…」

「恩師?ふーん、それならまだ見込みがありそうだな」

「まだ諦めてはいないんだな?」

「ああ。弟ながら、あいつの非凡な能力は捨てがたいからな」

ブロンドの髪を指に絡ませて後ろに撫で付けながら、思考の半分を使って考え込んでいたジェイは、さわやかな笑みを浮べた。

「思い出した」

「何を?」

「根岸だ」

「根岸?誰だそれは?」

ジェイは思い出せたことに気分をよくして、にやりと笑った。

「恩師だ。そろそろ食事に行こうか。聡、奢ってくれるんだろ」

ジェイは聡の返事も待たずにドアに向かった。

粗忽者の問題児。
明日から楽しくなりそうだ。

「それで? 聡、粗忽者の彼はいったいいくつなんだい?」

返事に間が空き、ジェイは後ろに振り返った。
なぜか聡が瞳を愉快そうに光らせている。

「どう…?」

「粗忽者は、ハタチだ」

「…ずいぶん、若いんだな」

「専門学校出なんだ」

ジェイは無言で頷いた。

粗忽者の存在は、彼の日常に変化を与えてくれるだろうか?




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恋愛遊牧民G様
   
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