恋にまっしぐら
その33 愚かな行為



パーティは、聡にとって去年にも増して退屈なものだった。

政界、財界、芸能界と、あらゆる種類の人種が混ざり合っている。
このパーティそのもの、父の娯楽のようだった。
たくさんの人間を集めての、父親の人間観察の場なのかもしれない。

そんな趣味のない聡には、付き合わされるだけ迷惑だった。
それでも、この場には仕事関係の客人も多く、それなりの愛想も必要なのは分かる。

年間数回のパーティーのために、父親はこの大広間を作った。
客の人数は二百近いのかもしれない。なんだか年々増えてきているような気がする。

こんな茶番など切り上げて、とにかく亜衣莉の元に行きたかった。
昨夜のキスを、いますぐにでも味わいたい。

ジェイの表現は嘘やまやかしではなかった。
亜衣莉とのキスは、聡を惑わすほどに甘かった。

恋というものがどんなものかわからないなどとほざいていた以前の自分が、いまはひどく滑稽だった。
本物の恋は、これが恋か否かなどと、悩む必要などまったくなかったのだ。

亜衣莉にとって初めてのキスなのに、自分ばかりが夢中になってしまい、それが心に掛かっていた。
彼女はあのキスをどう感じただろうか?彼と同じほど陶酔の心地を味わっただろうか?

今朝は起きてすぐに、それを確かめずにおれなくなり、亜衣莉に電話を掛けた。
けれど、長い呼び出し音の後に出た彼女との会話は、どうにもとらえどころがなかった。

どうしてか、意味不明な言葉の羅列…

気にはなったが、仕事のことで突然父親に呼び出され、年明けに大きなプロジェクトを任せると言われて、延々その説明を聞く羽目になった。

正直父親の説明は、半分ほども頭に入っていない。
気持ちの整理がついたら、渡された書類を読み返しておかなければ…

「聡さん」

「うん」

名前を呼ばれ、どっぷりつかった思考の中から、上の空で聡は返事をした。

「どうかされたんですか?」

「いや、どうして?」

聡は自分が連れている美智歌に振り返った。

「お客様が挨拶してらっしゃるのに、無視なさってたから。よろしいのかなと思って」

「え?ああ、ちょっと考え事をしていたようだ。すまない。早く挨拶を済ませてしまおう」

聡は、その後、美智歌の腰に腕を回し、彼女を促して退屈な挨拶を繰り返した。

会場を一周し終えた聡は、くるりと会場を見回した。
そして、この場でもっとも、彼を楽しませてくれそうな集団のところへと、美智歌を連れて行った。

「よお」

聡は翔の肩をぽんと叩いた。

「美智歌。兄さんの雇われパートナーって、君だったのか?」

「ええ。大変なお仕事を任されて、いささか辟易してるわ。聡さんを狙っている女性が、この会場にはうようよしてるんですもの」

聡は美智歌の言葉に苦笑した。
たしかに彼女の言葉は大袈裟なものではなかった。
伊坂家の後取りの立場にいる彼は、玉の輿を狙う女達の格好の獲物だ。

聡は翔の隣に佇んでいる可憐な女性に、からかいの視線を向けた。

「わたしより、翔だろ。さっきから気づいてるか?葉奈さん、みんな君に向いているぞ、女達の恐ろしく危険な眼差し…」

聡はそう言うと、わざと震えて見せた。

「いい加減なことを言って葉奈を怖がらせるなよ、兄さん」

翔は聡に本気で掛かってきたが、葉奈は小さく微笑んだ。
そして一歩進み出ると、彼に向かって頭を下げてきた。

「あの、聡さん、このドレスとイヤリング。ありがとうございました」

「うん?ドレスって?なんの…」

「兄さん」

聡の言葉を翔が阻んだ。
そのせいで、どういうことか、すぐに理解出来た。

「わたしの君へのプレゼントは、イヤリングだけのはずだが…」

聡はにやりと笑って付け加えた。

「え?…それじゃあ、この服?」

「翔さんですよ。三人に一枚ずつ、翔さんに頼まれて、わたしが見立てたわ」

横合いから更紗が口を出し、愉快そうに微笑んでいる。
翔は立場が無くなったかのように、俯いた。

翔は葉奈の手を取ると、彼女を連れて会場から出て行った。

「あのふたりは、うまくいっているみたいだな」

「あの、聡さん、わたし少し場を外れてもよろしいかしら?」

ふたりを同じように見送っていた美智歌にそう言われ、聡は渋い顔をした。

彼女がいなくなると、困るのだが…

「ああ、いいけど、出来るだけ早く戻ってくれるね」

「わかりました」

美智歌はそう言うと、翔たちの消えた方向へと歩いてゆく。

「それで、あなたの方はどうなっているの?」更紗が言った。

「何がですか?」周りに目を配りながら聡は言った。

「ドレスをプレゼントなさった女性のことよ」

話がおかしな方向へと流れる前にと、聡は慌てて踵を返した。

「僕はしばらく退散しますよ。失礼」

聡はすぐに部屋を出て、玉の輿を狙うハンターたちからなんとか逃れた。

「聡さん」

美智歌を探して屋敷の中を歩いていた聡は、母親の声に振り返った。

「母さん。父さんと一緒じゃなかったんですか?」

「更紗さんにお聞きしたのだけど、どんな方にドレスを贈ったの?」

聡は歯噛みした。
更紗叔母には、口止めしていたのに…

「とても美しい方だったって聞いたわ。聡さんったら、更紗さんの店の服を全部買い込んで贈りそうな勢いだったとか…」

「母さん、あの」

「そんな方がいらっしゃったのにどうして美智歌さんを…あなたがあんな風に彼女をエスコートしているところをその方が見たら…ショックを受けるのも道理ですよ」

聡は怪訝そうに母親を見つめた。

「道理?」

「ええ。いまさっきパーティー会場にお連れしたの。ジェイが玄関まで送って来て、彼は用事があって戻ってしまったけど…」

「そ、それで彼女は?いったいどこにいるんです」

母親は聡を冷たい目で見据え、呆れたように口を開いた。

「やっと見つけた愛するひとを、こんなことで失くすなんて。愚かにもほどがあるわ」

「失くす?馬鹿を言わないでください」

「馬鹿はあなたよ、聡さん。ご自分のやったことを、よくよく考えるのね。同じ女性として、許せることではなくてよ」

母親はこれまで聞いたことがないほど厳しさのこもった声でそれだけ言うと、踵を返して行ってしまおうとする。聡は慌てふためいた。

「母さん、待ってください。彼女はどこにいるんです」

「大きな声を出さないで、みなさんが見てらっしゃるわ」

「そんなことはどうでもいい! 亜衣莉は、彼女はどこにいるんです」

不安が高じて、彼はありえないほど大きな怒鳴り声を上げた。

「そんなに大声で怒鳴らないで、耳が痛いわ」

聡は目眩がした。彼は頭を抱えて母親に懇願した。

「頼むから…母さん…早く、教えてください」

胸がつぶれそうに痛かった。
確かに彼は愚かだった。考えがなさすぎた。

ジェイがこのパーティーの招待状を受け取っていることを聡は知っていた。
この場に亜衣莉を連れて来るとしても、不思議ではなかったのだ。

昨夜のことのせいで、彼は物事をまともに考えることができなくなっていたのかもしれない。
亜衣莉を自分で連れて来て、両親に紹介しようと、どうして考えなかったのだろう。

彼は自分のパーティー会場での行動を客観的に見つめ、苦渋の色を浮べた。

美智歌にぴったり寄り添い、彼女の腰に手を添えて会場内を歩き回っていた。
それを見たとすれば、亜衣莉は…

しっかりしているように見えるけれど、それは無理をして背伸びをしているだけで、亜衣莉の精神はとても傷つきやすくて、脆い…

急激に気分が悪くなり、聡は口を押さえた。
信じられないことに、涙が湧きあがって来る。

聡は走り出した。
もうこんなところで、ぐずぐず逡巡している場合じゃない。

「聡さん、方向が違うわ」

聡は振り返った。
母親がほのかに微笑んでいる。そして、ゆっくりと間を開けて言った。

「彼女は、あなたのお部屋よ」

彼は棒立ちになった。
くるくると変わる情報を、パニックに陥った頭が処理できない。

「安心なさい。亜衣莉さんは何も見ていないわ。いらっしゃった時に、わたしがあなたの部屋にお通ししたの」

彼は全身から力が抜けて倒れ込みそうになった。

この母のやりそうなことだった。だが文句は言えない。
それどころか感謝しなければならないだろう。

「ありがとうございました。母さん」

「彼女を大切になさい。…かなり怯えてらしたみたい。あなたが、この家の長男だとは知らなかったみたいね」

母親の話しの半分で聡は走り出した。


彼は自分の部屋のドアをノックした。
自分の部屋のドアを叩くなんて、なんだか変な感じだった。

聞き取れないほどの小さな返事が返ってきた。
聡は安堵に捉われて腰が抜けそうになったが、なんとか身体を支えた。

「僕だよ、聡だ」

「聡さん」

彼はドアを開けて中に入った。
亜衣莉は、所在無さげに窓にぴったりと背中をくっ付けて、こちらに向いていた。

彼がクリスマスプレゼントに贈った、赤いバラの花を散らした可愛らしいけれどエレガントなドレスが、とてもよく似合っていた。

聡は亜衣莉の前へと近付いて行った。

「ごめんなさい。招待状もいただいていないのに、行くのは失礼な事だって言ったのだけど…ふたりがどうしてもってきかなくて…」

「いや。僕の方こそ、君を招くべきだったと後悔してたんだ。来てくれて嬉しいよ。亜衣莉」

「あの、ほんとに…迷惑じゃなかった…?」

窓に背中をくっつけたまま小さく縮こまっている亜衣莉は、この場から消えたいとでも思っているように見えた。

怯えていたと言った母の言葉が良く分かった。

聡は亜衣莉をそっと抱き寄せた。

彼女のぬくもりに触れて、胸につかえていたものがあふれ出す。聡の肩が震えた。

「聡さん?あの、どうしたんですか?」

「君を失う夢を見たんだ」声が震えた。

「わたしを失う夢?」

「ああ。目の前が真っ暗になった。あまりにリアルで…胸がつぶれそうに痛かった」

亜衣莉が彼を見上げ、驚いた顔をした。

「わたしは、ここにいます」

その言葉に、聡の胸が痺れた。

亜衣莉の手のひらが、聡の頬の涙をそっと拭った。
聡は頬に当てられた彼女の手のひらに、自分の手を重ねて目を閉じた。

翔が以前言ったように、これから彼は、色々な不安に駆られて苦しむのだろう。
その苦しみが亜衣莉を得るうえで必要不可欠なものだとすれば、彼は喜んでその不安を受け入れるしかない。

聡は亜衣莉の手を握り締めたまま、亜衣莉の瞳を見つめ、唇を重ねた。




End




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