恋にまっしぐら
その8 酔っ払いのご帰還



「はーい」

インターホンの音に、亜衣莉は玄関に急いだ。
姉ならば自分で鍵を開けて入ってくるはずなのだが…姉で無いとすれば、いったい誰が…

「あの、どなたですか?」

「……」

何か返事があったが、亜衣莉は聞き取れなかった。

「あの?」

「娘さんを連れて帰ったんですが…開けてもらえませんか」

「はい?えっ、どういうことですか?」

まだそんなに遅い時間ではないが、いまは亜衣莉ひとりだ。
彼女は用心して玄関を開けなかった。

「彼女、酔ってしまって、いまそこで吐いてるんです」

「えっ?姉が? あの、あなたはどなたですか?」

「僕は同じ社で働いている者です。とにかく早く開けてもらえませんか?」

亜衣莉はチェーンをつけたまま鍵を外してドアを開けた。
相手がぐっとドアを引っ張り、ガシャンと大きな音がした。

金髪の頭のてっぺんがみえた。
どうやら、開けられることに抵抗しているチェーンを見つめているようだ。

亜衣莉は慌ててチェーンを外した。
姉の言っていたひとだ。くるくるカールしていないブロンドの…

男のひとの声しかしなかったから…

「ご、ごめんなさい」

亜衣莉はドアを大きく開けた。

「口をゆすぐ水と、おしぼりを用意して欲しい。星崎さんはすぐに…」

自分の背後を見ていた相手が、振り返りざまそう言った。

振り返った相手の顔と身につけている背広を確認し、亜衣莉はショックを受けて押し黙った。

お、男のひと…?

目を丸くしてこの事態を消化し、亜衣莉はやっと我に返った。

「あ…水と、おしぼりでしたね」

男の人に抱えられるようにしてこちらに向かってくる姉の姿を認めて、亜衣莉はキッチンへと急いだ。

コップに水を注ぎ、おしぼりを作っている間に、対面式になったカウンターを挟んだ居間に、美紅を抱えた男のひとが入ってきた。

「姉がお世話を掛けてしまって、申し訳ありません」

コップとおしぼりを持ち。亜衣莉はソファに寝かされた姉のところに急いだ。

唇が少し汚れ、独特のすっぱい匂いがして、申し訳なさがまた膨らんだ。

おしぼりで唇を拭い終えると、姉を抱きかかえていたひとが美紅の頭を少し起こし、亜衣莉からコップを受け取って水を飲ませてくれた。

青白い顔をした美紅は、ひどく弱っているようにみえて、亜衣莉は不安になった。

「どうだ。少しは気分も良くなったか?」

「はい。伊坂室長、すみませんでした。ご迷惑掛けてしまって…わたし。亜衣莉も、ごめんなさい」

両手のひらで覆った顔のほっぺたあたりに、涙が伝っている。

「美紅、大丈夫?もうベッドに横になった方が…」

「どこだ?」

伊坂室長と呼ばれた男のひとは、言葉で言うと同時に美紅を抱き上げ、亜衣莉に言った。
亜衣莉は頷いた。

「こちらです」

美紅の寝室へと向かいながら、先ほどのブロンドの人はどこに行ってしまったのだろうと亜衣莉は考えていた。

あのまま帰ってしまったのだろうか?きちんとお詫びとお礼を言いたかったのだが…

「お前、いつまでそこに突っ立ってるつもりだ」

先ほどのブロンドのひとは、まだ玄関先に佇んでいた。返事もせずにこちらを見つめている。

「どうぞ、上がってください」

亜衣莉は彼に声を掛けると、美紅の部屋のドアを開けた。

生前、母が使っていた部屋だ。
一階に誰もいないのは無用心だからと、美紅がこの部屋を使っている。

美紅はベッドに寝かされると、恥ずかしいのか布団の中に顔まで埋めてしまった。

「美紅、気分はどう?」

「もう気持ち悪くない」という押さえられた声がくぐもって聞こえた。

まだ泣いているようだ。
亜衣莉は姉の身体を布団の上からやさしく叩いた。

「それじゃ、わたしたちはお暇するよ」

伊坂の言葉に頷き、亜衣利は彼とともに部屋から出た。

「ほんとうにありがとうこざいました。姉が酔って帰るなんて初めてのことで、驚いてしまって」

部屋を一歩出たところで、亜衣莉は改めて礼を言った。

「こちらこそ、すまなかった。わたしがもっとちゃんと注意しておくべきだった」

「とんでもありません。姉自身が気をつけるべきだったんです。これからはこういうことのないように、きちんと言っておきますから」

亜衣莉の言葉に、相手が笑い出した。

「あの?」

「君はしっかりしているな」

亜衣莉は困ったように微笑んだ。

「姉は、かなりご迷惑を掛けているのでしょうか?」

相手は堪らないというように、くすくす笑い出した。

「挨拶が遅れたな。わたしは伊坂聡、星崎君の上司だ」

「はじめまして、わたしは亜衣莉と言います。伊坂さんとお呼びしてよろしいですか?」

「ああ。それじゃあ、そろそろ帰るとしようか?」

伊坂はブロンドのひとに顔を向けて言った。

「…ああ」

亜衣莉はその声に振り返った。
玄関先に佇んだままの、美紅の天使様。亜衣莉は彼に近付いて行った。

「先ほどはすみませんでした。女の二人暮しなので、来客には注意をしているんです」

「もちろんだ。そのほうが良い」亜衣莉の背後から伊坂が言った。

「わたし、妹の亜衣莉です」

亜衣利は今初めて、彼の顔をまともに見た。
姉が言っていた通り、輝くブロンド、とても整った顔立ち、そして澄みきった青い瞳。

天使。
たしかにそのとおりだ。
だが、男性だとは思いもしなかった…

亜衣莉は自分の思考に微笑んだ。

「はじめまして…」

差し出された手を握り返しながら、亜衣莉は小さく頭を下げた。

「こちらこそ」

なぜか相手がくすりと笑った。

「…あの、ふつつかな姉ですけど、これからも、どうぞよろしくお願いします」

何か笑われるようなことをしただろうか?亜衣莉は首を傾げた。

「ジェイ、少々腹が減ったな。これから何か食べに行こうか?」

「ジェイさん、とおっしゃるんですか?」

「ジェイでいい。さんを付けられると自分を呼ばれている気がしないから」

笑いたくなるくらい、流暢な日本語だ。
ブロンドで青い瞳をした異国のひとが、普通に日本語を話すのは、とても不思議な感じだった。

もうずっと日本で暮らしているのだろう。
もしかすると、日本で生まれて日本の暮らししか知らなかったするのかも。
そう考えたら、彼が日本語を話すことへの違和感が消えた。

「そうですか?それではそう呼ばせていただきます。あの、これから食事なさるんですか?」

亜衣莉は伊坂に向いて尋ねた。

「そうするつもりだが…」

「あの、よろしければわたしが用意させていただきます。美味しいか、お約束は出来ませんが」

「そんな世話を掛けては…」

「そうおっしゃられると、こちらが困ります。姉がひどくご迷惑をお掛けしたばかりなのに…」

「それじゃ、甘えるとするかな」

「はい。居間でくつろいでいてください。すぐに支度をします。…好き嫌いはありませんか?」

亜衣莉はすでにキッチンへと向かっていた。

「いや、ふたりとも何でも食べるよ」

亜衣莉は振り向きざま笑みを浮べて無言で頷き、キッチンに入った。




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恋愛遊牧民G様
   
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