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その27 見違えた上司
新しく開店したばかりのショッピングモールは、どこもかしこもキラキラと輝いているように亜衣莉には見えた。
こんなところで買い物をしたことはない。
こういう大型店は、町から離れた場所にあり、駅からは遠いし、車がない者には無縁となりやすい。
亜衣莉の家の近くの駅前も、クリスマスの雰囲気真っ盛りで、カラフルな色合いが散りばめられていたが、このショッピングモールは、全体の飾り付けがまとまっていて、一種の芸術作品のようだった。
亜衣莉は通りがかりに、無意識にガラスケースの中を覗き込んだ。
可愛らしいサンタとトナカイが、小さなもみの木の側ににっこりと微笑んでいたのだ。
亜衣莉は、「わぁっ」と小さな歓声を上げた。
「いかがですか?お嬢様。こちらはクリスマス企画でとてもお安くご提供させていただいているんですよ」
上品な愛想の良い声に驚いて、亜衣莉は顔を上げた。
黒いスーツに名札を付けた女性がかしこまって立っていた。
亜衣莉はガラスケースにまた視線を戻した。
先ほどのサンタの周りにあるのは、本物の宝石のついた、目玉が飛び出しそうな値段のネックレス。
「どうぞ、お気に入るものがおありでしたら、お手に取ってごらんください」
「い、いえ、これがとっても可愛いかったので…すみません」
亜衣莉はサンタを指さし、尻すぼみに声を落として謝った。
視線を向けてサンタを確かめ、店員さんがにっこり微笑んだ。
「そうですか、ありがとうございます。わたしが飾ったんですよ」
亜衣莉はほっとして頷き返すと、そそくさとその店を離れた。
周りを見回しても、ジェイも美紅もいなかった。
どうやら余所見をしているうちに置いてけぼりを食らったらしい。
亜衣莉は先ほど進んでいた方向へと、ふたりを探しながら歩いて行った。
店々の品々が亜衣莉の目を引く。
お金はそこそこ用意して来たが、これほど多くの品が並んでいると、どれを選べばよいのか決められそうもない。
「亜衣莉。もう、迷子になっちゃ駄目でしょ」
前方から美紅が駆けて来た。
迷子と言う言葉に、周囲のひとたちが、何人か笑いを見せたが亜衣莉は見なかったことにした。
「ジェイは?」
「お店で待ってるわ」
「お店って?」
「こっち」
美紅は亜衣莉の手を取って歩き出した。
足を踏み入れるのをためらう、高級感漂う店へと亜衣莉を導いて行く。
「ジェイ、迷子の亜衣莉を見つけてきたわ」
美紅が店内に響く大声で言い、亜衣莉は顔から火が出た。
「美紅ってば…別に迷子なんかに…」
「あら、ジェイと一緒に誰かいるわ。彼のお友達なのかしら?」
美紅の視線の先に顔を向けた亜衣莉は、驚いて立ち止まった。
ジェイと聡が、何か話しながらこちらへと歩いてくる。
「美紅なら分かるけど、亜衣莉が迷子になるとは思わなかったな」
二人の前に立って、ジェイが愉快そうに言った。
彼の隣では聡が、驚きに目を見開いている亜衣莉を見つめて苦笑している。
「ジェイ、この方は?お友達なの?」
美紅の言葉に、ジェイと亜衣莉は同時に振り返った。
聡はふたりと視線を交わし、美紅を見つめる。
「どうも、はじめまして」その声は、笑いをひたすら堪えている。
「はい。はじめまして。わたし、星崎美紅です」
マジな笑顔を聡に向けて、美紅は丁寧に頭を下げた。
「み、美紅」
「ほら、亜衣莉もご挨拶しなきゃ」
美紅がたしなめるように言ったところで、ジェイがおなかを抱えて笑い出した。
彼はそのまま膝を折ってしゃがみ込み、さらに笑う。
「ジェイ、何がおかしいの?」
「毎日のように見ている上司の顔を忘れるとはな。星崎君」
「そ…その声…伊坂室長にそっくり…」
「本人だからな」
呆然とした美紅が、後ろに向けてゆっくりと倒れたが、予想していたのか、ジェイは余裕で受け止めた。
「あの、すみませんでした。お姿が、伊坂室長の雰、囲気では、あまりにも、なかったもの、ですから」
やっと現実を受け止めた美紅は、おかしなところでやたら区切りながら言った。
「そうかな?」
「はい。10歳はお若く見えます」と美紅が請け合うように言った。
ジェイと亜衣莉は堪らず、同時にぶっと噴いた。
亜衣莉は慌てて口を押さえ、ちらりと聡を見て、彼の睨みに怯えて俯いた。
「10歳?それならわたしは、君の目に、いま15歳にみえるというのか?」
「はい?」尻上がりに美紅が言った。眉を寄せて首を傾げる。
亜衣莉は頭が痛くなった。これ以上は痛すぎる。
「いくらなんでも15歳には見えません。ジェイと同じくらいですわ」
「ジェイと同じということは、23か。それに10を足すと、幾つになるかな?星崎君」
「33です」高らかに美紅が答えた。それも笑顔つきで…ますます痛い。
何か助け舟を出してくれればいいのに、ジェイは傍観者になって、ひたすらこの会話を楽しんでいる。
「いつものわたしは、そんなに老けてみえるのか?」
聡が亜衣莉に尋ねてきた。
もちろん亜衣莉は大きく首を横に振って否定した。
「そ、そんなことありません。わたしの目には20代前半にしか見えません」
「えーっ、そうかしら?」
その正直すぎる否定の言葉に、亜衣莉のフォローは、見事に打ち砕かれた。
「美紅、正直なのはいいことだが、そろそろ止めたほうがいい。仮にも彼は、僕らの上司だ」
なんのことと言うように、美紅はジェイを見つめた。
姉の天然さには慣れていたが、こんなに困り果てたのは初めてだ。
「会社でも、そうやって前髪を下ろしてらっしゃるといいですよ。とてもお若く見えます」
「貴重な意見をいただいて、ありがたいよ、星崎君」
「どういたしまして」
天使のような無垢な笑顔で美紅が言った。
ジェイと美紅と別れた亜衣莉は、聡の車の助手席に乗っていた。
買い物を終えて店を出たところで、聡が亜衣莉を家まで送ってゆこうと申し出たのだ。
即座にジェイが頼むと言い、亜衣莉はたくさんの荷物とともに聡と帰ることになった。
もちろん、このまま家に帰りはしない。
今日と明日は、教習所での練習の予定がある。
その予定のために、聡は亜衣莉を送ると言ってくれたのだ。
亜衣莉はまだ戸惑いが抜けなかった。
三人は亜衣莉の服選びに夢中なり、亜衣莉の戸惑いつつの断りなど気にも止めず、たくさんの服を買い込んだ。
支払いは三人が済ませてしまい、いったい誰がどれだけ払ったのか、亜衣莉には分からなかった。
ジェイは美紅にも買ってやっていたが、どう比べても亜衣莉の服の方が多かった。
こんなに一度に、たくさんの服を買ってもらうなんて…
たしかに嬉しさはあったが、買ってもらって良かったのかと、困惑した思いの方が強かった。
亜衣莉は運転している聡に何か言おうと口を開いたが、結局言葉が出てこなかった。
彼の顔は、いまとても満ち足りている。
それがはっきりと伝わってくるのに、彼の満足を帳消しにするようなことを口にするなんて、出来るはずがなかった。
亜衣莉はひとの好意に甘えたり、受け取ったりするのがうまくないと自分でも思う。
美紅はあんなに素直なのに…
考えずに素直に受け取るのがいいのかもしれない。
亜衣莉だって、彼に差し出したものを、もらえないと拒まれたら、心が傷つくだろう。
クリスマスももうすぐだ。
彼女からも、彼に何かプレゼントを贈ろう。そう考えて、亜衣莉は胸のつかえをストンと落とした。
「あの。伊坂さん?」
「うん?」
「あの、クリスマスイブですけど、何か予定がおありですか?」
「いや、別に」
「あのっ、それならわたしの家でクリスマスパーティとか…しませんか?姉とジェイと4人で」
「イブの招待なんて初めてだ。楽しみにしてるよ」
亜衣莉はほっとして笑顔を浮べた。
聡に約束を取り付けて、いまになって心臓がドキドキしてきた。
「わたしも楽しみです。ご馳走張り切って作らなくちゃ」
「食材の買い物、わたしにも付き合わせてもらえると嬉しいんだが」
「食料品の買い物なんてつまらなくないですか?」
「そんなことはないよ。したことがないからやってみたいんだ」
「したことがないんですか?それはそれで凄いですね」
聡が笑い、亜衣莉も笑い出した。
「ところで亜衣莉、わたしはいくつくらいに見える?」
その問いに、亜衣莉は改めて聡を見つめ、頬が赤くなる前に何気なく視線をそらせた。
「前髪を後ろに撫で付けてると、歳よりもかなり上に見えます。けど、前髪を下ろしてるとジェイくらいに見えます」
「後ろに撫で付けてると、いったい幾つに見えるんだ?」
亜衣莉は素直な感想を述べた。
「そうですね。20代後半か、30代前半」
「大まかだな」
「でも、幾つとは言えない感じです。幾つと言われてもそうかなって思えてしまうみたいな感じで…。でも見た目だけじゃないんですよ。伊坂さんの言葉遣いや堂々とした態度とか…そういうの全部合わさって、そう感じるんです」
彼はそのままで過ぎるほど魅力的だ。
幾つに見えるかなんて気にする必要などないくらいに…
「伊坂さん、若く見られたいんですか?」
亜衣莉のその問いに、聡は苦笑したが、返事はなかった。
「いま、丁度昼だな。教習所は二時からだから、これからどこかでお昼を食べよう。いいね」
この最近、彼に食事を奢ってもらってばかりだったが、亜衣莉は嬉しさを込めてこくりと頷いた。
彼と一緒にいたい。
それが許されるだけの時を…一緒に。
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