恋にまっしぐら
その21 ヒップホップで



がやがやと煩いほどに人声が交じり合った、即席の女子専用楽屋内、亜衣莉はみなと笑い声を上げていた。

テンションを上げて、本番前の緊張をなんとか吹き飛ばそうと躍起になっている面々と、無理に気持ちをあわせようとしている自分に目を瞑る。

学生の身分で、文化祭の雰囲気を味わうのも今回が最後なのだ。
心の翳りにばかり捕らわれていては、貴重な想い出が褪めたものになってしまう。

「ワン・ツー・スリー…だよね」

ピンクのタンクトップに見事なほど穴あきのジーンズを着た子が、不安げに振り付けをおさらいしている。
その子と同様に、亜衣莉もピンクのタンクトップと、色の褪めた洗いざらしのジーンズを着ていた。

舞台栄えするように、タンクトップの胸元いっぱいに、大きな星の形にスパンコールが付けられている。

もちろん、いままでこんな派手な服など着たことはない。
気恥ずかしいけれど、今日だけは特別だ。

「違うよぉ。そこは右手がこうでしょ?それでこう」

「あっ、そっか。駄目だー。もう緊張でどうにかなりそうだよ。もういっそのことさっさと終わらせてー」

笑い声が混じった悲痛な叫びに同調して、みんなが笑う。

「星崎さん」

ぼうっとしていた亜衣莉は、名前を呼ばれて顔を上げた。

「え?何?」

「そろそろ帽子をかぶった方がいいわよ」

そう注意されて、亜衣莉は慌てて髪の毛を纏め上げ、帽子の中に長い髪を押し込んだ。

「星崎さんが慌ててるなんて、珍しい」

はしゃいだ笑い声が周りで上がった。亜衣利も顔だけ笑った。

「帽子が効いてるのかな、服装もだろうけど、やっぱり雰囲気変わるね」

帽子を被った亜衣莉をしげしげと見て言う。
その言葉に振り向いた別の子も、亜衣莉の姿を愉快そうに眺めた。

「いつもとぜんぜん違って、すっごいボーイッシュに見えるよ。星崎さん」


時間になり、全員ぞろぞろと舞台袖に移動した。

「そろそろだぞ」

舞台進行の役員と打ち合わせをしていた平井が、みなに振り向いて言った。

彼の言葉に、緊張を含んでいるくせに、やたら楽しげな押さえた小さな叫びがあちこちで上がった。

黒っぽいタンクトップにジーンズ姿の平井は、いつもより男っぽさを感じる。

「いいかい。振りは間違ってもいい…」

「そういう振り付けなんだと思わせるように自信満々で踊れでしょ?」

亜衣莉は、この最近、口癖のようだった平井の言葉の後を続けた。

「その通り。踊った時点でその振り付けがホントになる。間違っても間違いじゃない。つまり、まったく緊張する必要はないということだ」

皆が無言で頷いた。
平井の言葉でみんなの顔から少し緊張が抜け、楽しげなものになった気がする。

まったく緊張していないと言えば嘘になるけれど、たとえ失敗して転んでも、最後まで堂々と踊るつもりだ。

「亜衣莉。舞台にだけ集中だぞ。いいな」

平井の心配そうな瞳に、亜衣莉はマジな顔で頷いた。
このところ、注意力も散漫で、ダンスの練習中も振り付けを間違えてばかりだったから、彼の心配も当然だろう。

舞台にあがった十分間だけでも、脳裏に取り付いて離れない彼のことを消し去るのだ。
亜衣莉は心に命じた。





全員舞台に整列したところで緞帳が上がってゆく。
始まりの音楽に全員がステップを合わせる。

一糸乱れぬ動作。
滑り出しはまずまずだった。観客の反応もよさそうだった。

ステップの音とともに、効果的に入る手を叩く音。切れの良い回転。足さばき。

中央が空き、亜衣莉を含めた四人が中央に立った。音楽ががらりと変わり、リズムに乗せて四人が踊る。

亜衣莉は緊張と、このところの不摂生で数回頭がふらつき、肝を冷やした。

ダンスを間違えるならどうにか誤魔化しようがあるが、気絶してしまっては、舞台そのものを滅茶苦茶にしてしまう。

それでもどうにかこうにか、最後の見せ場になった。

ふたりの男子が介助をもらい前転をし、ワーッと大きな歓声が上がった。
次は三人の男子。中央の平井は介助無しで前転を見事に決め、さらに大きな歓声が上がった。

いよいよ最後の女の子三人の前転だ。
亜衣莉はふっと息を吐いた。
これを決めたら終わる。

亜衣莉は中央を勢いよくダッシュして行った。
突然、「やめろっ」という大きな叫びが会場内に響いた。

彼女は驚いたものの、勢いのついた身体はそのまま前転へと向かった。
あっという間に宙を舞い、手を添えられて着地した。

ほっとした。決められたのだ。
亜衣莉は帽子を脱いで観客に向けて勢いよく投げた。彼女の長い髪がさらりと肩に掛かる。

三つの帽子は、クルクルと回転しながら舞台中央を飛んでゆく。
亜衣莉の視線は帽子からひとりの人物へと移動した。

そして遅ればせながら、先ほどの叫びの声は聡だったのだと気づいた。
彼は体育館の入り口の側にいて、彼女をじっと見つめていた。

聡が動いた。思わず亜衣莉の視線が彼に追いすがる。

視線を逸らした彼は、踵を返してあっという間に出て行った。

拍手で湧く会場内。
スルスルと緞帳が下りてくる。

亜衣莉の心を食い尽くす、強烈な喪失感。

亜衣莉は目を閉じた。頭の中が真っ白になり、急激にめまいに襲われた。
緞帳が完全に下りたところで、彼女はカクンと膝を折って床に座り込んだ。

「星崎さん」

数人の子が亜衣莉の側に来たのが分かった。
亜衣莉は助けを求めるように両手を伸ばした。

「駄目…みたい」

意識が消える寸前、亜衣莉は言った。





亜衣莉は美紅とジェイからさんざんお小言を食らった。
校医の先生の問診に嘘はつけず、食事を満足に取っていなかった事がバレたのだ。

病院に連れて行かれ、ブドウ糖だとかいう栄養補給のための点滴を打たれた。
入院の必要はなく、点滴を終えてすぐに家に戻れた。

おかげで身体はとても楽になった。

食欲が無い分、毎日これで栄養補給できたら楽なのにと亜衣莉は思った。
もちろんそんなこと、口が裂けてもふたりには言えないが。

「携帯、聡に返したけど…ほんとに良かったのか?」

美紅が買い物に出かけ、残ってくれたジェイが言った。

亜衣莉はこくりと頷いた。

これで完全に、彼との繋がりはなくなった。

喪失感はひどいものだったが、亜衣莉はほっとするものも感じていた。
彼を目にさえしなければ、この喪失感も消えてゆくだろうと思いたい。

ただひとつ分からないことがある…彼はどうしてあの場にいたのだろう?

「ジェイ、わたしが前転したときに、叫んだのは…」

「ああ、そう言えば誰かが何か叫んだ気がするな。あの前転の見事さで、僕も忘れていたけど…」

どうやらジェイは、彼があの場にいたことを知らないらしい。
ジェイが無理に誘ったのでなければ…彼はなぜ来たのだろう?

「亜衣莉?」

「わたし、少し横になります」

亜衣莉は布団にもぐりこんだ。彼の行動は理解できない。




☆ランキングに参加中☆
気に入っていただけましたら、投票いただけると励みになります。

恋愛遊牧民G様
   
inserted by FC2 system